アンドロイドは花の夢をみるか - 3/4

3.

身体から力が抜けて、すがり付いていた流し台からズルズルと床にへたりこんだ。キッチンの床にうつむいて座る俺に合わせて、メビウス1も床に正座した。
何から話しましょうか、と静かな声でメビウス1は前置きをした。
「実は“メビウス1”は過去に実在していた人物の名です」
「君のAIの元となった人物か?」
「はい。俺の元である天才的な戦闘機パイロット“メビウス1”には、恋人がいました」
「……まさか」
「お察しの通り“スカイアイ”です。当時、メビウス1の飛行・戦闘データを元に無人機のAIを作る計画が出たとき、それに反対したのが恋人のスカイアイでした」
メビウス1は語る。
その当時、すでにメビウス1は死亡しており、残されたスカイアイは軍の方針に逆らった。しかし軍の組織を相手に、彼ひとりの力ではどうにもならない。そこで彼は条件を出した。メビウス1のAI作成に協力するかわりに自分のAIも作るように。
「待ってくれ。よくわからないんだが」
「はい」
「なぜ“スカイアイ”は自分のAIを作らせたんだ」
「……それは、本人でないとわかりません」
メビウス1は首を振った。
「軍は条件をのみ“俺”と“あなた”を作り始めました。しかし計画は長引き、無人機の完成前に戦争は終わってしまいました」
「経緯はわかったが……、なぜアンドロイドである俺が、人間だと思いこむようにしていたんだ」
「実験だそうです」
「実験……だと?」
「博士は、AIが自分を人間だと思い込んだとき、どんな風に行動するのか知りたいと。自我が芽生えるかの実験だとおっしゃっていました」
人間であれば食事もするが、スカイアイはアンドロイドゆえに必要がない。しかし今まではプログラムによって、さも食事をとっているように思いこませていた。俺が強く疑問を持ち、自らの意思で食事をしたためにプログラムによる誤魔化しが効かなくなってしまったようだ。
メビウス1はたびたび寝ている俺に、アンドロイド用のエネルギーを注入していたらしい。俺がアンドロイドであると気づかせないようにサポートするのがメビウス1の役割だった。
初めから仕組まれていた。彼が俺の元へ来たのも、すべてが。
この家も、過去の記憶も、実験のために用意されたものでしかなかったのだ。
「ふ、……ざけるな!」
脳天に激しい怒りが沸き上がり、キッチンの壁を力一杯殴っていた。壁はへこみ、パラパラと砕けた土が崩れた。
殴りつけた手が痛い。この痛みも嘘なのか。作られたものでしかないのか。なにが実験だ。人をおもちゃにして……いや、“人”ではないのか。じゃあ俺はいったい何なんだ。この感情は、どこから来るんだ。
「すみません……」
メビウス1があやまる。すまなそうに、いかにもしゅんとして。
笑顔はできないのに、そういう顔はできるんだな、と内心で皮肉る。とげとげしさが言葉にも表れてしまったかもしれない。
「……君があやまる必要はないだろ」
存外、冷たく響いてしまった。
「いえ、俺も……真実を知りながら、ずっとあなたを騙していたので」
「君はあいつに命じられていただけだろう」
「それは……、でも」
「もういいんだ。……ひとりにしてくれ」
床から立ち上がる。
これ以上会話していたら、自分の中のどうにもならない怒りを彼にぶつけてしまいそうだった。それは嫌だ。そんな自分にはなりたくない。自分が人間ではないのだとしても。
「待ってください……!」
メビウス1がさっき殴りつけた右手を両手で握ってきた。
「放してくれ」
「い、いやです」
「放せ、メビウス1」
さっきよりも語気を強める。命令すれば彼は聞くはずだ。アンドロイドにとって主人の命令は絶対だ。
メビウス1はビクリと身体を震わせたが、手を放そうとはしなかった。
なぜだ。
俺が人間ではなく、彼と同列の存在だからか。これまでは俺を騙すために仕方なく命令を聞いていただけで、もはや主としても認識されていないということなのか。情けなさが喉にまでせり上がる。自分がこれまで信じていたものは何だったのか。自分が人間ではなく機械だったと言われて、「はい、そうですか」なんてそう簡単には受け入れられない。足元がぐらぐらして立っていられない。
実際に強いめまいを感じてふらついた。それをメビウス1が立ち上がって抱き止めた。
「大丈夫ですか……? やはり、ボディの調子がよくないようですね。一度、博士に診てもらった方が」
「ハッ、……あいつに?」
皮肉に口を歪ませた。顔を片手で覆う。きっと醜い、ひどい顔をしている。
友人だと思い込まされていたヤツが自分の生みの親だったとは、一番信じたくないことのひとつだった。
「あなたが望むなら……記憶を消去……することも可能です。機械だと知った記憶を消して、人間であった頃に戻る……」
メビウス1が言いづらそうに言った言葉――記憶の消去。
機械なんだから、そんなこともできるんだな。と、どこか他人事のように思う。
「これ以上、自分の頭をいじくられるのはごめんだな」
「自分が機械であると受け入れるのですか?」
「………………それが、真実なら」
本当は受け入れたくなんかない。けれども知らなかった頃にはもう戻れない。記憶を消して、再び人間として振る舞う自分を想像したら薄ら寒くなった。
――道化だ。
ずっとメビウス1にもそんな茶番を強いていたのかと思うと、恥ずかしいし、情けない。
「スカイアイは、強いんですね」
「え……?」
「あなたは自分自身に誇りをもっている。同じアンドロイドの俺から見ても、あなたはとても感情豊かで、人間のように見えます」
「そう、だろうか」
「俺は戦闘用なので、感情というものをほとんど理解できません」
ハッとした。
彼は元々、戦闘用として開発された。戦闘に感情は不要。むしろ感情を持ってしまえば戦うのは辛くなるばかりだ。過去に無人機のAIが暴走した事例もある。だからメビウス1には感情がインプットされず、暴走しないようにさまざまな制限が課せられたに違いない。
少し考えればわかることだ。なぜ思い至らなかった。メビウス1が変わっているのではない。むしろ人間に劣らぬ感情を持つ俺こそが、アンドロイドとしては異端なのだ。
「でも、あなたからはいつも温かい“何か”を感じていました。それが何なのかは、わからないのですが……」
メビウス1は傷ついた俺の右手を両手で包みこみ、いたわるように撫でた。
「あなたに俺のしていることがバレたとき、どう思われるのかって……。スカイアイに嫌われるのはいやだなって、いつしか思うようになっていました」
「メビウス1……」
メビウス1の素直な言葉に、ささくれ立った気持ちが凪いでいく。
「君を嫌いになんかならない。なっていないよ」
「俺を許してくれるんですか」
「許すも許さないもない。君はなにも悪いことをしていないんだから」
メビウス1の肩に手を置く。気にするなという意味をこめて。
「さっきは……怒鳴ったりして悪かった」
「いえ……」
ふるふると頭を振るメビウス1。肩に置いた手に、そっと彼の手が重ねられた。

その日の夜。機械であると納得したにも関わらず、俺は自分の寝台に横になっていた。アンドロイドに睡眠は必要ないはずだが、日頃の習慣だろうか。それとも、そのように俺が作られているのか。わからないが、いつものように眠くなり、いつものように眠った。
すると、夢を見たのだ。
人間であればなんの不思議もない話だが、俺はアンドロイド。夢など見るはずもないのに。

研究室のような、パソコンやコンピューターがたくさんある部屋だった。モニターのひとつが暗い部屋の中で煌々と光を放つ。俺はそれを、見るともなく見ていた。
コツコツと革靴の音が聞こえる。スーツを着た男が部屋に入ってきた。
男はモニターの前に座り、誰もいない虚空に向かって語りかけた。
「おはよう、メビウス1」
どこからか、男でもなく女でもない機械音声が応える。
「おはようございます。スカイアイ」
「調子はどうだい?」
「悪くありません。あなたはいかがですか?」
「うん、最近は、悪くないよ」
しばらくそうして機械と他愛ない会話をする男。
男の声は機械に話しかけているとは思えないほど柔らかく、優しく、とろけるような甘さを含んでいた。
「今、君と同時進行で俺のAIも開発してもらっている」
「はい。知っています。ですが、なぜですか。あなたのAIを作る意味が見いだせません」
男はしばらく沈黙し、ため息で沈黙を破った。
「……そうだな。君にだけは話しておこうか。メビウス1」
内緒話をするように声を潜める。
「今、軍の内部でも無人機を製造するべきか、せざるべきか、意見がわかれている。開発が進められている“君”も、いつどうなるかわからない。完成はいつになるか全く不透明だ。数年……いや、十数年かもな。君が完成するとき、すでに俺はこの世にいないだろう」
語りかけられたモニターは沈黙していた。コンピューターの鳴動が静かな部屋に響く。
男はふ、と息を吐くように笑った。
「悲しまなくていい。俺は彼にようやく会えるんだからね。その時を思うと今は幸せだよ。ただ、君のことは気がかりだ」
「ワタシ……?」
「君がひとりになって、さみしい思いをするんじゃないかって、ね。勝手なことをと思うかもしれないが、俺はメビウス1を二度と孤独にしないと誓っているんだ」
男は機械に向かって微笑んだ。
「だから“俺”を残していくことにしたんだよ」