それは呪いか、愛か - 3/3

3.

 

次の日、俺は久しぶりに爽快な気分で目覚めた。絶えず頭に張りついて取れなかった痛みは消え、身体が軽くなった気がする。
まだほの暗い部屋のベッドで身じろぐと、温かい胸筋の感触が肩に触れて、そういえば昨夜スカイアイと一緒に寝たのだったと思い出した。
昨日は色々と恥ずかしいことを言ったり言われたような気もする。あまり思い出さない方が身のためかもしれない――。
スカイアイも身じろいで、目を覚ましたようだ。
「おはよう、メビウス1」
「おは、よう……」
「今日は顔色、よくなったな」
そう言って横たわったまま至近距離で頬を撫でられ、まだ眠そうなかすれ声でささやかれて、俺は一気に血圧が上がった気がした。
がばっと身を起こしてベッドから抜け出す。
「そんなに急いで起きなくても……」
もう少し寝ていたかったのにとスカイアイが少し不満げに漏らす。そこへ俺の腹が盛大にぐう、と鳴った。
パッと腹に手をやってみるが、そんなことで腹の虫はおさまらない。スカイアイが吹き出した。
「なんだ、腹が減ったのか。いや、いい兆候じゃないか?」
確かに、体調はかなりいい。たった一晩、彼と一緒に寝ただけでここまで回復するなんて、自分はなんて現金なんだろう。単純すぎて呆れる。あんなに眠れなかったり食べられずに苦しんでいたのに、身体には失われていた生気がみなぎっている。今なら何度でも戦場に行ける気さえする。
「よし、じゃあ顔を洗ったら君の腹の虫を黙らせに行こうか」
そうして身支度を整えたあと、スカイアイと共に朝食を食べた。コンソメスープにスクランブルエッグ、ウインナーにサラダ。吐き気もなく、久しぶりにものを食べて美味しいと思えた。食べ物が美味しいと思えないのは本当につらかった。人生の楽しみを半分くらい失っている気がするし、食べるということは生きることに直結している。食べられないのは、まるでゆっくり死んでいくような感じがして怖かったのだ。
メビウス1は食事を噛み締めながらスカイアイに尋ねた。
「そのお守り、どうするの?」
「俺はこういう非科学的なことには疎いから、やはり専門家を頼るべきだろうな」
「専門家って……?」
「超常現象や呪い、オカルトとか。まぁ、そういうものに詳しい人を当たってみよう」
「大丈夫かなぁ……」
なんかすごく怪しそうだ。
「俺なら、だいぶ体調もよくなったし平気だよ」
そう訴えたのだが、スカイアイは「なんとかする」と言って聞かなかった。

それから一週間がたち、再びストーンヘンジに挑む時がきた。スカイアイが出撃する前に固い顔で、お守りを預けた結果を報告してくれた。
「メビウス1、君の“死に戻り”の呪いを今、解くことはできないんだ。すまない」
スカイアイの言うことはわかる。俺の力がなければもはやこの戦争に勝つことはできない。スカイアイを救うためにも戦うのを辞めるわけにはいかないんだ。
元より承知の上だ。俺は深くうなずいた。
「ただ、君の感じる死の苦しみを取り除くことはできた」
「え……!? そんなことできるの?」
「ああ……おそらく。だからたとえ死んでも――できれば死なないでほしいのが大前提だが、以前のように苦痛を感じることはないはずだ」
「そっかぁ……」
スカイアイは珍しく歯切れ悪く言葉を紡いだ。専門家とやらに何かしてもらったようだが、まだ確証がないから不安なんだろう。実際に効果を確かめるには、俺が死んでみるしかないのだから。
でも、もしそれが叶うならすごいことだ。
この“死に戻り”の能力はいわば不死身になれるし、何度でもタイムリープできるのが最大の利点だ。そして最大のデメリットが「死の苦しみを味わう」ということだったから、デメリットが全くなくなる。メリットしかない能力になってしまう。
本当にそんなことが可能なのか。
俺もスカイアイも、半信半疑のまま戦場に挑んだ。
ストーンヘンジは、結果的には死なずに攻略できてしまった。すでに何度も死んで攻略法を編み出しつつあったからだ。
その次に俺が死んだのはサンサルバシオンでの戦闘だった。あの黄色中隊がわらわらいて、俺を目の敵にして追ってくるからだ。俺は地上軍の侵攻も助けながらそれらの相手もしなければならなかった。
その時の俺の死に様はこうだ。
少々無茶をして黄色中隊の一機に至近距離でミサイルを打ち込んで撃墜した。しかし、その敵機が爆発した時の破片をもろに食らった。キャノピーを突き破り、身体に無数に突き刺さる破片。そして自機ごと爆発した。
不思議なことに、感覚はあるが痛みはほとんどなかった。
身体に刺さる破片。
舞い散る血。
すべてが現実味が薄く、まるで夢を見ているみたいだった。
そして時は巻き戻る。
俺は嬉しくなって、朝の食堂で会ったスカイアイにいの一番に報告した。
「スカイアイが言っていたとおり、全く痛くも苦しくもなかったよ!」
「……そのようだな。上手くいってよかった」
スカイアイが微笑んで受け答える。それに対して疑問が浮かぶ。
「あれ……? スカイアイにも、記憶があるの?」
よく考えたら、死んだ時の記憶は自分にしかないはずであった。だからスカイアイにさっきの話が通じるのはおかしい、と今さら気づいたのだ。
「どうやらそうみたいだ。君の記憶は俺も共有している」
「へぇ……、不思議だな。なんでだろう」
「そうだな。もしかしたら俺がお守りを持っているせいかもしれん。わからないが……。だが言ってみれば、初めから全てが不思議で説明がつかないことばかりじゃないか」
スカイアイに言われて俺は全く疑問にも思わず「確かに」と納得してしまっていた。

それから相変わらず俺は何度も死んで、そして復活した。苦痛がなくなったせいもあり、結構ムチャな飛び方もした。エルジアも必死の抵抗を見せる。物量ではまだ向こうが勝っているから、俺もそれくらいしないと勝てなかった。
でも今は一人で戦っていたときとは違う。スカイアイが記憶を共有してくれている。効率のよい戦い方を一緒に考えてくれる。それが何よりも心強かった。
しかし、終盤になるにつれてスカイアイがだんだんやつれているような気がして気がかりだった。ぼんやりすることも多くなり、目の下にもうっすらくまがある。スカイアイに聞いても「なんともない」とか「気のせいだ」と言われてはぐらかされる。
俺は納得がいかなかったが、最後の戦いが迫り、そちらに集中せざるをえなかった。

そしてついに、黄色の13との戦い。
最後のミッション。

俺は、あの黄色の13と互角に渡り合った。
そして一度も死なず黄色の13を倒し、戦争を終わらせることができた。
今になってようやく気づいたのだが、俺は死に戻りで短期間に数々の戦闘をこなしたせいで、いつの間にかベテラン並みの技量を身につけていた。あの黄色の13と遜色ないほどの……。
ただの新人のひよっ子が、本物のエースになっていたのだ。

戦闘が終わり基地に戻った時には夜になっていた。俺はスカイアイが乗るE-767が基地に帰ってくるのを出迎えた。
タラップを下りてくるスカイアイを待って駆け寄る。
「スカイアイ!」
彼の胸に飛びこむように抱きついた。回りの目なんか気にしていられない。思いが高ぶって俺にしては珍しく大胆な行動に出てしまったが、スカイアイはそれを当然のように受け止めた。
「メビウス1……、終わったな」
「そうなのかな」
戦争が終わればこの能力も消えるのだと思い込んでいたが、そんな保証は実はどこにもなかった。そうなったらいいという希望的観測だった。だから不安になってスカイアイを見上げた。
スカイアイはうなずいて、胸元のポケットを探った。
「これを見てくれ」
スカイアイが手に握っていたのは、ずっと彼に預けていた例のお守りだ。だが、なにか違う。色褪せてボロボロで、まるでお守りだけ百年が経過したみたいな風合いになっていた。
そして二人が見ている間にお守りは、端からホロホロと崩れて灰のようになった。
「あっ」
そこへ一陣の風が吹いて、灰は空気に溶けるようにサラサラと流されていった。
「消えた……。終わった、のかな……?」
「きっとそうだろう。役目を終えたんだ」
スカイアイはそう言った後、ぐらりと身体をよろめかせた。それをとっさに支える。
「スカイアイ、大丈夫!? 顔色が悪いよ」
「すまん、目眩が……」
顔が土気色でふらふらしているスカイアイを支えながら、なんとかバンカーの側にあったベンチに彼を座らせる。
「やっぱり、ずっと体調が悪かったんだね……」
まさかスカイアイが死ぬ運命は覆っていなかったんだろうか。運命は結局変えられないんだろうか。戦争では死ななくても病気になって死んでしまったりするのだろうか。
俺のやってきたことは全て無駄だったのだろうか――。
頭の先から血の気が引いていく。震える手でスカイアイの手を握った。
「嫌だ、スカイアイ……」
「メビウス1」
スカイアイが俺の震える肩を抱き寄せた。情けない声を上げて彼の胸にすがり付いた。
「死んじゃ嫌だ……」
「死なないよ。大丈夫だ。さっきお守りが消えるところを見ただろう」
「でも……」
「これは……違うんだ」
スカイアイはしばらく迷った後、俺の涙で潤む目を見てあきらめたように長いため息を吐いた。
そして、自身の体調不良の理由を語った。

 

 

*      *      *      *      *

 

スカイアイは、とある街の郊外にある民家を訪ねていた。
メビウス1から全ての経緯を聞いて「なんとかする」と約束した。期限は一週間。
次の作戦までそう猶予もなく、忙しい中、なんとか時間を作ってやって来た。
かわいらしい作りの小さな家だ。庭にはたくさんの木や草花が生え、プランターにも花が植わっている。葉が艶やかな緑色に輝き、丁寧に世話をされているのがわかる。
ここが「現代の魔女」などと、おどろおどろしい呼び名で呼ばれる女性の棲みかだとはとても思えない。本当に普通の家だ。
だが、逆にそれがいわゆる“本物”を裏付ける証のような気もした。本当に力を持った人というのは表には出てこないものなのだろう。

スカイアイが一番最初に訪ねに行ったのは、当然のことだがこのお守りを買った神社だった。しかし神社の宮司は、ただのお守りがそんな不思議な力を持つなど考えられないという。宮司自身は特別な力を持っているわけじゃない。何の解答もできないかわりに宮司は呪いやまじないに詳しい女性がいるとスカイアイに紹介してくれた。それがこの家に住む女性だ。
インターホンを鳴らす。
しばらくして応えがあり、熟年の女性が玄関から出てきた。優しそうな雰囲気が顔に刻まれたシワから感じられる。
「いらっしゃい、待っていましたよ。……どうぞ中へ」
家の中へ招かれ、リビングのソファーに座る。出されたのは花の香りのするハーブティーにクッキーだった。自家製らしいそれを飲みながらスカイアイはことの経緯を詳しく女性に話した。
「そのお守りを見せていただける? ミスター」
スカイアイはスーツの胸ポケットからお守りを出した。それをしばらくじっと見ていた女性が、何度かうなずく。
「このお守りには、確かに強い呪いがかけられていますね」
「一体……誰が、何のために?」
メビウス1は誰かに恨まれるような人間じゃない。スカイアイにはまるで心当たりがなかった。
女性は一呼吸おいて驚愕の言葉をスカイアイに放った。
「あなたよ、ミスター」
スカイアイは目を見開く。息を吸って、吐くのを忘れるほどの衝撃を受けた。
「まさか……っ、俺が彼を呪うなんてそんなこと、あるはずがない!」
愛しているのにと言いかけ、ハッとして口を閉じた。
思わず強い口調で言い返してしまったが、すぐにそんな自分を恥じて「失礼した」と咳払いと共に謝罪した。初対面の女性に向けた態度ではなかった。
「このお守りはミスターが青年に贈ったものだと言いましたね。その時、何を思って渡しましたか?」
「それは……彼が無事であるように、と」
彼が戦争で死なないように願った。だがそんなのは当たり前だ。誰だって相手の無事を願って渡す。お守りとはそういうものだろう。特別、不自然なことをしたとは思えない。
女性は、納得のいかないスカイアイの疑問に答えた。
「呪いなどと言うと不気味に聞こえるけれど、要は強い思い、強いエネルギーの塊なの。あなたはこの青年の無事を願った。その強い思念がこのお守りを特別な呪物へと変容させた。そしてそこへ青年は強い思いであなたを救いたいと願った。その願いに反応し、呪物となったお守りは彼に不死の力を与えたのでしょう」
「まさか、そんな……」
スカイアイは信じられない思いがして目が眩んだ。それでは彼の苦しみの全ては自分が原因で生み出されたようなものじゃないか。彼を愛している自分が……。
スカイアイは蒼白になり、口元を押さえて黙りこんだ。
「ミスター、そんなに気を落とさないで。呪いやまじないといったものは、無意識で願った純粋なものが何よりも強い効力を発揮するのです。彼を……愛しているのね」
スカイアイは蒼白だった顔にさっと朱を上らせた。この女性にことの経緯を話した時、自分の気持ちやメビウス1との関係を特に説明はしなかった。必要ないと思われたし、プライベートな話を初めて会った女性にするのも躊躇われた。しかし自分の感情を他人に言い当てられたことに妙な羞恥を覚える。
「呪いも、愛も、似たようなものなのよ。ベクトルが違うだけで、どちらも強い想いには違いないのだから」
女性が慰めるように言葉を紡いだ。
スカイアイは衝撃から無理やり立ち直り、この呪いを解くことはできないのかと、当初の目的を女性に尋ねた。
「残念だけど、呪いは解くのがとても難しいの。でも、あなたの大切な青年が死の苦しみを感じないように苦痛を反らすことはできるかもしれないわ」
「本当ですか」
「ええ。だけど呪いはあなたから発せられたもの。反らしたエネルギーはあなたへと還ってゆく。あなたが変わりに彼の感じるはずの苦痛を受けることになるのよ。それでも構わない?」
メビウス1の死の苦痛を肩代わりできるということか。スカイアイは一も二もなくうなずいた。
「それで結構です。やってください」

そうしてスカイアイはメビウス1が戦いで死ぬたびに、メビウス1が受けるはずの苦痛をその身に受けた。全身を刺し貫かれる痛み。呼吸すらできなくなる苦しみ。意識が遠のいていく恐怖。
誰かに無意識に助けを乞いたくなるような苦痛だった。メビウス1はこんな苦痛をずっと一人で耐えてきたのか。
タイムリープした日の朝、メビウス1が明るい笑顔でなんともなかったと報告してくれたとき、スカイアイは心から安堵した。
彼が耐えてきた苦痛だ。ならば自分にも耐えられる。いや、耐えなければならない。そう思った。
死ぬときの苦痛もつらいものだったが、戦いで無惨に死ぬメビウス1を見続けるのも、スカイアイにとってはたまらない苦しみだった。愛しい人が目の前で死んでいくのを何もできずに見ていなければならない。ただ、彼が何の苦痛も感じていないのが唯一の救いだった。
そうしていつの間にか精神はすり減り、スカイアイもメビウス1と同じように徐々に身体に不調をきたすようになった。ずっと強いストレスを感じ続けるのだから当然だ。だがそれも、戦いに勝って呪いがなくなったのだからいずれよくなっていくだろう。

「スカイアイ……なんで……、なんで言ってくれなかったんだ。知っていたら、あんな無茶な飛び方しなかった!」
なるべく死なないように飛んだのに、とメビウス1が恨めしそうに涙で潤んだ瞳を向ける。
「それだよ。君が俺を気にして自由に飛べなくなるのを危惧したからだ」
優しいメビウス1であれば、スカイアイが変わりに苦痛を受けると知れば、なるべく死なないように飛ぼうとするだろう。だが、そんな気づかいが許されるような甘い戦況じゃなかった。必死に、彼が死をも恐れぬ飛び方をして、やっとつかめた勝利なのだ。
「でも……」
「君だって黙って苦痛に耐えていたんだから、これでおあいこだ」
スカイアイはわざと軽い口調で、メビウス1の鼻をギュッと摘まんだ。
「いたっ」
メビウス1が摘ままれて赤くなった鼻をなでさする。本当は、ずっと黙って一人で苦しんでいたメビウス1をまだ許せていない。なぜ話してくれなかったのだと恨みに思う。それは多分、自分の無力感から来ているのだろう。だからスカイアイも黙っていた。黙って苦痛に耐えた。これでお互いチャラになったはずだ。
唇を尖らせたメビウス1を見てスカイアイは笑った。
その唇を素早く奪う。
鼻だけじゃなく、頬まで真っ赤になったメビウス1を抱きしめた。ほのかに汗のまじった彼の匂いがする。まわした腕に感じる張りのある筋肉の感触。温かい温度。
「呪いも、愛も、同じ――か」
「え……?」
メビウス1がキラリと光るガラス細工のような瞳を向けた。暗い闇の中、それは星のように美しくスカイアイを映した。
スカイアイはメビウス1に生きていてほしいと願った。
メビウス1はスカイアイを死なせたくないと願った。
この戦争の勝利は、二人の強い想いが起こした奇跡なのかもしれない。だがスカイアイにはそんなことはどうでもよかった。
ただ、彼がこうして腕の中にいる。
それ以上に重要な事実など、今はどこにもないのだから。