それは呪いか、愛か - 1/3

1.

 

早く。
ほんの少しでも早く。
背後に回り込もうとしていた敵機を、こちらも最小の円を描きミサイルをぶちこむ。
よし、邪魔者はいなくなった。これで地上のターゲットをやれる。
俺は高度を落とし、地上の敵軍を狙いにいった。ただ、高度を落としすぎるのは危険だ。地上には対空迎撃ミサイルや対空砲が配置されていて接近するのは自殺行為だった。しかし、俺は速度を上げて危険地帯へ飛び込んでいった。
「メビウス1、よせ! 危険だ!!」
仲間が無線で叫んでる。
わかってる無謀なのは。
だけどやらなければいけないんだ。
このミッションをクリアしないと、俺は――。

ぐんぐんと地上が眼前に迫る。機体を機銃の弾が掠めた。
――高速で抜ければ、きっと。
そう思った時だった。
身体を衝撃が襲う。何かで殴られたみたいな。パッと目の前が真っ赤に染まった。ペンキをぶちまけたみたいにキャノピーの内側にベッタリと赤い液体が張りついた。
「うわあああああ!!」
自分の口から絶叫がほとばしっていた。それをまるで他人事みたいに聞く。下を見ると太ももから血が吹き出していた。まるでスプラッタ映画みたいに。
対空砲にぶちぬかれたのだと遅れて理解した。パニックになった頭で、地上に激突は避けようと操縦桿を引いた。それはもう戦闘機乗りとしての本能みたいなものだった。
だが、そんなことをしても少し死ぬのが遅くなるだけの無駄な足掻きだった。この出血量では長くはもたない。自分でもそれくらいわかる。
視界が色褪せていく。徐々に感覚がなくなる身体。
そこで初めて、耳元で怒鳴る声に気づいた。
「メビ……ス……メビウス1! どうした、やられたのか!?」
「スカイ、アイ……」
あまりにも必死でスカイアイの呼び声にも気づかなかった。彼はずっと心配してくれていたみたいだ。
彼の声をいつも最後に聞く。そうすると痛みも恐怖もほんの少しだけ和らぐ気がする。
目尻から雫がこぼれて頬をつたった。
「スカイアイ、ごめん……。今回も……ダメ、だっ……」
薄れゆく意識の中、さっき回避した地面が再び迫っていた。このまま地面に激突するか、それともミサイルの餌食になるか。
激突して死ぬのが一番痛くないんだよな……。

最期に思ったことは、それだった。

 

 

ハッと目を覚ました。
一瞬ここがどこで、今が何時かわからなくなる。
天井は白い。飾り気のない部屋。固いベッド。
ここは兵舎の自分の部屋だ。
荒い息が唇から漏れ、心臓が痛いくらいに脈打っていた。
――生きてる。
それを実感するために、ひっきりなしに鼓動する胸に手を置いた。
生きている安堵と、また任務に失敗した落胆とを同時に味わう。わずかに失敗した落胆の方が上回っているかもしれない。なにせ数日後には再び同じ任務に向かわねばならない。それを思うと絶望に目の前が暗くなる。
起き上がって枕元に置いてあるデジタル時計を確認する。暗闇でも緑色に発光している数字を読む。
深夜の2時22分。
もはや見慣れた数字だ。何度やり直しても、この時間に復活する。
俺はさっき戦場にいて、確かに死んだ。夢なんかじゃない。痛みも苦しみも全て覚えている。でも、死ぬとこうして何事もなかったかのようにミッションの数日前に戻ってしまう。
最初はものすごくリアルな夢なのかと思った。

初めてこの現象が起きたのは、エルジアの発電所を攻撃しにいった任務の帰りだった。ストーンヘンジからの攻撃がきて、避けるには谷間に逃げ込むしか方法がなかった。だから仕方なく谷に逃げ込んだのだけれど、中は狭く、いりくんだ地形を抜けるには高度な操縦技術が必要だった。
俺は谷の岩壁に激突して死んだ。
それが初めての“死”だった。
気がつけばミッションの数日前に戻っていた。今と同じように兵舎のベッドの上で目覚めた。身体にはどこにも傷はない。しかし、失敗して死んだ記憶はしっかりと残っていた。
それから三回、同じミッションに挑んで死んだ。そのたびに時が戻って復活した。
わからない。なぜこんなことになったのか。死んでも死ねない。まるで呪いみたいに……。
俺はいたって普通の人間だった。時を戻すなんて芸当が出来るはずがない。そんな能力はなかったんだ。
唯一、心当たりがあるとすれば――。

 

早朝の食堂へと向かう道を歩く。
まだ春は遠く、寒さにかじかんだ手を擦り合わせた。
廊下の向かいからスカイアイが歩いてくる。
「やあ、メビウス1。ずいぶん早いな今日は」
片手を上げてにこやかに挨拶をしてくるスカイアイを何度見ただろう。
「うん……、眠れなくて」
「大丈夫か? 顔色がよくないな」
「大したことないから」
「そうか……。無理するなよ」
このやり取りも何回目だろう。イヤになる。
目の前に立ちふさがるミッションは難しくて、もう何度もやり直している。記憶は残っているから前回ダメだった点を反省して、次はクリア出来るように作戦を考える。そのくり返しだった。
スカイアイと食堂へ入ると、まだ時間は早いものの食事をしている兵士が何人かいた。彼らはこちらをチラリと見ると隣に座る仲間と顔を寄せあってひそひそ話をする。「ほら。あいつ」とか「ああ、例の……」とか何か言ってる。
いい噂をされている雰囲気ではなかった。
スカイアイがポンと肩に手を置く。
見上げると、こちらを元気づける微笑みをくれた。
「気にするな」
「うん……」
うっすらと笑みを返す。
このやり取りも実は何度もしているのだけれど、不思議とこれは何度やっても見飽きない。いつも嬉しく、心がほのかに温かくなるような気がした。
兵士たちが俺を変なものを見る目で見てくるのも仕方がないと思う。俺が突然覚醒して強くなったように見えているはずだから。
俺は初陣を果たしたばかりの新兵で、当初は抜きん出た才能なんかなかった。それが急にエース級の働きを見せだしたのだから、皆が違和感を覚えるのも無理はなかった。
俺は同じ戦場を何度もやり直している。いわばズルをしているのだ。だから敵の配置も種類もわかるし、急な増援にも対処できる。
少しでも早く、少しでも多くの敵を倒す。そうしなければISAFの勝利はなかった。それほど自軍のおかれた状況は厳しい。
全ては我が軍の勝利のために……。
「メビウス1?」
「あ……っ、な、なに?」
「さっきから食事が全然進んでないぞ。食欲がないのか? ……本当に体調は大丈夫か?」
スカイアイがこちらを心配そうな目で覗き込む。それに少し怯んでしまう。スカイアイの青い瞳に嘘を暴かれてしまいそうで、うつむいて視線をそらした。
食欲なんてない。
さっき太ももをぶち抜かれたばかりだ。いくら身体に傷ひとつないと言っても痛みは忘れられない。死ぬ前の、意識が薄れていく恐怖もありありと残っている。
いつも死ぬのが怖くてたまらないのだ。死にたくないと本気で思う。でも、死ぬ。そしてまた時は戻り、恐怖と戦いながら出撃して、また死ぬ。
地面に激突して死んで。
敵のミサイルで爆散して。
機銃が機体を掠めて内部が炎上。足から焼かれる苦痛を味わったこともある。あれは最悪だった。自分の肉が焼け焦げる臭いを思い出してしまって、目の前に並んだ朝食の匂いに吐き気を覚えた。
「一度、軍医に診せた方がいいんじゃないか」
スカイアイの声に肩をビクリと跳ねさせた。首を勢いよく横に振る。
「しかしな……」
「もういい、ごちそうさま」
「あっ、……おい!」
スカイアイを置いて足早に食堂を去った。これ以上詮索されたらボロが出てしまうかもしれない。
自分が置かれている状況を誰かに話すわけにはいかなかった。言ったところで信じてもらえるはずがない。頭がおかしい奴と思われるだけだ。
でも、スカイアイだけはもしかしたら信じてくれるかもしれない。優しい人だから。

だけど、スカイアイにだけは言えない。

絶対に、言えないんだ。

 

そしてまた戦場に出なければならない日がやってくる。
大丈夫。敵の配置は全て頭に叩き込んである。効率のよい動きかたも考えた。あとは焦らず、無理をせず、確実に。
戦闘機に乗り込むと、手が、身体が勝手に震えだした。
散々シミュレーションしたんだから今度こそ大丈夫だと自分に言い聞かせるのだが上手くいかない。戦場に出るのが怖くてたまらなかった。
胸元を探って紐を手繰り寄せる。紐の先には小さな青いお守りがついている。
これは以前スカイアイと神社に行ったとき、彼が買ってくれたお守りだった。「無事に帰ってこられるように」と。それ以来ずっとこうして紐を通して身につけている。
戦場に出る前にこのお守りをぎゅっと握ると少し安心する。すり込みみたいなものかもしれない。でもスカイアイが側にいてくれているような気がして、気持ちが落ち着くのだった。
そのお守りを握って大きく深呼吸する。
ふぅと息を吐く。
震えは止まっていた。
「よし、行こう」
誰にともなく呟いて、機体を発進させた。

 

今回は、ミッションを成功できた。
ようやく、という思いがする。
「メビウス1」
デブリーフィングを終えたスカイアイが声をかけてきた。
「スカイアイ、お疲れ様」
「ああ、君こそ。今回もすごい活躍だったな。皆、君のことを鬼神のようだと話していたんだ」
「買いかぶりだよ……」
「どうした、せっかく勝利したのに元気がないな。もしかして……ベルツ中尉のことか?」
ベルツ中尉は今回の作戦で、地上軍B部隊の指揮をとっていた人だ。
「助けられなかった……」
「仕方ないだろう。君のせいじゃない。君は十分すぎるほど力を尽くした」
「でも、俺がもう少しでも早く敵のA-10を始末できていれば……って」
「メビウス1」
スカイアイが肩に手を置く。
「自分が万能だなんて勘違いするな。君は確かにすごい力を持っているが、何でもできるわけじゃないだろう。全ての責任を負う必要はないんだ」
スカイアイの慰めはとてもありがたい。でも今の俺には遠かった。今の俺はほぼ万能に近い。何度でも死ねる、いわば不死身の状態だ。ベルツ中尉も救おうと思えば救えるのかもしれない。でもそのために自らを殺して時を戻そうとは思えなかった。ベルツ中尉には悪いが、彼のために死ぬ苦痛を味わいたくないんだ。
利己的で打算的な自分を思い知って嫌気がさす。
俺が、死んでも救いたいのは。
肩に置かれたスカイアイの手を握る。そっと両手で包んで手の温かさを胸の前に感じた。
「メビウス1……?」
スカイアイが瞳に戸惑いを揺らめかせた。
――あなただけだから。
音に乗せずに、唇で呟いた。

 

あれは俺が初めて“死に戻り”を体験するよりも前のことだった。
俺は罪深いことに、弱く、非力で、何の才能もなかった。
俺は任務に失敗して、敵の侵攻を許した。そして何の防衛手段もないスカイアイの乗るE-767を撃墜されてしまった。
AWACSは俺たち戦闘機を指揮統制する司令塔であり、また敵の接近を探知するレーダーの役目もある。AWACSがなければ俺たちは目をつぶって敵と戦うようなもの。ISAFは負けたも同然だった。
だが、俺にはそんなことはどうでもよかった。
スカイアイが死んだ。
死んだんだ。あっけないくらい簡単に。空の上で粉々になった。
もう、あの人の優しい声は聞けない。
俺の大好きな空みたいな瞳に見つめられることもない。
俺に生きていていいのだとあの人は教えてくれた。それなのに、あの人がいなければ、俺はこれから何のために生きていけばいいのか……。
この世界から青い色が消えていく。
どうして守れなかったんだ。あの人を守るはずの自分がどうして生きているんだ。ありえない。こんなのは認められない。役に立たない自分の命なんていらない。
俺の命なんかいらないから、あの人をどうか返してくれ!

俺はスカイアイに貰ったお守りを握りしめて、この世界の誰かに強く願った。信じる神なんかいないくせに。
すると、まるで呼応したかのようにお守りがまばゆい光を放った。
そして気がつけば数日の時が巻き戻っていた。失敗した任務より前の時間に。
俺は深夜の二時だというのに自室を飛び出し、スカイアイの部屋の扉を強く叩いていた。
扉が開けられスカイアイが驚いた顔で現れた。
「メビウス1!? 一体どうし……」
その姿。声に、涙が溢れて止まらなかった。衝動的にスカイアイに飛びつき、抱きつく。
「お、おい……」
温かい。
生きてる。
スカイアイが戸惑いながら俺を抱きしめ返して、そっと背を撫でてくれた。
「どうした、怖い夢でも見たのか」
動揺が過ぎ去ったらしいスカイアイは聞いた。その優しく、どこか甘く響く声に、また涙腺が緩んだ。

俺に死に戻りの能力がついたのはそれからだ。
俺が任務に失敗するとISAFは負け、スカイアイは死ぬ。何度か繰り返しても運命は変わらなかった。
だから俺は何としても勝たなければならなかった。