それは呪いか、愛か - 2/3

2.

 

ついに、ISAFを苦しめたストーンヘンジを破壊するというミッションがやってきた。
俺はやっぱり何度も死んだ。至近距離からストーンヘンジに撃ち抜かれて粉々になった時もあれば、砲台にぶつかって叩き落とされたりした。
それを乗りこえても黄色中隊との戦闘がある。
もう、何度死んだかわからない。
俺はだんだん戦場に行く日が迫ってくると吐き気をもよおしてしまうようになった。夜になると死ぬ悪夢にうなされる。もはや夢と現実の区別もつかないくらいに。
何度も死に戻りを繰り返すうちに、身体は傷つかなくても、もっと大切な何かが身体の中から抜け落ちていく。
いつになったらこの悪夢は終わるのだろう。何度も何度も同じ日の繰り返しで、自分だけが永遠に抜けられぬループに閉じ込められたようだった。
フラフラとおぼつかない足取りで廊下を歩いて階段を下る。階段を踏み外し、身体が前にぐらりと傾いた。身体はピクリとも動かせず、受け身を取ることもできない。
それなのに「階段の角にぶつかるのは痛そうだな」と、頭は妙に冷静だった。痛いのは嫌だ。
「危ない!」
誰かが強く腕を掴んで、前に倒れそうな身体を引き戻した。ゆっくりと掴んだ腕を振り返ると、少し怖い顔をしたスカイアイがいた。
「メビウス1……」
スカイアイはそれきり何も言わない。怖い顔をしたまま俺の顔、頭から爪先まで全身を見て、腕を引っ張った。
「やはり軍医に診てもらおう」
「い、いやだ」
「いつまでそんな子供じみたワガママを言っている気だ。君は自分の状態がわかっているのか?」
階段から強引に引き上げられ、腕を取られる。
「こんなに痩せて、げっそりして。目の下もくまができて真っ黒だ。……悪いが、強制的に連れていく」
そういってスカイアイは俺の腕と肩を掴んで歩く。俺は血の気が引いた。軍医に診せられて、もし健康状態が悪ければ戦場に出してもらえなくなるかもしれない。それは駄目だ。絶対に駄目だ。
「やめ……っ、やめてくれスカイアイ……! 嫌だ! 俺は大丈夫だから……」
だって俺は死んだって死なない身体なんだから。そう口から出そうになったのをぐっとこらえた。
俺はスカイアイの腕を外そうともがいた。
「大丈夫なわけないだろう!」
スカイアイに怒鳴られて、身体がビクリとすくんだ。スカイアイは以前から俺の体調を心配して、何度も軍医に診せるようにすすめていた。それを無視し続けていたのは俺だから、彼が怒るのも無理はない。優しいスカイアイが声を荒げるなんてよっぽどだ。自分がひどく情けなく感じる。俺だってスカイアイを怒らせたくなんかない。だけどもう、どうしたらいいのかわからない。
弱りきった精神がひび割れ、崩れていく。
「いや……大きな声を上げてすまなかった。……メビウス1、とりあえず俺の部屋に来ないか」
スカイアイが気をつかったのか取り繕うように言う。
――軍医のところじゃなければ何でもいい。
俺はうなずいた。

スカイアイは自室で温かいミルクティーを淹れてくれた。ほのかに甘いそれは傷んだ胃に沁みわたるように美味かった。
ソファーに並んで座りながら、スカイアイは俺がミルクティーを飲む様をじっと見ていた。
「メビウス1、君は最近きちんと食事をとれていないんじゃないか」
「え……」
「以前に比べてずいぶん痩せたように見える」
そう言われて、自分の身体を見下ろす。しかし自分では毎日見ているせいかよくわからない。が、食べられないのはその通りだった。食べても戻してしまうのだ。食欲もなかった。
「君が何を隠して、何に苦しんでいるのか……話す気はないか」
スカイアイがそっと静かに尋ねてきた内容に、俺は驚いて顔を上げた。
「俺が何も気づいていないとでも?」
こちらを見つめるスカイアイの真剣な瞳に気圧される。スカイアイは一体、何に気づいたっていうんだろう。巻き戻った時間分の記憶を全て持っているのは自分だけ。彼が何かを気づくはずはない。
それなのにスカイアイは俺が何かを隠しているはずだという自分の直感を信じているみたいだった。
「話してくれ、メビウス1」
「う……」
スカイアイに頼まれると俺は弱い。俺は彼が好きだから、本当は何だって言うことを聞いてあげたい。だけど秘密をばらすわけにはいかない。
「俺には何ひとつ、相談もしてくれないのか?」
説得しようとするスカイアイはじりじりとこちらへ身をのり出してくる。それを背を反らして、距離を取る。
「ごめん、言えないんだ……」
「なぜ? ……君が心配なんだ。何でもいいから話してくれ。俺はそんなに頼りないか?」
狭いソファーの上でスカイアイがどんどん迫ってくる。俺は端にあるひじ掛けにまで追いやられて逃げ場がなくなった。
スカイアイとかつてないくらいに距離が近い。俺の吐息がスカイアイにかかってしまいそうで恥ずかしくてそっぽを向いた。
「……そうか、わかった」
スカイアイの声が一段低くなったような気がした。腕を取られ、力づくで引き寄せられる。驚いているうちに視界が反転して、ソファーの上に引き倒されていた。上からスカイアイが両腕を押さえてのしかかってくる。
「……!?」
あまりの状況に頭がついていかなかった。身体は弱っていて、上から押さえつけるスカイアイを押し退けることもできない。結果、さしたる抵抗もなく拘束された。
「まだ、話す気にはなれないのか?」
「な……、あ……」
俺は動揺のあまり、無意味に口をパクパクさせた。
「そうか……」
スカイアイは少し傷ついたみたいに眉を寄せた。罪悪感が押し寄せる。彼を傷つけたいわけじゃない。むしろ守りたいだけなのに、どうして上手くいかないんだろう。
もっと口が上手ければ、彼を傷つけずに上手く誤魔化せたのかもしれない。何度死んだって大丈夫なくらい俺の精神が強ければ、彼を心配させずにすんだかもしれない。
いいや、そもそも俺がもっと強ければ彼を死なせることもなかったんだ……。
情けなくて涙がこみ上げてきそうになるのを、唇を噛んでこらえた。
スカイアイは俺の両腕を頭上で一纏めにして押さえると、服の上から脇腹の辺りを撫で上げた。
「ひぅ……ッ」
くすぐったくて思わず変な声が漏れた。身をよじる俺には構わず、スカイアイは脇腹から肋骨のあたりまで手で撫でたり、腰骨を掴んだりしている。スカイアイが手を動かす度に鳥肌が立ち、背筋がぞわぞわした。
「ちょっ……スカイアイ……っ!」
「……やっぱり、痩せているな。前から細かったが、肉がほとんどない」
スカイアイは慌てる俺を意に介さず、真剣な表情で俺の肉付きを検分している。
「こんな状態では出撃を許可できないな」
俺はくすぐったくて暴れていた動きをピタリと止めた。
「そんなの駄目だ!」
「それを決めるのは君じゃない」
「なんで……、スカイアイ、お願いだから」
「これでも俺は、だいぶ君に譲歩していたつもりだ。それを蹴ったのは君の方だぞ」
「そう、かもしれないけど……っ。俺は、戦わなくちゃいけないんだ。俺は……、だって」
「何故そんなに戦いたがる? ここに縛り付けて、出撃まで閉じ込めてやろうか?」
「そんな……! ダメだ、スカイアイ! 絶対ダメ!」
「こんな状態で戦場に出たって、ろくに戦えもせず死ぬに決まっている! 君は死にたいのか!?」
「もう何度も死んでるよ!」
ハッと目を見開いた。
しまった、カッとなって売り言葉に買い言葉で、つい言っちゃいけないことまで言ってしまった。
スカイアイも同じように目を大きく開いて、俺を見ている。
「何度も、死んでいる……? どういう意味だ」
スカイアイは不思議な言葉を聞いたみたいに、ひとつひとつの意味をよく吟味しようとしている。まずい、どうしよう。誤魔化さないと。
「あ、いや、あの、違うんだ……その、そういう意味じゃなくて……」
俺はしどろもどろに言い訳をした。
焦ると余計に何を言ったらいいのかわからなくなる。こんな時、自分の口下手が心底憎い。冷や汗が出てきた。
スカイアイは吐息で笑った。
「君は嘘が下手だな。どんなに誤魔化そうとしても『しまった!』って顔に書いてある」
「うぅ……」
スカイアイは拘束していた俺の両手を解放して、手を引いてソファーに座り直させてくれた。「手荒な真似をしてすまん」と謝って。スカイアイは本気で俺を拘束するつもりはなかったみたいだ。あれは俺を追い詰めるための脅しだった――と、思いきや「それでも君が何も吐かなければ、強制的に軍医に診せるつもりだったがな」と言われてしまった。
スカイアイを怒らせたらこわい。

スカイアイは冷めてしまったミルクティーと、自分の分のコーヒーを淹れなおしながら言った。
「実は、君の隠している秘密に心当たりがある」
「え……っ」
俺は信じられない気持ちでスカイアイをふりあおいだ。
「君の戦場での動き方だ。君はとても効率のよい敵の倒し方をする。それには一分の隙もなく、まるで最初から敵の配置がわかっているかのような動きだ」
コポコポとポットのお湯が沸くのんきな音とは正反対に、俺の身体には冷や汗が流れ始める。
「それだけならまだ確信は持てなかった。しかし、誰も予期し得ないはずの増援にまで君が的確に対処しだした時、あまりにも不自然さを感じてね」
スカイアイは入れ直したミルクティーを俺に差し出した。俺はそれをぎこちない動きで受けとる。
「これは俺の仮説だ。荒唐無稽な話だが、もしかしたら君は何らかの手段で未来を予知しているのではないか、と」
すごい。
スカイアイはすごい。何も言っていないのに、俺の戦場での動きからそこまで読み取るなんて。
目を丸くする俺に、スカイアイは「本当は君の方から打ち明けてほしかったんだが。……君は結構強情だな」と苦笑した。
同じ戦場に出ている同僚たちは、きっと自身も忙しくて俺の動きを注視してはいなかったはずだ。だから他の人間にはわからなかった。俺は戦闘でできるだけ弾薬を節約していた。それは後の増援を見越してのことだったのだが、スカイアイには不思議に映ったのだろう。
俺の動きを一から十まで冷静に追えるスカイアイだからこそ、俺の行動の不自然さに気づけた。
「そして、さっきの君の発言……『何度も死んでいる』か……」
スカイアイはコーヒーを片手に俺の隣に座った。そしてじっと茶色の液体にうつる何かを見つめている。
やっぱり誤魔化せていなかった。
ああ、もう、スカイアイが正解に辿り着くのは時間の問題のような気がする。
それにしても、俺のことなんか放っておけばいいのにこんなに気にするなんて彼はどうかしている。
「スカイアイ……」
俺が声をかけるとスカイアイは顔を上げ、青い瞳でひたと俺を見た。その目が、できれば俺の口から真実が知りたいのだと望んでいる。
「信じられない話かもしれないけど……」
「信じるよ」
すぐさま返ってくる言葉。
まだ何も言っていないのに。可笑しくなってクスリと吹き出す。その掛け値なしの信頼がじんわりと胸を温かくして、涙が出そうになった。
「えっと……、何から話せばいいのか……」
俺は上手く要約して話すのも苦手だから、天井を見上げて言葉にするのを躊躇っていると、スカイアイが「全部、最初からだ」とせっついた。
俺は、ことの始まりから全てをスカイアイに話した。
ISAFが負けると、スカイアイが死ぬ運命にあること。
それを受け入れられなかった俺が、任務が成功するまで何度も死んでやり直していたこと。

それら全てを。

スカイアイは全てを聞いて、深く長いため息をついた。沈黙が耳に痛い。彼は聞いている間、少しも横やりを入れたりはしなかった。だが俺が何度も死んでやり直していた話を聞いた時は、わずかに顔を青ざめさせた。さすがに他人事でも聞いていて気持ちのいい話じゃないだろうから、俺もこのあたりはできるだけサラッと流したつもりだ。
スカイアイは片手で顔を覆った。
「馬鹿な……。君は、俺のために何度も死んでたっていうのか……」
馬鹿と言われると、さすがに傷つく。確かに賢いやり方じゃないとは思うけど、俺に差し出せるものなんかこの命ひとつしかありはしない。
こうやってスカイアイが気にするのがわかっていたから言いたくなかったんだ。
誰だって死ぬのは嫌だろう。だからといって他人の命を犠牲にして助けられていたと知ったら気分はよくないに決まっている。はっきりいって重いんだ。自分がそれだけスカイアイに執着しているという証しでもあって恥ずかしいし、こんなこと言われても彼も困るだろう。
スカイアイは俺を見て呻き声を漏らした。頬を両手で包み込まれる。
「こんなに痩せて、苦しんで……」
スカイアイは俺を引き寄せ、抱きしめながら細く尖った肩や背中を労るように撫でた。
ぎゅうぎゅうに力をこめられる。
「あ、あの……スカイアイ……」
肩口から鼻を啜るかすかな音がして驚いた。
スカイアイが、……泣いている?
まさか。
「すまない……」
「あ、あなたのせいじゃないから。俺が、勝手にやったことだから」
「馬鹿を言うな! 愛する人が、俺のために俺の知らない間に苦しんでいたんだぞ。こんな間抜けな話があるか」
「へ、ぁ、あい……?」
今、なんて? 愛するって何?
単語は知っているけど、俺に向かって使われる言葉なのか、それは?
頭の中が真っ白になった。
しばらく呆然としていると、スカイアイが抱きしめていた身体をゆっくりと離した。青い瞳が潤んで泉のように煌めいていて、俺はそんな時でもないだろうにすっかり見惚れてしまった。
「メビウス1。君のその力、消す方法はないのか」
「わからない……なぜこんなことになったのか、それすら。でも、戦争に勝てば終わるような気がするんだ。スカイアイの運命を変えることができたら……。だってそれが望みだったし」
スカイアイは再びため息を吐いた。
「俺がやったお守りが輝いたのだと言ったな。今も持っているのか?」
「うん」
俺は紐をたぐって服の下に隠していたお守りを出した。ずっと身につけているせいで、かなり薄汚れていて恥ずかしい。だが、それ以外は本当になんの変哲もないお守りだった。
「それ、少し俺に預けてくれないか」
「え、でも……」
俺はお守りを手放すことに少し不安を感じた。いつも身につけていたからという理由と、これがないと死に戻りできなくなるのではないかという不安だ。しかし元はスカイアイがくれたお守りだ。彼が返せと言うのなら、返すべきなのだろう。
「あなたがそう言うなら……」
俺はお守りを外して、スカイアイに渡した。
「ありがとう。次の作戦まで一週間ある。その間に何か、君が苦しまないですむ方法がないか調べてみよう。大丈夫だ。きっと何とかしてみせるよ」
スカイアイが俺に向かって笑う。俺は身体からふっと力が抜けていくみたいな感じがした。
ずっと一人で抱え込んでいた重石がなくなったみたいな、そんな感じだった。スカイアイがそう言うならきっと何とかなる。そんな気がする。いや、たとえどうにもならなかったのだとしても、自分のために力を尽くしてくれる彼に感謝こそすれ、ガッカリすることなんかない。
そしてこんなに重い話を気持ち悪がらずに受け止めてくれて、真剣に考えてくれたのが嬉しい。現状を彼が共有してくれていると思うだけで、ずいぶんと心が落ち着いた。
俺はなんだかどっと疲れを感じて、大あくびをしてしまった。
「眠いのか?」
「ん……」
「そうだな、もう夜も遅い。ここで寝ていけばいい。一緒に寝よう」
「ええっ」
とんでもない提案に断ろうとしたのだが、スカイアイに押しきられて結局一緒に寝ることになった。
二人で横になると狭いベッドはいっぱいいっぱいだ。ほとんど密着した状態になる。スカイアイの匂いや体温に包まれて、ドキドキもするけど安心もするという不思議な感覚がした。
スカイアイが俺の前髪をすくい上げた。額に柔らかな唇の感触。
「今日はきっと悪夢は見ないよ、大丈夫」
微笑み、背中を軽くトントンと叩く。まるで子供扱いだなと少し不満に思うが、目蓋は急速に重くなっていくのだった。
「おやすみメビウス1。よい夢を」
その言葉に魔法をかけられたみたいに、俺は久しぶりにぐっすりと寝て朝まで起きなかった。

 

*     *     *     *     *

 

スカイアイは、メビウス1が目を閉じてすぐに寝息を立てだしたのを聞いて、ほっとした。
彼の目の下にはくっきりと隈が浮かび上がっている。頬は削げ、やつれ、どう見ても体調に異変をきたしているのがわかる。
何度も死ぬなんて、どれだけ苦しい思いをしたのだろう。普通なら気が狂ってもおかしくない。彼の我慢強さや精神力の強さがうかがえる。そんなことで証明したくもなかっただろうが。
メビウス1には戦場に出さないなどと言って脅したが、戦争に勝つために彼の力はもはや必要不可欠だった。スカイアイが止めたとしても上層部はメビウス1を戦に出すだろう。彼が不思議な力によって実力以上の働きをしているとは誰も思っていないからだ。今や、メビウス1ありきで作戦が決められている。だから彼がこれからも戦わなければならないのは明白で、スカイアイは暗澹たる思いに沈んだ。
もう二度とメビウス1に死の苦痛を味わわせたくなかった。
それなのに、正直なところ、全てがスカイアイの死を覆すためという理由を知って、スカイアイの心は歓喜にわいた。それは口下手な彼による最大級の愛の告白だったからだ。
自分の命をなげうってでも相手を救いたいという気持ち。それが愛でなくてなんだというのだ。スカイアイはずっとメビウス1のことが好きだったから、思いがけず彼の気持ちを知れて嬉しかった。
だがそうだと知れば、余計に自分のために苦痛にまみれる彼を見たくなくなった。彼を呪われた螺旋から救いだしたい。
スカイアイは眠るメビウス1の身体を、悪夢から守るようにそっと背に腕を回して抱きしめた。この腕にすっぽりとおさまる身体が何よりも愛おしかった。