緑色の瞳 - 1/3

1.

 

「メビウス1、ちょっと待ってくれ」
作戦会議が終わり、みんなが解散していく中、呼び止める声があって振り返った。スカイアイが机の上でさっき使った資料をまとめて、片付けている。
「はい」
「えーっと、今日は何時ごろに終わる?」
「……仕事?」
「そう。何時に夕食に行くのかな」
スカイアイにしては歯切れの悪い、すっきりしない話し方だった。何を目的にしているのかよくわからない。
「えっと……七時頃」
「そうか。俺もたぶんそのくらいに終わるから……よかったら、一緒に食べないか」
「夕食を?」
「ああ。ダメかな」
スカイアイが眉を下げて困ったように笑う。メビウス1は戸惑いを隠せなかった。彼がなぜ自分なんかを誘うのかがわからなかったからだ。スカイアイと、これまで一緒に食事を共にしたことはなく、なぜ急に、と疑問に思う。
スカイアイとは特別親しいわけではないと認識している。スカイアイに限らず、メビウス1は部隊の仲間の誰とも親しくはない。他の仲間たちに比べればスカイアイとはよく話をしていた方だけれど、スカイアイにはメビウス1以上に仲のいい人がたくさんいた。古株で年齢も近いオメガ1とか。
「別に……いいけど」
けれども断る理由も特に見当たらないメビウス1は了解した。
ちなみに、メビウス1がタメ口なのはスカイアイから堅苦しいのはやめてくれと言われたからで、礼儀を知らないからではない。メビウス1はただの新兵で、本来ならスカイアイとなれなれしい口をきける立場じゃないのは十分に理解していた。
スカイアイは幾分かほっとした顔で微笑んだ。まるで断られるのを恐れているようにみえた。
「じゃあ、仕事が終わる頃に――」
「お話し中すみません」
そう言ってメビウス1とスカイアイの会話に割って入ってきたのは、メビウス1と同じ頃に入隊した、若いパイロットのひとり。短く切った明るい金の髪に、少し勝ち気につり上がった緑色の瞳が印象的な、ヘイロー9だった。
「ああ、ヘイロー9。どうかしたのか」
「あの、次の作戦の部隊の配置について質問が――ここなんですが」
チラリとメビウス1を一瞥したあと、資料をスカイアイに示すヘイロー9。会話が長くなりそうで、このまま聞いているべきかどうか迷った。まだスカイアイは何か言いたそうだったから待っているべきだろうか。
するともうひとり、オメガ1までやってきた。
「スカイアイ、俺の部隊編成についてなんだが」
「ああ、わかったわかった。一度に言うな。……メビウス1、すまないが、また後で話そう」
スカイアイがこちらを向いて苦笑した。うなずいて立ち去る。
スカイアイはああして頼られたとき、それが自分の仕事の範疇じゃなくても決して断らない。優しくて面倒見がいい。だからこそみんなが頼ってくるし、いつも忙しそうにしている。
みんなスカイアイが好きなのだ。
メビウス1もスカイアイが好きだった。
変な意味ではない。人として尊敬しているという意味だ。
こんな自分にも優しく接してくれて、気にかけてくれる。彼から食事に誘われて本当はとても嬉しい。胸の中は期待で弾んでいる。誰かと食事なんて、したことがなかったから。
その日は夜までの間に、何度も時計を見て過ごした。

夕方、仕事を終えたメビウス1はスカイアイとの約束を果たそうと食堂へ向かった。彼は「また後で」と言ったけれど、スカイアイと仕事の合間にすれ違うことはなく、詳しい時間やどこで落ち合うべきかがわからなかった。だからとりあえず七時に食堂へ来てみたのだ。
スカイアイは先に来ているかもしれない。そう思ったのだが、彼の姿は廊下にも食堂内にもなかった。
仕方なく、しばらく廊下で待ってみることにした。
廊下をすれ違う人達が立ちすくむメビウス1を奇妙なものを見る目で眺めていく。そして興味をなくしたように視線を反らして食堂に入っていった。それに耐えられたのは、数分が限度だった。
待っていても来ないということは何か事情が変わったのかもしれない。会議の時のように、また誰かに頼られて忙しくなってしまったということもあり得る。というか、たぶんその可能性が濃厚だろう。
それに、メビウス1と食事をするという約束自体、スカイアイの中ではそれほど重要事項ではないのではないか。スカイアイはちょっと気まぐれに誘ってみただけかもしれないのに、メビウス1は誰かに食事に誘われる経験なんてなかったから、大層なことに思えてドキドキしてしまったのだ。
――俺が先に食事をしたところで、スカイアイに不都合はない。きっと。
メビウス1はスカイアイを待たず、先に食事を取ることに決めた。
食堂に入って今日のメニューの乗ったプレートを手に持ち、テーブルに座る。
食事の時間というのは、娯楽が少ない軍にあって、唯一の楽しみとしている者も多い。食堂は人々の話し声や笑い声が絶えない場所だ。そんな中でひとりで食事をするのはいつものことなのに、メビウス1はどこか尻が落ち着かない気分を味わっていた。

食事を終えて廊下に出たところでスカイアイにバッタリ出くわした。
――神様は意地悪だ。こんなに間の悪いことがあるか。
「あ……ス、スカイアイ」
「メビウス1」
スカイアイも驚いていたが、すぐに気を取り直して「すまない」と謝った。
「仕事が長引いて遅くなってしまったんだ。約束していたのに、本当にすまなかった。……君はもう済ませたんだよな」
「うん……ごめんなさい」
「いや、いいんだ。俺が悪い」
「スカイアイ、早くメシ食いに行きましょう! オレ腹減っちゃって」
スカイアイしか目に入っていなかったが、連れがいたらしい。後ろからひょっこり顔を出したのはヘイロー9だった。
「ああ、そうだな……。メビウス1、またな」
スカイアイはメビウス1の肩にポンと手を置いて、食堂へ向かった。その後にヘイロー9が続く。チラリとこちらを見る目。この目に見られるのは二度目だ。会議の時と、今と。
闇の中で光る猫のような瞳。
――優越感、わずかな苛立ち、嫉妬。
ネガティブな感情の塊のような。
一度目は、もしかしたら気のせいかもしれないと思った。でも、やっぱり気のせいじゃない。
なぜヘイロー9にそんな目で見られなければならないのか、考えてみても心当たりはない。が、同時に「またか」と思う。
メビウス1は昔から、ただ生きているだけで他人をイラつかせてしまうらしかった。しゃべり方なのか容姿なのか、性格なのか。はたまたその全てか。気がつけば周りから嫌われていた。容姿をからかわれたり、虐められたりもした。だからヘイロー9に嫌われていたとしても、今さら傷ついたりはしない。何か彼の気にさわることを無意識にしてしまったのだろう。だが、メビウス1にはどうしようもない。またか、と思うだけだった。

次の作戦の日にちが迫ってくると、何度もミーティングが行われ、同じ作戦に参加するメビウス1とヘイロー9はやはり何度も顔を合わせることになった。ヘイロー9はメビウス1が一人でいるときにはいたって普通で、嫌がらせをしてきたりはしなかった。ただ、スカイアイと話をしているとさりげなく間に割り込んで、そしてあの緑の視線を寄越す。
これだけあからさまにされたら、さすがに鈍いメビウス1でもわかった。
彼はスカイアイが好きなんだ。
スカイアイは誰にでも優しい。そして仕事においても有能で、頼りになる。スカイアイを深く知っているわけじゃないが、人柄は一緒に生活をしていればうかがい知れる。彼は誠実で、みんなに公平だった。
スカイアイは新兵であるメビウス1に積極的に声をかけ、わからないことを教えてくれたりアドバイスをくれた。おそらく同じ新兵のヘイロー9にも同様に接していたのだろう。だとしたら、ヘイロー9がスカイアイに好意を抱くのも仕方がないと思う。スカイアイは女性のみならず、男が惚れてもおかしくないと思わせる魅力を持っていた。
だからと言って、こちらに嫉妬をぶつけてくるのは勘弁してほしい。同じ新兵という立場だからだろうか。特別スカイアイと親しくもない自分に対して、そんなに敵意を見せなくてもいいじゃないか。
メビウス1は誰かに嫌われたところで構わなかったが、やはりあからさまにマイナスの感情をぶつけられるとそれなりに疲れもするし、気も重くなるのだった。

ある時、二人が休憩室で楽しげに話しているところを見た。離れていたから話の内容まではわからない。微笑むスカイアイがヘイロー9の短い髪をくしゃくしゃに撫でると、ヘイロー9はくすぐったそうに、飼い主に撫でられた犬みたいに笑っていた。和やかで幸せそうな光景なのに、見ていると、なぜだか胸の辺りがギュウッと締め付けられたように苦しくなった。
ヘイロー9がメビウス1に気づいて目があった。さっきまで浮かべていた邪気のない笑みが消え、どこか勝ち誇ったように目を細める。スカイアイもこちらに気づいた。見ていると思わなかった、という心の声が聞こえてきそうなほど目を見開いて驚いていた。見られてはまずいシーンだったのだろうか。そんな彼の態度にもモヤモヤした。
スカイアイの唇がなにか言いたそうに開いたが、それを聞く前にそこから足早に立ち去っていた。何も聞きたくなかった。なぜか自分が惨めになりそうな予感がしたから。
なぜあんなにヘイロー9に目の敵にされなければならないのか。そしてメビウス1自身も、仲のよさそうな二人を見て、なぜか喜べない。自分には関係ないはずなのに。
何かすっきりしないものを抱え、それでも日々は無常にも過ぎて行く。それからも、ヘイロー9はスカイアイとの仲を見せつけるような態度を変えなかった。
メビウス1たちは、次の作戦へと出撃した。

作戦はなんとか成功した。たくさんの犠牲を払って。
仲間が死んだ。
その中にはあの、ヘイロー9も含まれていた。