緑色の瞳 - 3/3

3.

 

次の作戦まで日にちがなかった。艦隊の補給を絶ったのだから、当然すぐさま艦隊自体に攻撃を開始しなければならない。敵に猶予を与えるわけにはいかない。みんな作戦の準備に忙しく、メビウス1もスカイアイと顔を合わせても私情を交えている暇はなかった。
時折、スカイアイの何か言いたげな瞳がこちらを見ていることがあったが、努めて気にしない振りをした。

数日後の大規模作戦で、不沈艦隊ともいわれたエイギル艦隊の壊滅に成功した。久しぶりの大きな勝利に、基地は喜びに沸いた。
しかし、やはり戦死者は出る。
前回の作戦から今回の作戦までは日にちに余裕がなく、戦死者を弔う暇もなかった。そのため今回の戦死者と、前回の作戦で亡くなった者を同時に弔うことになった。
「メビウス1。これ、お前の分な」
そう言って渡されたのは、少し汚れてくたびれたキーホルダー。猫のマスコットキャラクターがついている。
「オメガ1……なんですか、これ?」
「何って、ヘイロー9の形見分けだよ。お前まだ貰ってなかっただろ」
「え……」
手の中のキーホルダーに視線を落とす。マスコットの猫の目は、彼を彷彿とさせるような緑色をしていた。その目がジロリと睨んだ気がした。
「い、いらないです」
思わずオメガ1に突き返した。
「つめてぇな。一応同期だろ、お前ら」
「でも、彼とは大して親しくなかったし、それに……」
「それに?」
「俺は彼に嫌われていたので……俺なんかに形見を渡したら、彼の方が嫌がるんじゃないでしょうか……」
「ああ? ヘイロー9がお前を嫌ってたって? 誰がそんなこと言ったんだよ」
「い、いえ……誰がって……その」
大柄なオメガ1に顔をのぞき込むようにじろりと見られて焦った。スカイアイとヘイロー9とメビウス1。三者のやりとりの中でしかわからない複雑な感情の機微。そんなものを上手く説明できる気がしないし、そもそも説明したくない。
「ったく、どこ情報だよそれ。別にヘイロー9はお前を嫌っちゃいないだろ。そんな話、聞いたことないし」
「えっ……」
驚いてオメガ1を見上げた。オメガ1は顔のヒゲの剃り残しを気になるのか、しきりに手で擦っていた。
「どちらかというと、お前のことは『同期にすげぇ奴がいる』って褒めてたけどな」
信じられない言葉を聞いた。
ヘイロー9が、俺を褒めていた?
「どうやったらお前みたいに飛べるんだろうって、いつも言ってたぜ。あいつ」
再び彼のキーホルダーを見る。こちらを見つめ返すアーモンド・アイ。自分の感覚を信じるなら、彼は明確にこちらを嫌っていたと思うのだけれど、オメガ1が嘘を言うとも考えづらい。あの嫉妬を含んだ眼差しは、なんだったんだろうか。
混乱するメビウス1の背中を、オメガ1が叩いた。
「まぁ、せっかくだからそれは貰っておけ。それとお前も、もうちょっと周りの人間に目を向けろよ。お前から見た世界だけが、この世界の全てってわけじゃないんだぜ」
そう言ってオメガ1は去って行った。

――お前から見た世界だけが、この世界の全てってわけじゃない。
オメガ1から言われた言葉が、いつまでも頭の中にこだまする。
メビウス1はヘイロー9と話したことがない。どんな人物かも知らない。明るくて、だから仲間たちにも打ち解けるのが早く、可愛がられていた印象はある。だけど、それだけだ。
やっぱり自分は何か間違っていたんだろうか。オメガ1やスカイアイには何か別のものが見えていたっていうのか。
でも結局、俺には俺の見える範囲のものしか見られない。他人の見え方なんかわかるはずもない。どうしろというんだ。
ぐるぐると思考の渦のなかに迷いこんでいくようだった。気づけば基地の廊下を行く当てもなくさまよっていた。
ぼーっとして考えに耽り、廊下を曲がるときに人とぶつかった。思い切り顔面をぶつけてよろける。
「……っ」
「すまない、大丈夫……か……」
その聞き覚えのある声。鼻を押さえて見上げればスカイアイがそこにいた。
まさかこんなところで会うとは思っていなくて、しばらく彼を呆然と見上げた。ハッと我に返って逃げだそうとしたときには遅かった。
「待て、メビウス1」
すでにスカイアイに腕を掴まれていた。
「話がある」
「俺はない……!」
スカイアイの掴んだ腕から逃れようともがいた。その拍子に、手に握っていた猫のキーホルダーが床に落ちてチャリンと音を鳴らした。
「あっ」
「それは、ヘイロー9の……」
屈もうとしたが、スカイアイの腕で引っ張られて手が届かない。するとスカイアイが掴んでいた手をゆるめた。その隙に落ちたキーホルダーを拾う。丁度いい、このまま逃げ出してしまおうとスカイアイに背を向けたとき「メビウス1、話をしよう」とスカイアイから再び声をかけられた。
「ヘイロー9のことだ」
逃げようと踏み出した足が止まった。
逃げるつもりだった。スカイアイとこれ以上話すつもりなんかなかった。
それなのに。
そろりと振り返る。
スカイアイはゆっくりとうなずいて、背を向けて歩きだした。拘束されたわけでもないのにメビウス1は見えない力に抵抗できず、その物言わぬ背に大人しくついていった。

記憶から消してしまいたいスカイアイの私室で起きた出来事。スカイアイの私室に入るときに少し身構えてしまったが、前とは違い、部屋の中は不思議と暖かく感じた。スカイアイの雰囲気が、以前とは違うからだ。
「なにか飲む?」
スカイアイがソファーへかけるように促した。
「い、いえ。おかまいなく……」
ぎこちない動きでソファーに座る。
スカイアイは苦笑して「すっかり敬語に戻ってしまったな」と残念そうに言った。
スカイアイはインスタントコーヒーを二人ぶん淹れ、ひとつをメビウス1の前に置いた。スカイアイはデスクにもたれてコーヒーを一口すすった。メビウス1も手持ちぶさたで、結局コーヒーのカップを手に取った。
「この間はすまなかった」
「え……」
「あの時はつい感情的になって、君を追いつめるようなことを言った。それをずっと謝りたかったんだ」
メビウス1は呆然として、何も言えない。
明らかにメビウス1に否があるのに、この人はこんな風に謝れてしまう。メビウス1は泣きたくなった。あまりにも格が違う。いや、自分が幼稚すぎるのか。逃げ回るしか手段を知らない自分が情けない。
「あ、あなたの、せいじゃありません」
「じゃあ、どうして君は俺を避けるのかな」
切り返されて言葉につまる。
「正直、もう嫌われてしまったかと落ち込んでいたんだ」
「き、嫌われる……?」
――落ち込む? スカイアイが? むしろ俺の方がスカイアイに嫌われたと思っていたのに。
「そうだ、ヘイロー9のことを話そうと思っていたんだったな」
メビウス1が手に握っていた猫のマスコットのついたキーホルダーを見て、スカイアイは移動し、メビウス1の隣に腰を掛けた。
「俺も……聞きたいことがあります」
「なんだい?」
「あの、ヘイロー9は俺を嫌っていたんじゃないんですか?……スカイアイは何か、知っていますか」
「ヘイロー9が君を? ……なるほど、そんな風に思っていたんだね」
スカイアイは納得したように深くうなずいた。
「ヘイロー9は君を嫌っていたわけじゃないよ」
「でも……」
スカイアイは苦笑して、長い足を組んだ。
「嫌っていたわけではないが、君に対して少し嫉妬していたみたいだね。俺が君に構ったせいだろう」
「かまう?」
隣を向く。スカイアイもこちらを向いて、目が合う。
「ああ――俺が君を、好きだったから」
「す、っ……!?」
カッと頬が熱くなった。動揺して、持っていたコップからコーヒーがこぼれて手にかかった。
「あッ」
「大丈夫か?」
スカイアイが慌てて拭くものを探す。
――今、何て? スカイアイは何て言った?
ポタポタと手を伝って雫が床を茶色く汚した。それを眺めながら頭の中は混乱でいっぱいだった。コーヒーをこぼしたことなんかどうでもよくなる。聞き間違いだろうか。スカイアイが俺を好きだとか聞こえた。 そんな馬鹿な話があるか。一体、俺のどこに彼が好きになる要素があるっていうんだ。
誰かに「好き」なんて言われたのはメビウス1の人生で初めてだった。心臓がドクドクとうるさいくらいに脈打つ。
「火傷してないか?」
スカイアイはメビウス1の手からコップを取り上げる。床に跪いて汚れた手をタオルで拭いてくれた。スカイアイの、大きくて温かい手。
「そんなに熱くなかったから……大丈夫、です。……すみません」
ソファーに座ったメビウス1と、床に跪いたスカイアイの視線の高さはほぼ同じくらいだった。至近距離で見るスカイアイの瞳は吸い込まれそうに美しくて、何度もまばたきをした。スカイアイはコーヒーがかかったメビウス1の手をじっくりと検分する。
「赤くなってはいないな。気をつけろよ」
大丈夫だと判断した手は、スルリと離れていく。床も拭き終わったスカイアイが再び隣に座った。
「何の話だったかな」
スカイアイが俺に爆弾発言をしたところです――と心の中で思ったが口にはしなかった。できれば深く追求したくない。忘れてしまいたい。そうでなければ今後、スカイアイとまともに会話できる気がしなかった。
「ヘイロー9は……あなたのことを、好き、だったんですよね」
「そうだね。ただ、好きにもいろいろと種類がある。君の思う好きとは、ちょっと違うかもしれない」
「え?」
「彼は自分のことをよく話してくれたよ。だから彼のことは君より多少は詳しい」
スカイアイが小さく笑う。「多少は」なんて謙遜もいいところだ。
実際にスカイアイから仲がよかったと伝えられると胸がチクチクと痛んだ。ヘイロー9は死んだのに。メビウス1が彼を助けられなかったせいなのに、死んだ彼に対しても嫉妬するなんて、自分はなんて欲深く、醜いのか。
「ヘイロー9には十歳年上の兄がいたんだ。家族はその兄だけで、ヘイロー9は兄に育てられたようなものだったらしい」
スカイアイは目をつぶり、語った。
ヘイロー9の兄はISAF陸軍に入隊し、ただ一人の家族である弟を食わせていた。やがて弟も大きくなると空軍に入った。いつか二人で同じ戦場に立つのが夢だったとヘイロー9はスカイアイに語った。しかし夢は叶えられないまま、兄は先の戦場で還らぬ人となった。
「ヘイロー9は兄と同じ十歳年上の俺を、兄代わりに慕っていただけだ」
「でも」
「君のことは、同じ時期に入った新兵として親近感を抱いていたと思う。自分と比較して、なぜメビウス1はあんな風に飛べるのか、死ぬのが恐ろしくないのか。自分もメビウス1のように飛びたいと俺に相談してきたこともある。ヘイロー9は君を尊敬もしていたし、またライバル視もしていた。……もしかしたら、彼は君と仲良くなりたかったのかもしれないね」
初めて知った。ヘイロー9がそんなことを考えていたなんて。
いや、知ろうとしなかっただけだ。誰のことにも興味がなかったから。耳を塞いで目を閉じて、ただ自分の殻に閉じこもっていた。
「ヘイロー9は感情を隠すのが下手で、好きな気持ちも、嫌いな気持ちもあからさまだった。要するにとても素直だったんだ。でも表裏のない、いいやつだったよ」
スカイアイの顔が痛みをこらえたように歪む。泉のような瞳が深い悲しみに沈んでいる。以前スカイアイと言い合ったとき、「ヘイロー9を見殺しにしろというのか」と言って彼を責めた。愚かだった。スカイアイが悲しまないわけがない。仲のいい、自分を慕ってくれた者を切り捨てる選択をしなければならなかった彼の方がよっぽど傷ついているはずなのに。なのにメビウス1は嫉妬に目が眩んで彼を責めた。
「ごめんなさい……、ごめんなさい」
うつむいて、震える唇から絞り出すように言った。ようやく、口に出せた。スカイアイに対してだけじゃなく、ヘイロー9に対しても。
「彼の死は、君のせいじゃない」
スカイアイはそう言って慰めてくれる。しかし、メビウス1は他人にあまりにも無関心で、自分の傷にばかり注視して、自分が誰かを傷つけているとはこれっぽっちも想像していなかった。それは、とても傲慢な生き方だったのかもしれない。
手の中に握った猫のマスコット。大きなアーモンド形の緑色をした瞳がこちらを見つめている。
――そんな目で見るなよ。俺だって、ヘイロー9に憧れていたんだ。明るくて、素直で……俺が欲しくて、でもどうやっても持ち得ないものを彼は持っていた。ずっと感じていた胸の中のモヤモヤは、嫉妬だった。
もっと早く気づいていれば、彼と仲良くなれていたのだろうか。
もしも、の話に意味なんてないけれど。
「スカイアイ……これを俺が持っていてもいいと思いますか?」
「ああ、持っていてやれ。俺たちにできることは、ただ忘れないこと……それだけだ」
スカイアイが勇気づけるみたいに肩を抱いた。
それにメビウス1はこくりとうなずき返す。
このキーホルダーを見るたびにきっと思い出す。スカイアイの言葉を。
そして、ヘイロー9の生気にあふれた緑色の瞳を。