緑色の瞳 - 2/3

2.

 

デブリーフィングが終わり、みんな疲れきった様子で解散する。勝利は勝利だが犠牲が大きすぎて手放しでは喜べない状況だった。
スカイアイが堅い表情でメビウス1を呼び止めた。
「メビウス1、話がある」
「……はい」
スカイアイに素直に従った。
廊下を歩く間、スカイアイは一言もしゃべらない。重苦しい空気を背負う彼の後に続いて私室に入る。なぜか少しひんやりした彼の私室を物珍しく観察する余裕もない。
デスクに資料を置いたスカイアイが、背を向けて静かに問う。
「メビウス1、俺が何を言いたいかわかるか」
「……おそらく」
慎重に答えると、スカイアイは振り向いた。そこにいつもの柔和な笑みはなく、怖いくらい真剣な表情があった。スカイアイは怒っている。この重苦しい空気がそれを物語っている。怒ったところなんか見たことがないほど穏やかな彼を、怒らせるようなことをしてしまった。
スカイアイが目線で先をうながす。
「……戦場で、あなたの命令に背いたから」
それしか考えられない。
今回の作戦――敵エルジアのエイギル艦隊。その燃料供給源を絶つために石油化学コンビナートを破壊するのが今回の作戦の目標だった。問題は、あの黄色中隊が増援に駆けつけてくる可能性があることだった。黄色中隊の駐屯地から作戦区域はかなり離れている。黄色中隊が増援に来るかどうかはわからなかったが、来ると仮定して、可能な限り迅速に破壊し、離脱する。そうしなければ、こちらが黄色中隊に壊滅させられる。
事前に何度もミーティングで確認して頭に叩き込んだことだった。
黄色中隊とは会敵するな、と。
「黄色中隊がレーダーに現れたとき、すぐに離脱するよう俺は命じたはずだ。それなのに、なぜ君は黄色中隊と戦闘した」
「それは……」
「俺の命令を無視した納得のいく理由を示せ」
厳しい言葉にメビウス1の全身が凍ったように冷たくなる。スカイアイは理由を話すまで解放してはくれないだろう。
「……逃げ遅れたヘイロー9が黄色中隊の一機に捕まり、掩護を要請していたから」
「それで、ヘイロー9を助けられたのか?」
スカイアイは現場上空でレーダーと無線から一連の顛末は見て、答えは全て知っているはずだった。
「いいえ……。助けられませんでした」
それをわざと答えさせる。口に出すのは辛い。目の前で、味方を助けられず失ってしまった事実を突きつけられるのだから。
「その上、君自身も黄色に追跡される羽目になった。……なんとか振り切ったがな」
スカイアイは眉間にしわを寄せて腕を組み、長いため息を吐いた。
「なぜ、あんな無謀なことをした。君は確かに新兵にしては強い。驚くほどな。だが、黄色と張り合うにはまだ経験が足りないんだ。あの黄色に追われて無事に帰れたのは奇跡みたいなものだ。……自分なら倒せると思ったのか?」
「いえ……そうでは……」
スカイアイのような普段は優しい人に叱られると、自分がとんでもなく愚かで情けない人間に思えてくる。言い訳をしたい。だけど、あのときの感情は、うまく言葉にできない。ほとんど衝動で動いていた。
ヘイロー9が追われていて、彼を助けられるのは近い距離にいたメビウス1だけだった。「助けてくれ!」とヘイロー9の悲痛な叫びを聞いたとき、とっさに身体が動いていた。スカイアイが離脱するように言っていたのはもちろん聞こえていた。
噂で、その強さをさんざん聞いていた黄色中隊。
ヘイロー9は黄色の一機に後ろを取られて墜ちた。あっという間だった。メビウス1が手だしする暇もなかった。そのとき初めて黄色中隊の強さ、恐ろしさを実感した。
「メビウス1、俺が何に怒っているか、君は真に理解しているのか」
改めてそう問われ、スカイアイを見た。怒りというより悲しみに沈んだ深い青はこんな時でも美しく、胸をうつ。
「あなたの命令に背いたから……」
「違う。そうじゃない」
スカイアイはハッキリと首を横に振った。
違う? 命令に背いたからでなければ、一体スカイアイは何に怒っているんだ。
メビウス1は急に、母親に置いてけぼりにされた子供のような気持ちになった。すがるような目をスカイアイに向ける。彼はゆっくりと近づいてメビウス1の肩に両手を置いた。ぐっと力を込められる。
「俺が怒っているのは、君が自分の命を粗末にあつかったからだ」
「俺の、命……?」
「そうだ。君はあのとき、何をおいても逃げるべきだった」
「でも……それじゃあ、スカイアイは助けを求めていたヘイロー9も見殺しにしろって……!」
「その通りだ」
あっさりうなずかれてショックだった。優しいスカイアイがそんなことを言うなんて。
「そんな……あなたは、ヘイロー9と仲がよかったじゃないか」
「仲の良し悪しは戦場には関係のないことだ。一人でも多くの兵を基地に帰還させること、それが俺の責務だ」
「でも、ヘイロー9は……」
「ヘイロー9の掩護に誰かを向かわせれば、その者の命をも危険に晒すことになる。離脱が遅れれば戦線が拡大する。もっと多くの死者が出る。……そんなことは君もわかっているはずだ」
そう、わかっている。頭では。スカイアイの言うことは理解できる。だが、どこかで否定したい自分がいる。仲がよかった二人の姿が脳裏に思い浮かぶ。
彼ですら、そんな風に切り捨てられるなら、自分なんか、もっと――。
「あなたにとって、ヘイロー9はその程度の存在だったんですか……? 彼はあなたが好きだった。俺に……こんな俺に嫉妬するくらい」
スカイアイはメビウス1の肩から手を離した。眉を寄せ、横を向いて固く目を閉じて長いため息を吐く。
「今はそんな話はしていない」
聞き分けのない子供に話すみたいにあしらわれる。
「でも!」
「君は黄色と戦いたかったんだろう」
ギクリとした。
「え……」
「ヘイロー9を言い訳に、黄色と戦う理由にした……そうだろう」
冷や汗が脇を伝う。震える手をぎゅっと握った。
そんなことない、勝手なことを言うなと言いたい。それなのに一言も、凍りついたみたいに口が動かなかった。
心臓が嫌な感じに早くなる。
スカイアイは冷静な口調を崩していない。それなのにひどく責められている気がする。
「どうして……」
「わかるさ……君を見ていれば」
呆然とした俺に、スカイアイはどこか自嘲する響きで言った。
「どうしてそんなに死にたがる。俺は見ていられないんだ、死に急ぐ君を……。頼むから、もっと自分を大切にしてくれ」
スカイアイが語気強く肩を掴む。考える間もなく、その手を払い除けていた。
「俺の命をどう使うかは、俺の勝手です。あなたにどうこう言われる筋合いはない……!」
スカイアイの瞳を見据えた。普段、言いたいことの十分の一も伝えられない口から、なぜかスルスルと言葉が出た。
「メビウス1……」
「失礼します」
敬礼して、スカイアイの私室を退室する。扉を閉めるまで、スカイアイからは一言もなかった。
自分の中に閉じ込めていた本当の気持ち。
黄色と戦ってみたい――。
どうせ死ぬなら黄色のような敵と戦って死にたい。そんな夢物語を無意識にだが思い描いていたらしい。スカイアイに指摘されて、初めて気づいた。
ヘイロー9を救いたかった気持ちも本当だ。だけど極限状態で何の躊躇いもなく身体が動いたのは、あそこが千載一遇のチャンスだと本能が悟ったからなんだろう。
スカイアイはヘイロー9を利用して自分の望みを叶えようとするメビウス1の浅ましさを突き付けた。それでも彼は心配してくれたというのに、差しのべられた手を自分は払いのけてしまった。
どこまでも素直になれない、最低な自分。
「は……、今さらか」
前髪を片手でくしゃりと握る。醜く口元を歪めた。
嫌われるのが当たり前だった。
スカイアイは、これまで出会ってきた人たちとは何かが違う気がした。だからだろうか、遙か彼方に置き去りにしてきたボロボロの期待を拾い上げてしまったのは。でもそれも、今度こそ丁寧に地面に埋めて、二度と出てこないようにしなくてはならなかった。