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2.

スカイアイの言う通り、助けはいずれ来るのかもしれない。しかし、それがいつになるのかわからない。「いや、おそらくは明日だろう」とスカイアイは疑問に答えた。
今日はもう皆の仕事が終わる頃合いだった。深夜勤を除いて、これからは皆が夕食をとったり、好きなように過ごす自由時間だ。スカイアイと俺の姿がなくても誰も気づかないかもしれない。
だが、さすがに明日の就業時間になれば二人がいないことに気づくだろう。
問題は、どうやってここで夜を越すかだ。
この倉庫はとても冷える。暖房がないのだから当然だ。もう日も落ちて、さらに寒くなってきた。
二月といえど、まだまだ雪のちらつく日もあるくらいだ。深夜や明け方には氷点下にまで気温が下がるかもしれない。
想像しただけで寒気がして、腕をさすった。
「メビウス1、寒いのか?」
目ざとくスカイアイが声をかけてくる。
「あ……ううん、違う。大丈夫」
「そんな薄着では寒いだろうな」
どうせすぐに戻るだろうと考えてアウターを何も羽織らずに出てきてしまった。上に着ているのはパーカーだけだ。スカイアイもコートなどを着ておらずシャツ一枚で、俺に負けず劣らずの薄着だ。こんな状態で一晩ここで過ごしたら二人とも本当に風邪を引いてしまう。
「……あ、これが使えるんじゃないか?」
スカイアイは辺りをキョロキョロと見回して、散らかった物の中から大きな青いビニールシートを引っ張り出してきた。
「多少ほこりっぽいが、この際ぜいたくは言っていられないだろう」
スカイアイは地震によって物が散乱した床を一部、片付けて、そこへ二つ折りになった分厚いマットを敷いた。そして、その上に座って青いビニールシートを肩から羽織る。
「うん、悪くないな。君もおいで」
ビニールシートの片側を開けて、こちらを手まねいている。あそこへ入れということだろうか。
「え……っ、でも――」
俺はまごついた。
確かにビニールシートを羽織れば、かなり寒さは凌げそうではある。けれど、あんな近い距離でスカイアイと座るのかと思うと羞恥が先に立つ。
「お、俺は……いいよ」
「何を言ってる。寒いんだろう? それに、二人で入った方がお互いの体温であったかいよ」
「だ、だいじょ――ぶしゅっ!」
大丈夫、と言おうとしたらほこりが鼻に入ってムズムズして、それでも無理に言おうとしたせいで変なくしゃみが出てしまった――恥ずかしい。すごく恥ずかしい。
ほら、スカイアイも肩を震わせて笑いをこらえているじゃないか。
「ふっ――やっぱり寒いんじゃないか。風邪をひくといけないから、早く入りなさい」
「ち、ちが……」
これは寒くてくしゃみが出たわけじゃない、と言い訳をしようとしたが、あまり意味はないように思われた。しぶしぶスカイアイの隣に腰を下ろす。最後の抵抗で、スカイアイとの間にはわずかに隙間を開けて座った。
マットは固めのソファーのような座り心地で、案外悪くはなかった。
スカイアイの腕が肩に回されてドキっとした。ビニールシートを肩に掛けられる。
「ほら、あったかいだろう?」
「……うん」
ビニールシートは広げると二人の身体をすっぽり覆ってまだ余りがあるほどに大きい。そのビニールシートの端をつかんで身体に引き寄せると、自分の体温でほのかに温かかった。
しばらくその温かさに浸った。
二人の間に、奇妙な静寂が訪れる。
俺が喋らないのは平常運転だったが、普段ならスカイアイから何か話しかけてくれて、二人の間に無言の時が訪れることはなかった。そのスカイアイが、今はどういうわけかじっと黙っている。
そわそわした。
(自分から何か話題を提供した方がいいのだろうか。でも、いったい何を話せば……?)
こういうとき、自分のコミュニケーション能力のなさを呪いたくなる。楽しくなる話題なんて思いつかない。それに、すぐ隣にいるスカイアイの体温を意識してしまって、いつもより落ち着かない。
今、ここには二人しかいない。
本当に二人っきりだ。
朝まで、彼とずっと――。
「……メビウス1?」
「はっ、はい!?」
突然、話しかけられて声が裏返った。
「寒くないか?」
「う、うん」
「もう少しこっちへ来たらどうだ? 間があいていると寒い」
スカイアイとの間に、わずかに隙間があいているのを指摘される。
「あ、……大丈夫……です」
「……そうか」
スカイアイが少し気落ちした気がする。決して彼が嫌いだからとかではなくて恥ずかしいからだけれど、誤解されてしまっただろうか。
――いや、誤解されて何がいけないんだ。嫌いだと思われるなら好都合なはずじゃないか。彼と距離を取りたいと思っていたはずだ。それなのに。
「メビウス1……もしかして、俺を避けているんじゃないか?」
スカイアイにそんなことを言われて心臓が飛び出そうにビックリした。
「え……っ、なんで!?」
「いや、なんとなく……最近、君に避けられている気がして。ほら、今朝も」
「そ、そんなことないよ」
「俺は何か、君の気にさわることをしてしまったかな」
眉を下げて苦く笑うスカイアイに罪悪感がわいてくる。俺はスカイアイのこういう顔に弱い。悲しそうな顔なんて本当に見たくないんだ。
俺は事実、スカイアイを避けていた。任務もある以上、俺たちが完全に関係を絶つことはできなかった。その分、常に心に薄い壁を作っていた。それをスカイアイは敏感に感じ取ったのだろうか。
しかし、これは自分が彼をこれ以上好きにならないためであって、彼を傷つけるのは本意ではなかった。
「ううん……ごめん」
気にさわることなんてないと首をふって否定した。だけど、どこまでスカイアイが信じてくれたかは微妙だ。
「そうか……。明日には助けが来るといいな」
スカイアイは空気を変えるためか話題を変え、明るいトーンで話し出した。
「こういう所に閉じ込められると、子供の頃のことを思い出すよ」
「子供の頃?」
「昔、同じ様に物置小屋に閉じ込められたことがあってさ」
そう言って、スカイアイは懐かしそうに目を細めた。
「物置小屋を片付けるように祖父に言われたんだ。けれど、友達と遊ぶのが楽しくて。片付けるのが面倒になって、ついサボってしまったんだ」
真面目なスカイアイから「サボる」なんて言葉が出てきて驚いた。今の彼からは想像できない。「昔はやんちゃだったの?」と伝えると、「ほんの子供の頃の話だよ」と彼は苦笑した。
「俺の祖父はすごく厳しくてね。サボった俺を叱りつけて物置小屋に閉じ込めたんだ。俺はずっと、そこに仕舞われていた古い甲冑が苦手で――だから無意識に片付けをするのが嫌で避けていたんだと思うんだが――閉じ込められた薄闇の中、その甲冑だけが何故かぼんやりと光りを放っていて、怖くて怖くて……」
俺にも怖さが伝わってきた。想像してふるりと身体を震わせた。まだほんの子供だったスカイアイにはさぞかし怖かっただろう。
「大泣きに泣いて、何度も出してくれるように祖父に頼んだ。まあ、しばらくしたら祖父は扉を開けてくれたんだが……あれ以来、どうも暗いところやホラーが苦手でな」
スカイアイは大の男が情けないよ、と苦笑した。
「そんなことないよ。そういうことがあったのなら仕方ないと思うよ」
「そうかな。そう言ってもらえたら救われるよ。君に比べたらなんてことはない、トラウマとも言えないようなものだが」
ハッとした。
急にさっきのことが思い返される。
やっぱりスカイアイはさっきの地震での俺の様子を異常に感じていたのだ。忘れていてほしかったのに。
「……何が君を苦しめているのか、聞いてもいいか」
スカイアイが静かに尋ねる。
血の気の失せた手を膝の上で握った。それを上からそっと握る手がある。
「メビウス1……話したくないなら無理に話さなくてもいい。でも、もしかしたら、俺が何か力になれるかもしれない」
「スカイアイ……」
隣を見ると、こちらを見つめる青い瞳がある。優しく澄んだその目を見ていると、何もかも受け止めてくれるような錯覚をおこす。
「で、でも、俺の話は、楽しくもなんともないから」
さっきのスカイアイの話は、幼い彼にとっては笑い事ではなかったのかもしれないが、大人の視点から見ると微笑ましい話に聞こえる。
だけど、自分のはそんなのじゃない。
もっとずっと重くて、気分が悪くて、聞いた方もきっと嫌な気分になる。それがわかりきっているから誰かに話すなんて考えられなかった。
「いいんだ。楽しくなくていい。話すことで君が少しでも楽になれるなら――」
話すことで楽になれるのだろうか、本当に。このトラウマがなくなる時が来るのだろうか。
いまだにあの時を夢見てうなされ、飛びはねて起きる時がある。
だけど決して忘れたいわけじゃない。
俺は、俺だけは、あの出来事を忘れてはいけないんだ。
「俺も……昔、閉じ込められたことがある。最初はそれこそ、地震なのかと思ったんだ……」

大きな地響きと、揺れ。
感じたのは一瞬だった。次に気づいた瞬間には、俺の視界は闇に閉ざされていた。
何が起きたのかわからなかった。自分の身体は狭い場所に挟まって身動きが取れない。痛みと暗闇と混乱で恐慌をきたした俺は、言葉にもならない声で叫んでいた。その声に応える声があった。母さんの声だった。
少し離れた位置から聞こえたその声で正気を取り戻した俺は、崩れた建物の下敷きになっているのを理解した。母さんと二人、身動きができない場所に閉じ込められてしまっていた。
――どれだけの時が過ぎたのかわからない。
目を開けても閉じても同じ。一分一秒が永遠のような暗闇の中で、二人は励ましあった。「大丈夫、必ず救助が来るからね」と、母さんが言う声があったから、身動きが取れない恐怖の中でも狂わずに、なんとか理性を保てていた。
だけど、そのうち母さんの声がだんだん小さく、か細くなっていった。どれだけの時間が経っていたのかはわからなかったが、ずっと飲まず食わずなのだから当たり前だ。それだけじゃなく、怪我もしていたのかもしれない。自分もおそらく怪我を負っていた。ずっと腰の辺りに刺すような痛みを感じていたからだ。だけど、母さんには心配をかけたくなくて、黙っていた。母さんも、もしかしたら自分と同じ様に考えていたのかもしれない。痛みと苦しみの中で、俺には不安を与えまいと――。
「だけど、母さんは……」
しだいに母さんは、俺が強く呼び掛けた時にしか反応しなくなった。
「母さん、返事して」
「大丈夫、生きてるよ」と。
そんなやり取りが幾度か行われて、母さんの声は、ついに聞こえなくなった。
何度も声をかけた。暗闇の中。
母さん、母さん、と。
信じたくなかったんだ。
「誰か助けて」と、もう何度も叫んだセリフを声を限りに叫んだ。自分はどうでもいいから、母さんを助けてほしかった。喉が裂けそうになり、肺がキリキリと痛んだ。口の中に砂利が飛び込んできて、何度も咳き込んだ。
声は深い暗闇に吸い込まれていって、誰かに届くことはなかった。
身体から全ての力が抜けて、冷たい土に身体が沈んでいくような感じがした。
自分はこのまま死ぬのだと思った。
でも、それも仕方ない。母さんもきっと死んでいる。だから自分も死ぬのだと思ったら、あきらめと、少しの安心さえ感じた。
(もう、何もかもどうでもいい――。もうすぐ、母さんに会える)
そう思えば、暗闇の恐怖も、身体を貫く痛みも薄らいでいく気がした。
それなのに、神様はなんていじわるなんだろう。
全てをあきらめたその時、光が――助けがやってきた。

「母さんは、……母さんは、やっぱり――」
声が震えて続きが告げられない自分の肩にスカイアイの腕がまわされた。慰めるように。
気がつけば、二人の間に少しだけあった隙間はぴったりと埋められていた。途中、スカイアイが冷たくなった手を力強く握ってくれた。だから最後まで話しきることができたのだ。
「……後で知ったんだ。あれは地震じゃなくて、隕石が落ちた衝撃だったと。隕石が落ちた中心地ではなかったけど、その衝撃波はすさまじくて、遠く離れた俺の街も襲ったんだ」
話し終えて、身体から大きな重りを下ろしたような心地がし、長くて深い息を吐いた。誰かに自分の過去を話したのは初めてだった。
「……ごめん、こんな話……」
「いや……話してくれてありがとう。つらかっただろう。……すまなかった」
顔を上げてスカイアイを見ると、痛みをこらえた青い瞳とぶつかった。自分と同じ様に――いや、それ以上に傷ついているようにも見えた。
自分の痛みを我がことのように受け止めてくれる。そんな人がこの世にいるなんて。
「スカイアイ……」
泣くつもりはなかったのに目頭が熱くなった。顔を伏せるとスカイアイの両腕が俺を引き寄せてきて、胸の中に囲った。泣いていいのだと言ってくれているような気がした。
その腕の中で、俺は悟った。

(この人が好きだ)

この人を好きにならないようにするなんて、無理だって。

 

次の朝、いつの間にか眠っていた俺をスカイアイが揺り起こした。「助けがきた」と言って。
見上げるとすぐそばにスカイアイの顔があって驚いた。俺は彼の腕の中にすっぽりおさまって、のんきに熟睡していたらしい。こんなかたいマットの上で座りながらにも関わらず。
俺は慌てて、寝ぼけまなこをごしごしこすった。
「ご、ごめん……俺……」
「よく寝てたな」
スカイアイがくすりと笑う。
救助を待つという状況はあの時と似ているけれど、その心持ちはまるで違った。彼の腕の中はいい匂いがして温かくて、なんだかとても安心できたのだ。ずっとこのままでいたいくらいに。けれども、倉庫の外が何やら騒がしかった。人が大勢いる気配がする。扉の外から呼び掛ける声。
「スカイアイ、そこにいるんですか!」
「ああ、ここだ。メビウス1も一緒に閉じ込められてしまってな。すまないが、どうにかして開けてくれ」
しばらくして、機械のモーターが唸りをあげた。寝起きの俺には辛すぎる音だった。
目をつぶって耐える。
耳をつんざく音。
二人だけの時間の終焉を告げる音が。
扉が切り裂かれ、隙間から朝日が漏れ出た。眩しさに思わず手で遮る。
スカイアイが先に立ち上がる。肩からブルーシートが落ちた。朝の冷えた空気が、さっきまであった温もりを吹き飛ばした。
スカイアイが扉の前で朝日を背にしてこちらに手を伸ばした。逆光で彼の表情はよく見えない。
「さあ、メビウス1――行こう」
差し出されたその手を自然と握っていた。そして、彼と共に一歩を踏み出す。
光の中へ。