- 1/2

1.

空腹を感じながら食堂に入った。
朝から食堂は人の話し声で賑やかだ。
どこに座ろうかと視線を巡らせれば、扉から遠くの席に座っていたスカイアイに目が吸い寄せられた。
彼もこちらを見ていて、目が合った。スカイアイは爽やかに笑ってこちらに向かって片手を上げた。
そんなことをされては、あそこへ行くしかなくなるじゃないか。
しぶしぶスカイアイの座っている長机に向かった。
スカイアイの向かいには体格のよい壮年のオメガ1が座っていた。
「よう、メビウス1」
こちらに目線をやりながら、口には美味そうに分厚いハムを頬張っている。
「おはよう、メビウス1。となり空いているよ」
スカイアイが目で示したのは彼の左隣。そこは確かに誰も座っておらず空席だった。しかし俺はそこへは座らず、空いていたオメガ1の隣へ座った。
「……おはよう、二人とも」
言いながら朝食の乗ったプレートをテーブルに置いた。オメガ1が咀嚼をやめてこちらを見る。
その場に一瞬、何とも言えない空気が流れた。
それを努めて気にしないようにしながらスープを啜った。そんな俺の態度をどう思ったのか。二人は変な空気などなかったかのように食事と世間話を再開した。
正直なところ、二人の大人な対応がありがたかった。普通の人なら「なんで隣に座らないの?」と聞いてもおかしくはない。スカイアイはもしかしたら内心、聞きたかったのかもしれない。自分の言ったことを無視されたのだから。しかし、ここが食堂で、オメガ1が目の前にいる今は聞くべきではないと判断したのだと思う。
それでも時折、スカイアイからの物言いたげな視線は横顔に感じていた。

 

夕暮れ時の基地。
窓から見える滑走路はオレンジの光を反射してまぶしい。
今日の自分のやるべき仕事と訓練を終わらせた俺は、滑走路に着陸する戦闘機を眺めていた。
空腹を感じるが、まだ夕食には少し早い。何かヒマを潰せるものはないかと、ぶらぶら基地を歩いていた。
こういう時、友人の一人でもいれば話を楽しんだりゲームをしたりして時間を潰せるのになと思ったりする。しかし悲しいことに俺にはムダ話に興じる友人の一人もいなかった。
(まぁ、こうして空と戦闘機を眺めるのも好きだから、別にいいけど)
心の中の呟きを誰かが聞いていたら、「惨めな強がりだな」と嘲笑われただろう。けれども、どうせ心の中でどんなことを考えようが誰にもわかりはしない。だから、どんなに強がったってかまわないのだと言い訳をした。
廊下に話し声が聞こえてきた。二人の男が歩いてくる。一人は見覚えのある長身の男。管制官の制服に身を包んだスカイアイだった。もう一人は、おそらくスカイアイの部下であろう。同じ管制官の服を着ている。
二人は話しながらこちらへ向かってくる。
スカイアイの存在に、俺の心は不思議にざわめいた。トクトクと脈が早くなり、嬉しいような怖いような複雑な気持ちになる。
このところ、いつもこうだ。
スカイアイを見つけると、嬉しい。彼はいつも光をまとったようにキラキラしている。だから、どこにいてもすぐ見つけられる。目が吸い寄せられる。
部下の男と親しげに話し笑顔を見せるスカイアイを見ていると、妙に傷ついたような気持ちになった。おかしな話じゃないか。スカイアイとは別に友人でもなんでもないのに、彼を取られたような気分になってしまう。
自分から見ればスカイアイは最も親しい人物だといえる。だが、スカイアイからしてみればどうだろう。自分などはただの部隊を構成する一兵卒にすぎず、俺以上に親しい人間はいくらでもいるはずだ。そんなことは言われなくてもわかっているんだ。
それなのに。
――独占欲だ。
バカバカしい。
身の程知らずな自分に呆れる。
俺は二人から顔を背けて窓の外に視線をやり、努めて気にしないふりをした。
しかし、そんな努力もむなしく、スカイアイがこちらに気づいて声をかけてきた。
「メビウス1。どうしたんだ、こんなところで?」
そう言われては無視するわけにもいかない。スカイアイは上官だから。
スカイアイは部下に手を上げて話を切り上げるジェスチャーをした。部下はうなずいて去っていく。
話している途中じゃなかったんだろうか。
「……別に……何も」
胸にあったモヤモヤが災いして、ひどくぶっきらぼうな言い方になってしまった。
「今日の訓練は終わったのか?」
こっくりとうなずく。
「では、今は暇なんだな。ちょうどいい。ちょっと手を貸してくれないか」
「……?」
確かに暇をもて余していた俺は断ることもできず、大人しく彼についていった。

たどり着いた先は普段は皆が余程のことがなければ近づかない物置小屋――基地のすみにある第三倉庫だった。
「こんなところに何を?」
「さっき部下が、部署で使っているプリンターが故障したと報告に来たんだ。それで確かこの第三倉庫に使っていないプリンターがあったはずだと思い出してな」
プリンターを探しに来たわけか。しかし、それはスカイアイがやる仕事なのか。それこそ部下に命じてやらせればいいのにと思い、彼に疑問をぶつけた。
「まあそうなんだが、皆、忙しそうにしていたからな」と笑うスカイアイは人がいいというか、何というか。「君が手伝ってくれて助かるよ」と言われれば悪い気はしなかった。
スカイアイが第三倉庫の扉の鍵を開け、年季のはいった木造の扉に手を掛けた。ギイギイと嫌なきしみ音を響かせて扉はわずかに横にずれた。少しの隙間ができただけだった。
「なんて建て付けが悪い扉だ」
スカイアイはぼやいて、両腕を使って力を込めた。ひどい音を立てながら、なんとか一人が通れる分だけ扉を開けた。
「ここも修理するように言っておかないとな」
普段はほとんど開かれない古い倉庫だ。多少、扉の建て付けが悪くとも放っておかれていたのだろう。
倉庫の中は照明をつけても薄暗く、物が乱雑に積まれていた。古くなって使わなくなったものや一度使ったけれど後に使わなかったものなどがしまわれているようだった。
「まったく、少しは整理したらどうなんだ。……メビウス1、プリンターを探してくれ」
「り、了解……」
この中からプリンターを探すのかと、探す前から若干うんざりする。
倉庫はそれなりに広い。スカイアイと手分けしてプリンターを探し始めた。
倉庫には窓があるはずだが、古そうな棚やラックが天井近くまでそびえ立っているせいで光が入ってこない。マットや青いビニールシートなど、何に使ったのかわからない品を避けて奥へと進んだ。中はほこりっぽく、カビ臭い。それに今は二月。気温はまだまだ寒くて、暖房もないこの倉庫はあまり長居したくはない場所だ。
ふと視線を横へやると、黒くて四角い機械が眼に入った。透明なビニールに包まれている。一応、ほこりから守ろうという意図はあるらしい。これがスカイアイの言っていたプリンターではないだろうか。
案外、早く見つけることができてラッキーだと思った。
「スカイアイ、見つけ……」
離れた場所で探しているスカイアイに声を掛けようとした瞬間だった。
地面が揺れた。
響く地鳴り。
酩酊したように平衡感覚を失う。
「じ、地震……!?」
そこそこ大きい。
そびえ立つ棚がグラグラと揺れているのが見えて、身の危険を感じて姿勢を低くしてうずくまった。棚が左右から倒れ込んでくる。周りにあった雑多な物が支えとなって隙間ができ、完全に下敷きになることはなんとか免れた。
ほこりが舞い、視界が白くなった。口と鼻を服の袖で覆った。
プツンと明かりが消えた。停電だ。
照明が消えると、ただでさえ薄暗い倉庫は周りが見えないほど暗くなった。
棚が重なった狭いスペースにはまって身動きも取れない。
地震は緩やかになったが、まだ続いている。
辺りは真っ暗闇。
押さえつけられて動けない身体。
たった一人。
まるで、あの時のような――。
自然と呼吸が荒くなった。心臓が脈打つ音がどんどん大きくなって耳に響く。
(嫌だ……嫌だ、暗い場所は)
冷たい汗が、背中を流れる。手足が冷たくなって、意思とは関係なく身体が小刻みに震えだした。
震える身体を両腕で抱きしめた。自分の身体がひとまわりも、ふたまわりにも小さくなったような気がする。細く、頼りない子供のように。
誰か助けて、と心の中で悲鳴を上げる。そんなもの誰にも届きやしないのに。
あの時もそうだった。
何度も何度も、声がかれるほど叫んだのに誰も助けになんか来なかったじゃないか。
だから、母さんは――。
「…………メビウス1!」
自分を呼ぶ声がする。
だけど、“メビウス1”って?
俺はそんな名前だったっけ。
「メビウス1、どこだ。返事をしろ!」
焦った声で自分を呼んでいるのは。
「――スカイアイ」
そうだ、スカイアイ。
彼は無事だったんだろうか。
気がつけば周囲は静かになっていた。揺れはなくなって、電気もいつの間にか点いている。薄暗いのは変わらなかったが、真っ暗よりは何倍もマシだ。
棚の下で荒い呼吸を整えようとしていると、スカイアイがこちらを見つけた。倒れた棚や、散らかった物を掻き分けるようにこちらへと進んでくる。
「メビウス1、大丈夫か」
スカイアイは上に重なるように倒れた棚をずらして俺を救出してくれた。下でうずくまった俺を見て、どこか怪我をしたのではないかと思ったらしい。しきりに身体を気遣う。
「だ、いじょうぶ。怪我は、ない」
「しかし……」
身体の震えが止まらなかった。スカイアイが不審に思うのも当然だ。地震といっても、そんなに大きいものじゃなかった。震度4程度か。棚が倒れてきたのは、上に何も乗っていなかったり固定されていなかったせいだ。俺は地震の多いノースポイントの出身で、体感で震度が大体わかるほど地震には慣れている。だが、駄目だった。
暗闇と狭い空間に閉じ込められるのは、恐怖でしかなかった。
しゃがみこんだまま震える身体を小さくした。
こんな情けない姿をスカイアイには見られたくなかった。彼だけには。
ギュっと眼をつむった俺の身体を、温かい何かが包み込む。
「ス、スカイアイ……?」
震える身体を包み込んだのは、スカイアイの両腕だった。胸の中に囲い込まれ、冷たくなった背中をスカイアイの手がゆっくり撫でる。
「大丈夫だ……メビウス1。もう、大丈夫だからな」
大丈夫、大丈夫と何度も繰り返しながら身体をさすられる。スカイアイの優しい声で緊張がほどけていく。温かい手の感触に強ばった身体から力が抜けていった。冷たい指先にも感覚が戻ってくる。
一体どうしたのかと理由も問わずにスカイアイはただ抱きしめてくれた。その腕の中にいれば何も恐いものなどないような気さえする。
(どうしてあなたはこんなにも温かいんだろう?)
このぬくもりが自分だけのものならいいのに。
しかし、そんなことには決してならないと知っている。彼は皆に優しいから、自分だけが特別な訳じゃない。だから彼から離れようとした。
これ以上、惹かれたくなかったんだ。
傷つくに決まっているから。
スカイアイを好きになってはいけない。
スカイアイの腕の中にいるのに、ひどく泣きたい気分だった。

しばらくして、俺の身体の震えがなくなったのを確認したスカイアイは一度外へ出ようと提案した。地震はおさまったが、いつまた余震が来るかもしれない。この倉庫にいるのは危険だと彼は判断した。それは俺も同意見だ。さっさとこんなカビ臭いところから出てしまいたい。
入り口まで物を掻き分けてなんとか戻ったのだが、そこには信じられない光景があった。
「え……っ、扉が……」
「閉まっている!?」
思わず二人で顔を見合わせた。
「メビウス1、君が閉めたのか?」
「う、ううん。閉めてないよ」
二人で一緒に倉庫に入った。扉は建て付けが悪かったため、人が一人通れる分だけ開けて、わざわざ閉めなかったのだ。
では一体、誰が扉を閉めたというのだろう。
この扉は開けるときにひどい音がした。それは閉める時も同様だと思われる。誰かがこっそり閉めたとしたら中にいた二人が気づかないわけがない。
「もしかして、さっきの地震でか?」
スカイアイが言う。
地震で倉庫が揺れて、扉も動いたのかもしれないと仮説を立てた。確かにありえる話だ。
スカイアイが扉に手を掛ける。しかし、扉はびくともしなかった。
「く……っ、かたいな。メビウス1、すまないが手伝ってくれ」
二人がかりで扉を引っ張ったが、それでも駄目だった。どうやら地震でさらに建て付けが悪くなり、完全に動かなくなってしまったらしい。行儀が悪いとは思ったが、扉を足で蹴飛ばしてみたりした。ムダだったが。
ならば体当たりでも、と助走をつけかけてスカイアイに止められる。
「やめろメビウス1。そんなことをして君が怪我でもしたらどうする」
「でもスカイアイ、閉じ込められちゃったよ。どうするの? ……そうだ。連絡手段はない?」
「残念だが俺の携帯電話は置いてきている。……仕方ない。誰かが気づいて助けが来るまで待つしかないな」
「え……」
スカイアイはそう言うが、ここは基地内でもかなり端の方にある。誰かが偶然に通りかかることはほとんどないといっていいだろう。助けは求められそうにない。
「大丈夫だ。プリンターを取りに行こうとしていたことは俺の部下が知っている。俺の姿がないことに気がつけば、きっとここに探しに来てくれるはずだ」
スカイアイが明るい声で言う。俺を励ますために、わざとそうしているのだろう。それとわかっていても何だか安心してしまうからスカイアイは不思議だ。彼が「大丈夫」と言えば本当に大丈夫な気がするんだから。