喫茶スカイアイ - 3/4

講義と講義の間のヒマな時間、いつもどうやって時間を潰すか考える。
大学の周辺、この辺りは田舎だから遊ぶところなんてほぼない。
友達と話すとか、図書館に勉強に行くとか。
友達が都合よくつかまらない時もあるし、いつもいつも勉強じゃ疲れちゃう。
何か面白い店とかないかなって、春の陽気に誘われてぶらぶら散歩してた時だった。
この喫茶店を見つけたのは。

 

Act3.

 

『喫茶スカイアイ』でお気に入りになったアールグレイをひとくち飲む。
スマホを見ているふりをして、こっそり眺めるのはこのお店のマスター。
“イケメン”って言うのは、ちょっと違う気がする。そんな風に軽く言いたくない渋さを漂わせている四十歳くらいの男性。おじさんって言うのは失礼なくらいカッコいい。映画俳優みたい。
最近できた店っぽくて、まだ友達とかも誰も知らなかった。でも、私の他にも女性客が多いから、きっと「知る人ぞ知る」みたいな店になってる。

ドアベルが鳴って、またお客さんが入ってきた。
かなり体格のいい男性客だった。むき出しの二の腕はたくましい。
ちょっと怖いな、と失礼ながら思った。
だけど、その男性はマスターと親しげに会話しだした。知り合いのようだった。
この店の不思議な点だ。
私のような女性客の目的はわかりやすい。男前のマスターで目の保養をしにやってきているのだろう。
でも、それと同じくらい一見カタギではなさそうな怖そうな男性客も多い。例えば身体に入れ墨を施していたり、あの男性のようにムキムキだったり。そして彼らは皆マスターと知り合いみたいで親しげに会話する。それも敬意を持っているような口調で。
私はマスターがカッコいいからこの店に来ていただけだけど、だんだんマスターの秘密を知りたくてたまらなくなった。
どういう人物なのか……。
私はまるで大学の研究論文でも書いているかのような気持ちで推理をし始めた。

謎を紐解くのに重要な人物が一人いる。
この店のウェイターだ。
二十代か、いってても三十代前半の、なんだか頼りなさそうな青年。でも顔はよく見ると可愛い感じで、私は悪くないと思っていた。
このウェイターの凄いところは、とんでもなく仕事が出来ないってところ。注文を間違えるのは序の口で、コーヒーをぶちまけたり、つまずいてテーブルをひっくり返したりしてる。普通なら三日ともたず辞めさせられるはず……なのに、あの男前のマスターはいつも失敗を叱らず、彼の代わりにお客さんに謝っている。
それに、あの二人の会話を盗み聞きするとコードネームのような名前で呼び合っていた。
「スカイアイ」と「メビウスなんとか」って。
私は閃いた。
彼らはきっと、なんかすごい組織のエージェントなのだ!
マスターは只者ではない感じがするし、あのウェイターの彼があんなに仕事が出来ないのも、もしかして自分たちの身分を隠すためのカモフラージュなんじゃないだろうか。だって、あんなに仕事ができない人がいるはずない。
きっと演技なのだ――。
それで全ての謎が説明できる。

私は自分の出した結論に満足した。
合っているか合っていないかはどうだっていい。
そうだったら楽しいなっていう、全ては妄想。
ただの暇つぶし。
だって、暇なんだもん。
そんなありえないことを想像して楽しむくらい許されるはず。だれにも迷惑かけてないし。
一人、鼻歌でも歌いたくなるのをこらえながらアールグレイティーをすすった。
その時、新たな客がやってきた。
今度も男性。だけど体格はそこまででもない。中肉中背でスウェット姿だった。走ってでも来たのか息が荒かった。なんだか荒んだ雰囲気を纏っていて目つきも鋭い。
私はまたさっきみたいに少し怖いなと感じた。でも、きっとマスターの知り合いなんだろう。
だけど、その男はマスターとは目も合わさずにさっさと店の中に入ってキョロキョロと席を見渡した。
その男は眉間にシワを寄せて辺りを睨み付ける。まるでお茶を飲みに来た感じじゃない。ピリピリして、殺気だっているとでもいうか。
その男の異質さに気づいていたのは私だけみたいだった。他の人たちは本を読んだりスマホを見たりしていて他の客のことなんか見てもいない。
私はエージェントだと勝手に思ったマスターを盗み見たが、何も普段と変わらなかった。カウンターの奥でコーヒーを淹れていた。エージェントならこの男のただならぬ気配に気づかないわけがない。
私がおかしいのだろうか?
その男は空いていた真ん中のテーブルに座った。
座った後もリラックスするわけでもなく、辺りを見回している。何か安全確認でもしているみたいに。そして、しきりに腹の辺りを服の上から撫でていた。
その時、ウェイターの青年が注文を聞きにその男に近寄った――と、思ったら足をつまずかせ、彼はその男にぶつかるように倒れかかった。
「うわ……っ!」
さすがの男も予想外だったらしく慌ててテーブルから飛び退いた。
その時、男の懐、服の下からゴトリと重たい音と共に何かがこぼれ落ちた。それは地面に両手をついて倒れ伏したウェイターの目の前に落ちた。
黒い塊。
特徴的な形。
誰が見てもわかる。
――ピストルだ。
私は息をのんだ。
ウソでしょ、なんでピストルが!?
本物なの?
あんなの、テレビドラマや映画でしか見たことない。なんでそれがこんなところに?
身体が勝手に震えだす。
この国では一般市民がピストルを持つことはできない。それができるのは特別な職業に就いている人か、許可をとらなければ無理だった。この男はそうは見えない。明らかに後ろめたいことをしている、そういう雰囲気だった。何か悪いことをしてきたのか、あるいはこれからするのか――わからないが、男はきっとこのピストルを隠したかったんだ。
犯罪の匂いがした。
やっぱりこの男はヤバかった。最初に見た時から何かおかしいと思ってた。
確かにヒマだと思っていたし、何か面白いことがないかなって探していたけれど、平凡な日常がこんな風に壊されるなんて――。
まわりにいた客たちも遅れて異変に気づいて小さく悲鳴を上げたり、息をのんだりしている。
まずい。
この男を刺激してはいけない気がする。
「テメェ、この野郎っ!」
男はピストルを衆目に晒されて逆上した。
怒りは当然、目の前で倒れたウェイターに向けられていた。
男は足を上げ、ウェイターの肩の辺りを蹴り飛ばした。体格の小さなウェイターはひとたまりもない。飛ばされてテーブルにぶつかって倒れた。私は自分がされたわけでもないのに思わず身をすくませた。
店内に悲鳴が巻き起こる。
「メビウス1!」
鋭い声はマスターのもの。
彼はいつの間にかカウンター内から出てきていた。手には淹れかけていたコーヒーカップ。
彼はその中身を男に向かってぶちまけた。
「ぅあっ……つ!」
熱々だったのだろう、それを頭からかぶった男は手足をバタバタと動かして熱湯を振り払おうとした。
その一瞬の隙に、ウェイターの青年がまさかの動きをみせた。あの仕事のできない青年がいったいどこにそんな俊敏さを隠し持っていたのか――足を伸ばし、床に転がったままのピストルを蹴り飛ばした。
「スカイアイ!」
ピストルは床を滑るように回転し、マスターの足元へ。
マスターはそれをゆっくり拾い上げた。
それらはあまりに一瞬の出来事で、私は理解が追いつかない。
「くっ、クソッ、なめやがって……!」
熱々のコーヒーを服の袖で拭い、立ち直った男だったが全ては遅かった。
マスターが静かに男に銃口を向ける。
その美しい姿勢と眼光。
ただの一般市民ではありえない威圧感だった。私のような人間なら、たとえ危機的状況で手元に銃があっても使えない。使おうとも思えない。他人に銃を突きつけるなんて恐ろしくてできないだろう。銃を構えるマスターの姿勢は、明らかに訓練されたそれだった。
「他のお客様の迷惑になることは、やめてもらおうか」
「くっ……」
ピストルを向けられ、それがただの脅しではない威圧感をこの男も感じたのか、気圧されたように大人しくなった。
「オメガ1、この男を拘束しろ」
「えっ……あ、ああ」
応えたのはこの不審な男の前に入店していた体格のよい男性客だった。
ポリポリと頭をかいて「仕方ねぇなあ」なんてぼやきながら赤子の手をひねるように男を床にねじ伏せた。あの体格にのし掛かられたら大抵の人間は身動きすらできまい。
マスターは手慣れた仕草でピストルから弾を抜いてそれらをテーブルに置いた。
「メビウス1、大丈夫か?」
倒れたウェイターの側へ行き、彼を支える。
「平気だよ。ちょっと蹴られただけ」
「はぁ……寿命が縮んだぞ、まったく」
そんな会話をしていたら、男を拘束していたオメガ1と呼ばれた客がぼやいた。
「おい、いちゃつくのは後にして、さっさと警察呼んでくれよ」と。

 

それからはもう、警察がきたり事情聴取とやらをされたりして大学の講義に出ている暇なんて全くなくなったんだけど……そんなことはどうでもいい。
私は感動していた。
やっぱり――。
やっぱり私は間違ってなかった。
彼らは何かの組織のエージェントだったんだ!
もしかしたら彼らは最初から不審な男に気づいていて、あのウェイターの青年はわざとドジなフリをしてあの男に倒れかかったんじゃないだろうか。そして二人の見事な連携で危険なピストルを取り上げたんだ。
なんて凄いんだろう。まるで映画を見ているみたいに鮮やかだった。

翌日、ニュースや新聞を隅々まで見たけれど、不思議なことにあの事件はどこにも一言も書かれてはいなかった。
私も誰かに話したくなる気持ちをぐっとこらえた。
だって彼らの秘密を自分だけのものにしたかったから。
非日常は怖かったしもうこりごりだけど、エージェントである彼らの日常はまた見に来たいな。
この、不思議で魅力的な喫茶店に。