クリスマスの夜に

漆黒の夜にまたたく光。
赤や金のオーナメント。かわいらしいキャンディケイン。てっぺんにはひときわ輝く星が飾られている。あれは別名、ベツレヘムの星とも言うらしい。ずいぶん昔にスカイアイが教えてくれた覚えがある。

街にはたくさんの人が行き交っていた。買い物袋を下げた人が足早に通りすぎていく。家族の待つ家に帰るのだろう。
クリスマスということで、街の広場に飾られている巨大なツリー。それをスカイアイと共に見上げた。身を切る寒さまでも忘れるような美しさだった。
スカイアイも見惚れているのか、じっと一心にツリーを見て、こちらを見もしない。存在を忘れられているわけではないだろうが、少し寂しい。
彼にとってクリスマスは、一年の中でも特別な意味合いを持っていたに違いない。
スカイアイがツリーを見て、何を考えているのかが気になった。在りし日を懐かしく思っているのだろうか。
スカイアイは元々人間で神父だったが、俺が血を分け与えて吸血鬼にした。
遥か昔の話だ。
スカイアイが灰になった俺を復活させるため、自らの身体を裂いて俺に血を与えた。俺は甦ったが血を流しすぎたスカイアイが今度は死にそうになっていた。復活したばかりの俺が一番最初に見た光景は今でも忘れられない。
スカイアイはもう太陽の光を浴びることはできないし、大切にしていた十字架にも触れられない。でも、そういった不満を俺に感じさせたことはなかった。吸血鬼となっても彼は人間だった頃と変わらず社交的で、人と関わることを恐れなかった。スカイアイは、いつまでも後悔や恐れを抱いている自分とは、性格なのか、人間性か、根本的に何かが違うのだろうと感じる。

俺はツリーを眺めるスカイアイからそっと離れた。気配を消して人の流れに乗りながら当て所なく歩く。とくに行くべき場所があるわけじゃない。けれども、たまにこうしてスカイアイと距離を置きたくなる。一人になりたくなる。
なぜだろう?
俺がいる場所は、いつだってあの人の隣にしかないのに。

人混みから離れて歩いているうちに、小高い丘の上に出た。てっぺんからはあの広場のツリーが、小さくだけどよく見えた。
スカイアイは今頃、いなくなった俺に気づいて、慌てて探しているだろうか。俺にはたびたびこうしてスカイアイの前から姿を消し、彼が見つけてくれるのを待つという悪癖があった。
なんでこんなことをしてしまうのか自分でもわからない。
スカイアイは数百年の間、俺がこの悪癖を発揮するたびに俺を探し出して見つけてくれたのだが、待っている間はいつも怖かった。
今日こそはスカイアイが現れないかもしれない、探すのを諦めるかもしれない。面倒を見きれないと呆れるかもしれないと。
そんな想いに囚われながら彼を待つ。
ツリーを眺めていたスカイアイ。ああして彼が人間だった頃の片鱗を見せるとき、俺は過去に彼を吸血鬼にしてしまった自分の行いを振り返っては苦々しく思う。
あの時――。
一度死んだ俺が甦って初めて目にしたのは、血みどろになったスカイアイの満足げな笑みだった。その時、俺の中に沸き上がってきた感情は、怒りだった。
一度は俺を拒絶したくせに、なぜ復活などさせるのか。スカイアイと一緒にいられないのなら何の意味もない。この呪われた生を終わらせたいと、太陽に焼かれ、苦しくて痛い思いをしてようやく死んだのに、なぜ生き返らせたのかと。自分勝手なスカイアイに腹が立ち、けれども同時にたとえようもない愛おしさも感じた。
スカイアイに自分の血を与えて、彼を吸血鬼にした。それはスカイアイが死にそうだったからじゃない。一人ではとても生きていけない永遠の生を、共に生きて欲しかったからだ。彼のためだとか少しも考えなかった。全て自分のためだった。俺もたいがい自分勝手だ。
だから今となってはあの時の選択を後悔している。
彼は人のまま死なせるべきだったのではないか。
だけど幾度考えても――俺がたとえ、あの日あの時に戻れたとしても同じ選択をしてしまうだろう。
何度でも、きっと。

ハア、と白い息を吐くと眼下に見おろす街の灯りがぼやけた。
背後に人の気配を感じた。
スカイアイだ。
振り返らなくてもわかった。
気配や足音――いや、遠く離れていてもスカイアイのことは感じられた。
俺の身体の半分はスカイアイの血で出来ている。当然スカイアイも俺のことは感じるはずだ。だからこうして何のあてもないのに探しに来られる。俺のこの悪癖は、実のところ何の意味もなかった。
見つかるのが前提のかくれんぼだ。

近づいてくる足音に、振り返るのが怖かった。
怒っているかもしれない。それならまだマシな方で、今度こそ呆れられたかもしれない。
怯えるくらいならこんなことを最初からしなければいいのに、スカイアイを試すのをやめられない。
景色を見ている振りをして、自分の腕をギュッと握った。
目を閉じる。風に乗って、甘い香りが鼻腔をくすぐった。すぐ後ろにスカイアイが立っているのがわかった。ふわりと腕が回されて、俺の身体を包み込む。
「見つけた」
ほのかに笑う気配を感じて、無意識に固くなっていた身体から力が抜けていった。
――今回も、ちゃんと来てくれた。
「なるほど、ここからならツリーがよく見えるな」
スカイアイは俺を背後から抱きしめながらそう言った。まるで何事もなかったかのように。
どうして俺がこんなことをするのか聞かない。もうやめろとも言わない。俺が離れれば探しに来て、見つかれば文句も言わずあの時のような微笑みを浮かべる。満足げな顔をして。
何百年もの間に、何千回、何万回と行われた二人の儀式だった。
いつかスカイアイは俺を探さなくなるだろうか。
俺たちの気持ちは数百年の間、奇跡的に変わらなかったけれど、これからも変わらないとは言えない。俺はスカイアイがいないと生きていけないから、彼が離れていけば、きっと太陽の光に飛び込んで死ぬだろう。もう餓えと戦いながら孤独に生きるなんてできそうにない。スカイアイといる時間が幸せすぎて――。
そこまで考えて、ハッとした。目の前が急にひらけた気がした。

そうだ、俺は今、「しあわせ」なんだ。

スカイアイの腕が自分を包んでいる。決して離さないとでも言いたげに。
その腕の中でモゾモゾ動いて、身体を反転させた。スカイアイと向き合う形におさまる。彼の胸に顔を埋めた。
――温かい。
人は幸せな時ほど不安を感じてしまうものらしい。スカイアイが側にいる。今の状態はこの上なく幸せなはずなのに、それが失われる時を考えて不安になってしまうのだ。
バカみたいだな、と胸の中でひとりごちた。
出会った頃、スカイアイがしてくれた「神の羊」の話を思い出した。俺が迷子の羊だとしたら、俺にとってはスカイアイこそが俺を探し出して導いてくれる救い主だ。
「スカイアイ」
「ん?」
「……好き」
「え、……え? 今……なんて?」
スカイアイが珍しく動揺をあらわにした。
聞き返されて、スカイアイの動揺がうつったみたいに無性に恥ずかしくなった。なんで普段言わないようなことを言ってしまったんだろう。
俺は、スカイアイの胸に熱くなった顔を押し付けて隠した。
「なぁ、メビウス1……もう一度言ってくれないか」
俺の身体を引きはがして顔を覗き込もうとするスカイアイに抗ってぎゅうぎゅうとしがみついた。すると彼の鼓動が激しく脈打っているのが聴こえた。抱き合う時にいつも俺を翻弄するスカイアイが、児戯のような一言でこんなにも動揺するのが意外だった。だったら今までにも、もっと言っておけばよかったかな、なんて思う。
彼を動揺させられる自分であることが嬉しい。
引き剥がそうとするスカイアイと、しがみつく俺がもみ合いになる。それがなんだか子供のじゃれ合いじみていて、可笑しさが込み上げてきた。
「ふふ……っ」
思わず笑みをこぼすと、スカイアイは引き剥がそうとする動きを止めて、今度は逆に胸の中にかき抱かれた。
「……スカイアイ?」
「今日は珍しいことがよく起こるな。クリスマスだからかな? ……君の笑い声、久しぶりに聞いた」
「あ……」
「ありがとう。幸せだよ」
温もりがこもった言葉は、じわじわと俺の心に浸透して、侵食していった。
“幸せだよ”
いつもこの人のストレートな言葉と態度に救われている。感情を表すのが苦手な俺のかわりに、言いたかったことを言ってくれる。
俺の不安も聞かず、それを溶かしてしまう。
――敵わないな、スカイアイには。
見えないように苦笑した。
顔を上げると青い瞳とかち合う。
スカイアイが顔を近づけて鼻先を触れあわせた。ゆっくりと重なりあう唇。寒い空気の中で、それはとても温かく感じた。

今日はクリスマスだから。
特別な日だから。
そう心の中で言い訳をして、吐息の隙間から「俺も」と素直な気持ちを呟いた。