俺の好きな人

まったりとした昼下がり。
ぽかぽかした陽気と漂うコーヒーの薫り。
腹が満たされると人はそれだけで幸福を感じる。
「はいメビウス1、コーヒー」
「あ、ありがとう」
ソファーに座って、スカイアイの淹れてくれたコーヒーを受けとった。ひとくち啜る。まだちょっと熱い。
渋みと酸味のバランスが丁度いい。鼻から抜ける香りに自然と身体がリラックスした。
スカイアイの淹れてくれるコーヒーが好きだ。豆から挽いてくれたものはもちろん、インスタントであっても彼が淹れてくれたコーヒーは、苦いはずの味が、どこか甘い。あの戦争の最中で不眠症になったとき、スカイアイの部屋を訪ねて他愛ない話をしながらコーヒーを淹れてもらったものだった。深夜にも関わらず、そのコーヒーの香りと甘さを味わうと何故か目蓋がトロンとしてきて眠気が訪れた。
だからだろうか。スカイアイのコーヒーを飲むと眠たくなる。
ふわ、と口を開けてひとつ欠伸をする。
リビングにL字型に置かれたソファーの短い方に俺は座っていて、スカイアイは長い方に座った。彼はコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
スカイアイの家で一緒に暮らし始めてしばらく経つ。始めこそぎこちなかったり遠慮したりしていたが、こうして二人で過ごすのにもかなり緊張しなくなってきた。
二人でいる時はずっと話しているわけじゃなく、こうしてお互いがあまり干渉せずに好きなように過ごす時もある。喋るのが得意ではない俺を気づかってくれているのかと思ったのだが、どうやらそんな感じでもない。
喋らなくても気まずくならない穏やかな空気が流れている。
こういう、何をするでもない時間が好きだった。とても贅沢な時間を過ごしていると――そんな気がする。
コーヒーカップを両手で口元に掲げてフーフー息を吹きかけながら、ちょうどななめ前に座っているスカイアイをじっと眺める。普段は見つめ合うのも照れ臭くて彼のことをまっすぐ見られないが、今は新聞に注意を向けてくれているから見放題だ。
真剣な横顔は十分観賞に値する。その視線の先にあるのが新聞の端に載っているクロスワードパズルであっても、だ。
伏せたまつ毛が光を通して金色に輝く。優しさのにじむ目元、高い鼻梁。薄いが形のよい唇。
とにかく俺の目にはかっこよくうつる。いつまでも見ていたいほどに。
視線を少し下にずらす。
色香が匂い立つような首筋から、シャツに隠れた胸。腕。捲られた袖から伸びた手首。ボールペンを持つ手は大きいが無骨ではなく、指先は細くて、どこか洗練されている。
あの美しい手がいつも俺の身体を這い、翻弄するのだ。
昨夜はあれを口の中に入れられた。
背後からのし掛かられ穿たれながら、指を二本、口内に差し込まれた。指を入れられると声を噛み殺すことができず、情けない声をいっぱい上げてしまった。
指は優しく舌をくすぐって絡めるように促した。俺はスカイアイにねだられると拒めない。何でも言うことを聞いてしまう。好きな人の言うことだから。
促されるまま俺はスカイアイの指を舐め、赤ん坊みたいにしゃぶった。
ようやく口から指が出ていったとき、スカイアイの手は俺の唾液でぐっしょりと濡れていた。美しい指を俺が汚したという倒錯的な快感があって、自分の中にそんな欲があったことに驚いた。
新聞を左手に、右手のボールペンで何かを書き込んでいる。あのスカイアイの指を咥えて思うがまま喘いだ昨夜を思い出して、身体の芯が熱をもった。
(俺は何を考えているんだ、こんな昼間っから……)
感じていた眠気はすでに吹き飛んでいる。
窓から差し込む光は明るく、まだ日が高いことを示していた。自分がひどく淫猥な存在になった気がして恥ずかしさと自己嫌悪を感じた。
それなのに――スカイアイを見続けるのを止められなかった。
スカイアイがふと息を吐いた。
「……穴が空きそうだな」
「え……っ」
ため息と共に吐き出された言葉に俺はまさかと思った。
「気にしないようにしていたけど、そんなに見つめられるとさすがに集中できないよ」
新聞とボールペンをテーブルに置いて、困った顔で笑う。じっと見ていたことを悟られていたらしい。
気まずすぎる。
「ご、ごめん」
「何をそんなに見ていたんだい」と尋ねられて俺は何も言えなくなった。スカイアイは横目でチラリとこっちを見ると、冗談めかして言った。
「……さては、やらしいことでも考えてたな?」
「……!!」
カッと顔が焼けるように熱くなった。
「あ、あぅ……ぉ……」
口からは言葉にならない声がうわ言のように漏れた。何とか誤魔化したいが、焦りすぎてうまく言い訳できない。そもそも俺はウソがとんでもなく下手だ。
(バカ、こんな態度じゃその通りですって言っているようなもんじゃないか!)
「図星みたいだな」
スカイアイは慌てふためく俺を見て、声を上げて楽しそうに笑った。笑いを一度おさめ、今度は昼間にはそぐわない妖しげな笑みを浮かべてソファー伝いににじり寄ってくる。
「いけないな。こんな昼間から何を考えていたんだ、メビウス1?」
「うぅ……っ」
視線を反らそうとしたが、顎を取られ、強制的に見つめ合わされる。
「……教えて?」
唇に吐息がかかった。
俺の好きな人は普段はとても優しいけれど、たまに意地悪になる。困ったことに、そんな意地悪な彼もまた、とても魅力的で俺は好きなのだった。
俺は青い瞳に縛られて身動きがとれない。
獣の尻尾をうっかり踏んづけてしまったらしい。
まっ昼間にするにしては濃厚な口づけを受けながら、これから洗いざらい恥ずかしいことを白状させられるんだろうなと、ぼんやり思った。