一緒に暮らそう

何か夢を見ていた気がする。

メビウス1は現実への階段を上りながら夢の欠片を拾い集めようとした。けれども、それは形をなさずに端から崩れていく。
目覚める瞬間、夢を見ていたのはわかるのに、その内容は思い出せない。そんなことはよくある。
ただ、いい夢だったと思う。何か胸が温かくなるような、幸せな感じがまだ残っていた。
こんな目覚めは珍しい。
メビウス1にとって夢というのはずっと悪夢を指す言葉だった。
柔らかいスプリング。兵舎の薄いマットレスとは違う。上質で軽い布団がサラサラと肌に当たって気持ちがいい。メビウス1は目の前の張りのある胸板に頭をこすりつけた。
吐息で笑う気配。
もしかして、この身体の持ち主はもう目覚めているのだろうか。
恐る恐る顔を上げる。
焦点が合わないくらい近くにある青い瞳がメビウス1を見つめ返してきた。
「おはよう」
メビウス1は思わず「うわぁ」と口に出しそうになった。寝起きから衝撃が強すぎる。
まだぼうっとした頭で状況を整理しようとして、結局口から出たのは「あ」とか「う」とか言葉にもならない音だけだった。
目の前の人はそんなメビウス1の状態などお構いなしで――あるいはこれ幸いと、身体を抱き込み、鼻先をこすり合わせた。
柔らかい唇が額から頬を移動する。たまにチュッと音を出すのが恥ずかしすぎる。
密着した身体はさえぎるものもない。お互い裸だった。
そのことでメビウス1はようやく昨夜スカイアイと一緒に寝たことを思い出した。
移動する唇は最終的にメビウス1の唇にたどり着き、ゆっくりと重ねるだけの口づけをして離れた。
「メビウス1、起きる……いや、起きられるか?」
「え?」
「眠ければ、好きなだけ寝てていいよ」
「ううん……、起きる」
他人の家でいつまでも寝ているほどいぎたなくない。
スカイアイが先に身を起こして素肌にバスローブを身につけた。メビウス1もなんとなく気だるい身体を起こしてスカイアイに続いてベッドを下りようとした。
足を床についたその時、どういうわけかメビウス1は頭から床に突っ込む形ですっ転んだ。
「メビウス1!?」
スカイアイが慌てて床に崩れた身体を起こす。
「おい、大丈夫か?」
バスローブも身につけておらず、裸でこけて、みっともなく恥ずかしいったらない。
絡み付いたシーツや布団に足を取られて転倒したのだと思ったが、そうではなかった。スカイアイに支えられながら立ち上がった足がふるふる震えている。まるで生まれたての小鹿のように。
膝に力が入らなかった。
「俺のせいだな」
スカイアイがすまなそうに言うのでそんなことはないと否定したかったのだが、こんなことはメビウス1にも初めてのことで何も言えない。
その後、スカイアイに抱えられてバスルームに行き、シャワーを浴びて(シャワーは一人で浴びるとスカイアイの手伝いを断固拒否した)身繕いをした。ラフな格好に着替えてソファーに寝転ぶ。
スカイアイはメビウス1の面倒をみた後、一人でシャワーを浴びている。
その聞きなれない水音に、スカイアイの家で彼と一線を越えたことを実感した。
とうとう、ついに――というべきか。
兵舎でも余裕のある時に二人で触り合ったりはしていた。メビウス1はそれでも十分すぎるほど満たされていたのだが、彼にはやはり物足りなかったのだと思う。
こんな時、一体どうすればいいのかメビウス1にはさっぱりわからない。スカイアイにどんな態度でいればいいのか――と、悩んでいる間にスカイアイがシャワーから出てきた。
上半身は裸で、腰に引っかけるようにスウェットをはいている。引き締まった腹筋やウエストを見ていると、スカイアイは着やせするタイプなのだとわかる。いつもきちんとしたシャツや制服を身につけているから、脱いだところはあまり見ない姿だった。
目が離せずにぼうっと眺めていると、スカイアイが冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。コップに注いだそれを、こちらへひとつ寄こす。
「飲むか?」
「ありがとう」
身体を起こして受けとる。
水を飲みながらスカイアイが「身体は?」と聞く。
身体は相変わらずだ。腰から下に力が入らず、立てない。
というかまだ何かが尻に挟まっているような感じがする。鈍痛と違和感がある。そのせいで一瞬たりとも昨夜のことを意識の端に追いやることができないのだった。スカイアイには絶対に悟られたくはないが。
曖昧に濁すと、スカイアイは「無理するな。今日は家でゆっくりしよう」と言った。
スカイアイが側へ寄ってきてメビウス1の湿った髪をドライヤーで乾かし始めた。
スカイアイが何か話しかける。が、ドライヤーの音がうるさくて聞こえない。
「え、なんて?」
聞き返したらドライヤーを止めてスカイアイがさっき言ったらしいことをもう一度くり返した。
「夕べ言ったことをおぼえているか?」
「夕べ……?」
「一緒に暮らそうと言ったことだ」
メビウス1は後ろを振り返り、恐る恐る聞いた。
「え……あ、あれ……夢じゃなかったの?」
メビウス1の脳裏に夕べの一幕が思い起こされる。
初めてスカイアイとした後、メビウス1は甘さを含んだだるさに身を任せていた。疲れて眠りかけていた時、スカイアイが言ったのだ。「一緒に暮らそう」と。もしそうなったらスカイアイとずっと一緒にいられる――それだけしか頭に浮かばず、イエスと答えてしまった。
「ああ……君はほとんど寝てたな。それで、どうなんだ」
「どうって言われても」
メビウス1は首を振った。
「ダメだよ、そんなの」
「なぜダメなんだ」
「だって、俺、絶対に迷惑かけるし……」
今だって、こうしてスカイアイに面倒をかけている。だいたい、誰かと暮らすなんて自分には無理だ。何かと失敗して迷惑をかけるに決まっている。メビウス1はいい。けれども、スカイアイはきっとそんなメビウス1をだんだん嫌になるだろう。呆れて軽蔑して嫌われる……。そんな未来が見える。
想像して、憂鬱な気分になった。
メビウス1はとつとつと語ったのだがスカイアイは納得しなかった。
「君に失望したりしないよ」
「そんなのわからない」
「君に生活力を最初から期待していない」
「……それはそれでヒドイな」
生活力がないのは自分でも自覚しているが、改めてスカイアイにバッサリ言われると少し傷ついた。
「すまん。だがそんなことで君を嫌いになるなら、もうすでになっているよ。生活力を期待して一緒に暮らそうと言ったわけじゃない。ただ、側にいてほしいだけだ」
いやに食い下がる。真剣な眼差しで、スカイアイにしては余裕のない態度だった。
手を握りこまれた。
「何もずっと一生ここで暮らせと言うわけじゃない。この休暇が終わるまででいい」
それでもメビウス1は首を縦に振らず渋った。
「君は夕べ『うん』と言ったじゃないか」
「あ、あれは――」
半分、夢見心地だったからだ。理性がまるで働いていなかった。
「あれが君の本心なんじゃないのか」
「う……」
メビウス1の頬に血がのぼった。
ずるい。
そんな風に言われたら「うん」と言うしかなくなるじゃないか。
じっとスカイアイがこちらを息をつめて見守っているのを感じて、メビウス1は折れた。
こっくりとうなずくと、スカイアイが明らかにほっとした様子で、つめていた息を吐き出した。
背後から抱きしめられる。
「明日、君の身体が動けるようになったら、必要なものを買いに行こう」
ウキウキとした調子で言われ、メビウス1は脱力した。
夕べ、あのタイミングで聞いてきたのは、計算されたスカイアイの策略だったに違いない。
悔しくて口を尖らせ、じっとりとした目つきでスカイアイを睨む。しかし上機嫌のスカイアイには通じない。
「そんな顔をしても可愛いだけだ」
と言われて、唇をふさがれた。