希望の星

刺すように冷たかった風が、気がつけば暖かいものに変わっていた頃、我々の戦いにもまた、新たな変化が起こっていた。メビウス1がストーンヘンジを破壊し、黄色の一機を撃墜した。彼はその功績を称えられ勲章を授かった。式の最中、彼はずっと浮かない顔をしていた。見世物になるのを嫌がっているせいかとも思ったが、それだけではない気もしていた。
俺はメビウス1の様子が気にかかり、彼の部屋を訪れた。すでに礼服を脱いで着替えており、Tシャツにスウェット姿だった。床に脱ぎ散らかした礼服を、しわにならないように集めてまわる。
「スカイアイ、そんなことしなくていいのに」
「放っておくとしわになるぞ」
やはりどこか気落ちした様子の彼に、何と言って切り出したものかと思案した。服をハンガーに掛けて、横にあった本棚を何気なく見た。一冊の本の背表紙に書かれた文字を見て驚く。
「君はこんな本を持っているのか?」
メビウス1の持っていた本の中にあったのは、小惑星1994XF04「ユリシリーズ」の研究資料だった。ユリシリーズ落着により、二週間でユージア大陸の50万人の命が失われた。今もなお、影響は続いている。この戦争もその一つだ。人々の中には、ユリシーズを神の怒りだとか、人類に対する罰だとか言う狂信者もいるほどだ。
「君のご両親もユリシーズのせいで亡くなったはずだ。それなのに、何故こんなものを」
ユリシーズなど見たくもないのではないのか。彼の人生そのものをめちゃくちゃにした原因なのだから。
メビウス1は俺の問いに対し、初めてそこに思い至ったかのように、静かに思いめぐらせていた。
「そうだね。確かに俺はユリシーズのせいで大切な人を失ったけど、でもだからって、ユリシーズを憎んだり恐れたりはしないよ」
彼は本棚からユリシーズとは別の、一冊の本を机に広げた。美しい星空の写真集だった。ページをめくり、懐かしそうに目を細める。その手が彗星の写真のページで止まる。
「この星も、ユリシーズも、俺には同じに見える。……星は、ただそこにあるだけだよ。ユリシーズは人を沢山殺したから憎らしくて、美しく光る星には希望を願うなんて、変だよ」
確かにメビウス1の言う通り、星自身に意思はない。我々が勝手に星に意味を見出だしているにすぎない。おそらく彼がそう思うのは、星が好きで、あらゆる天体を平等に愛しているからだ。だが普通の人間の感覚として、そこまで割りきれるものだろうか。大切なものを失くして絶望した時、人間は何かを恨まずにはいられない。そうしなければ、喪失感に自分が押し潰されてしまう。
「……君はご両親が亡くなった時、本当に何も恨まなかったのか」
この話題は彼を傷つけるかもしれない。わかっていながら踏み込んだ。彼が何に悩み、苦しんでいるのか知りたかった。
彼はうつむき、備え付けのベッドに腰を掛けた。
「恨んだよ。自分を」
表情はわからないが、感情を押さえ込んだ固い声だった。膝の上に両手を祈るように組む。
「何故死んだのが俺じゃなかったのかと、何度も思った。……一緒に死にたかった」
ぽつりと呟いた。
初めて会ったときから、彼のまとう孤独を感じていた。彼はずっと一人で、大切なものを失った悲しみに耐えていたのだろう。
「ごめんなさい。こんなこと、言うべきじゃなかった」
「いや、聞いたのは俺だ。それより、今も、死にたいと思っているのか」
彼は首を横に振る。
「死にたいとは思わないけど」
「けど?」
「何で生きているのか、と思う。俺はただ飛びたかっただけなんだ。だけど、自分の望みのために沢山の人を殺している。罪深さで言えば、ユリシーズ以上だよね」
そう自分で自分をあざける。彼に歩みより隣に座る。肩にそっと腕を回すと、彼は見られたくないのか両手で顔を覆った。
「皆は俺に何かを期待しているのかもしれない。でも、俺の中には何もない。黄色の13の噂を聞いたことがある? 彼の方がよほど崇高な目的で飛んでいるよ。そんな人を俺が倒すの? 俺が出来ることは、ユリシーズと同じで、殺して破壊するだけ。希望の光になんて……なれない」
震える肩を抱き寄せ、落ち着かせるようにゆっくり背中をさする。二人分の体重を支えるベッドがきしむ音と、彼の少し荒くなった呼吸の音が部屋に響く。彼を刺激しないように、なるべく静かに穏やかに話しかける。
「君の言っていることには、矛盾がある」
そう言うと彼は手で涙を拭い、俺の腕の中からゆっくりと顔を上げた。睫毛は濡れ、頬や鼻が赤くなったその顔は、不思議そうに私を見た。
「さっき君は、ユリシーズも他の星と同じだと言ったね。破壊する事も、希望を与える事も同じ星の側面だと。だったら、君も同じだ。君は破壊することしか出来ないと言うが、そんな君に人は希望を見出だすんだよ。ただ君がそこにいるだけで」
そう俺が言うと、彼は目をしばたたかせた。
「でも……」
「君が何も出来ないなんてことはない。君はすでに一人の人間を救っている」
「え?」
「俺、を」
トントンと親指で自分の胸をついた。
「スカイアイ、を?」
信じられないことを聞いた顔で聞き返す。しかし本当のことだ。俺は彼に出会い、確かに救われた。
君が初陣を果たす前のことだが、と前置いて語る。
エルジアがストーンヘンジを対空砲台として利用しだし、ISAFの航空機はそのことごとくを落とされた。……彼らの断末魔の叫びを今も、覚えている。
目を閉じると今でも鮮明に思い出せる。レーダーから次々に消えてゆく光点。自分が死ぬことすら気づかずに逝った者も、恐怖と絶望で叫びながら逝った者も、みんな等しく空の塵になった。俺はまだ管制官として経験が浅く、そんな絶望的な状況を見たことがなかった。
「俺は無力だった。彼らがただ死んでいくのを見ていただけで、何一つ救うことが出来なかった」
当時を思い出すと、今でも胸が苦しい。何度も悪夢にうなされ、眠れぬ日々を過ごした。今のメビウス1のように。
「この仕事を辞めたいとすら思った」
「えっ……」
メビウス1が驚く。あまり言いたくはないことだった。自分にとっての恥部だ。他人の死を見続けることが辛くて、逃げ出したかったなど。実際に戦場で戦っている彼らからすれば、あまりにも身勝手で甘えた感情だった。だから踏みとどまった。どんなに辛くても、彼らの死から目を背けてはいけない。見続け、記憶していくことが己の役割で、ただ一つ彼らに報いられることだった。
そうか、と突然メビウス1が声を上げた。
「なんでスカイアイの管制が飛びやすいか、わかった。あなたは一人でも多くの味方を助けたくて、その技術を磨いてきたんだね」
そう納得顔をする。確かにその通りなんだが、彼がまるで自分のことのように誇らしげに微笑むので、恥ずかしさが込み上げてくる。俺は今、自分のみっともない過去について話しているはずなんだが……。
咳払いを一つして、空気を変える。
「その後、ISAFはストーンヘンジの射程外まで後退し、ノースポイントにまで追い詰められるわけなんだが、正直諦めていたよ。もう我々は負けるのだとね。俺だけじゃない、誰もがそう感じていた。だから気持ちは楽だった。もう人が死んで無力感に苛まれることもない、と。……だが、君が現れた」
メビウス1はその翼で我々に蔓延する厭戦感を吹き飛ばし、小さいが確かな希望を与えた。
「俺は君の飛び方が好きだよ」
空の上で、君はどこまでも自由だ。我々は、本来自由に飛べるのだ、ということを思い出させてくれる。空の青さに憧れていた、少年の頃の気持ちを――。
恒星は、自らを燃やして強い光で周りを照らす。しかし皮肉にも恒星自身には自分の光が見えない。
君が自分の価値を見失うなら、俺が何度でも説明しよう。
「空は恐ろしいばかりではないことを、君は思い出させてくれた。君と出会えたことが、俺にとっての救いだ」
メビウス1の、薄曇りの空のような瞳が潤んでいる。盛り上がり、重力に逆らえずこぼれ落ちた滴が、きらりとまたたいて消えた。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!