詩人のうた

「サラ、悪いけどここで待っていてくれ。用事を済ませてくるから」
「わかったわ、トム」
「詩人さん、サラを頼むよ」
「お任せください」

旅の途中に寄った町でトーマスは、かつて一時的に共に旅をした仲間である詩人にサラを任せてパブを出ていった。

パブの一角に詩人のフィドルの音が響いた。酒を飲む人々が注目する。
詩人は朗々と詩を吟じ始めた。
それは四魔貴族の一人、魔龍公ビューネイと聖王との戦いを記した詩の一節だった。

――魔龍公ビューネイ
タフターン山の高き頂きに巣窟を築き
大空を我が物顔に舞い
地上の者どもを見下ろした――

三百年前、聖王は大空を飛ぶビューネイと戦うため、巨竜ドーラを説得して共に戦った。
詩人は、聖王が巨竜ドーラの背に乗り、ビューネイにとどめの一撃を食らわせたところを高々と歌いあげる。
パブにいた客は皆その詩に聞き惚れて、詩が終わると夢から覚めたように拍手をおくった。
サラも拍手をしながら詩人に近寄る。
「詩人さん、ステキな詩だったわ」
「ありがとうございます、サラさん」
詩人は膝を曲げて優雅にお辞儀をした。
「詩人さんの詩は不思議ね。まるで見てきたように臨場感があって、その場面が目に浮かぶわ」
「そう言っていただけると詩人冥利につきますよ」
詩人は少し照れたように頬を指先で掻いた。
サラは笑顔を陰らせ、ふぅとため息を吐く。
「サラさん、どうしました? 少し元気がないようですが」
「あ……、うん。あのね、聖王様はすごいなって思って」
サラはパブの隅にあるテーブルにつく。詩人もそれに続いた。
「私はとても聖王様のようにはなれないもの」
私なんかと比べたらおこがましいんだけど、とサラは続けた。
「そうでしょうか。サラさんも立派だと思いますよ」
「えっ?」
「四魔貴族を三柱も下した。普通の人にはできないことです」
「違うの、それは仲間がやったことよ。私はみんなに守られてばかりで……。足手まといなのはわかってるの。でも、私だけ安全な場所にいるわけにはいかないから……」
サラはウエイターが運んできた水をひとくち飲んでため息を吐く。
「サラさん、聖王もたった一人で全ての偉業を成し遂げたわけではありませんよ。聖王にも仲間がいました。知っているでしょう?」
「ええ、もちろん。聖王の十二将。昔、トムに借りた本に書いてあったもの。でも、それだけの人が力を貸してくれるほど、聖王様にはカリスマがあったってことなんじゃないかしら」
「サラさんにも仲間がいるじゃないですか。何か悩みごとがあるなら相談してみては? たとえばトーマスさんとかに」
「それは……ダメ」
サラはゆるく頭を振った。
「心配させるだけだから」
「そうでしょうか」
「私は、聖王様のようにはなれないわ……。怖いの。戦いに行くことが。全てのゲートを閉じた時、何が起こるのか……」
サラは水の入ったグラスを両手でぎゅっと握った。机にできた水滴のシミ、その1点を見つめる瞳。その、暗くて思い詰めた様子はいつもの朗らかな彼女とはまるで違っていた。
詩人は空気を変えるように少し声色を明るくし、サラに話しかけた。
「実は、先程のビューネイと聖王の詩には続きがあるのですが、知っていますか?」
「え……そうなの? 初めて聞いたわ」
唐突な話題転換にサラは目を瞬かせた。
「はい。知りたいですか?」
サラは興味をひかれたのか顔を上げ、こっくりと頷いた。
「聖王はドーラと共にビューネイを倒しました。しかし、ドーラは人々の住む村を襲い、宝を奪ったのです。それは竜の性でした」
サラは初めて知った事実に息をのむ。
「聖王はドーラを説得しようとしましたが、かなわず、ついにはドーラをその手で葬りました」
「そんな……本当に? そんなの悲しすぎるわ」
詩人はフィドルをつま弾く。
物悲しく悲劇的な旋律。
ドーラとの別れの時に奏でられる曲だった。
音楽において力強いメロディーは人々を勇気づけもするが、悲しい旋律には悲しみを数倍にしてしまう力がある。
「友を自らの手で倒さなければならなかった聖王は嘆き悲しみ、悲痛な声はルーヴ山を震わせました」
サラは瞳を潤ませて詩人の語りに聞き入った。
「この、ドーラを倒す聖王の詩は悲しい結末ゆえに人気がなく、聖王の輝かしい功績を歌った前半だけが残り、後半は三百年の間に次第に歌われなくなっていったのです」
「そうなんだ……。聖王様に、そんな過去が……」
「ですが私はこの章が好きですよ。聖王の優しさや、味わってきた苦しみがよく伝わります。人々には好まれませんが、私は聖王記詠みとして、この事実を伝え守らねばなりません」
「聖王様も……悩んだり、苦しんだりしたんだね」
「はい、もちろんです。聖王も人間ですから」
力強く頷いた詩人に、サラは目尻の涙をぬぐいながらクスリと笑った。
「……たまに思うのだけど、詩人さんって当時を見てきたように言うよね」
「あはは。いやぁ、私の悪いクセですよ」
パブの扉を開けて長身が顔を覗かせた。
「あ、トムが帰ってきたわ!」
サラが立ち上がってトーマスに手を振った。気づいたトーマスが近寄る。そして何かに気付き、腰を屈めて心配そうにサラの顔を覗き込んだ。
「サラ、どうした? 何かあった?」
「あ、違うの……これはね」
サラはまだ湿り気を帯びたまつ毛を慌てて手でこすった。
「私が歌った詩に感動されたようです。すみません、トーマスさん」
トーマスは自身の早とちりに、「そうだったのか」と照れたように頭をかいた。
「じゃあ用事も済んだし、出発しようか」
サラはうなずいて、歩きだしたトーマスのあとに続いた。
パブの扉の前でふとその足を止めると、詩人の方へと振り返る。内緒話をするように声を潜めて話しかけてきた。
「ねぇ、詩人さん」
「はい?」
「私も……いつか、うたい継がれるようになるのかしら」
「……ええ。サラさんの功績は私が詩にして後世にまで語り継ぎましょう」
詩人はフィドルの弦をかざして丁寧にお辞儀をした。
サラはその答えに満足したようにクスリといたずらっぽく笑った。
「なるべくカッコよくお願いね、詩人さん」
そうして振り返らずに走っていく。
残された詩人は、遠く、小さくなっていくサラを見つめて、誰にともなく呟いた。

「……あなたの苦しみも悲しみもすべて。うたい続けますよ」

――宿命の子よ。