結婚式

子供の頃――今から十年くらい前だろうか。シノンの村で結婚式があった。
狭い村だから、誰と誰が結婚するだなんてすぐに広まる。お祝い事はみんなで盛大に祝うのがシノン村の決まりだった。
新郎新婦が村を練り歩き、私たちは道の両端に立ち、手に持ったカゴから花びらを二人に向けて散らす。
「おめでとう!」
「幸せになれよ!」
みんなが口々に祝福の言葉をかける。
その時の美しい光景は、今も忘れていない。
青空に色とりどりの花びらが舞い、ドレスは光かがやく。白いベールが風にそよぎ、幸福そうな花嫁の口元をあらわにした。
新婦が手に持ったブーケを天高く放り投げた。それは何故か私の手元へと導かれるように落ちてきて、私は小さな白い花を束ねたブーケをキャッチした。
「あなたも幸せになってね」
花嫁はそう言って、私に微笑んだ。

 

結婚式が終わった後、大人たちはまだ飲んだり食べたりして話し込んでいたが、姉のエレン、トーマス、ユリアンと私は、飽きて遊びはじめていた。
「はぁ……」
「どうしたんだい、サラ。ため息なんかついて。疲れた?」
トーマスが私に問いかけた。
「ううん。花嫁さん、キレイだったなっておもって」
「確かに、とってもステキな結婚式だったね」
姉のエレンがため息混じりに同意した。
「すごいご馳走だったよな!」
ユリアンは男の子だから、花嫁のドレスやブーケなんかより、普段は食べられない豪華なごちそうがいっぱい食べられて嬉しいみたいだった。
トーマスはサラの持ったブーケを見て、本か何かで知ったらしい雑学を披露した。
「ブーケがもらえてよかったな、サラ。花嫁のブーケをキャッチした人は次に結婚できるっていうジンクスがあるんだよ」
「そうなの?」
「ハハハ、サラにはさすがに早すぎるだろ」
ユリアンが笑った。
私はそれが、なんだか馬鹿にされたような気がしてムッとした。
「小さいから」「まだ幼いから」といって、私はこの三人に置いていかれることがしばしばあったから、いい加減年下扱いにうんざりしていたのだ。
「わたしも……、わたしも結婚式したい!」
つい、そんな風に叫んでいた。
みんなが目を丸くする。私のワガママにどうしたらいいかわからず、弱ったなぁと顔を見合わせている。
そんな中、トーマスが一歩進んで微笑んで慰めるみたいに私の頭を撫でた。
「大丈夫、サラが大きくなったらできるさ」
「イヤなの、いましたいの!」
「結婚式は一人ではできないよ。サラは誰と結婚する気なんだい?」
トーマスに聞かれて私ははっとした。結婚式がしたい欲が強すぎて、相手を考えていなかった。
だけど誰と結婚したいかと問われれば、そんなのは決まっていた。
「わたし、トムとけっこんする。トムのお嫁さんになりたいの」
「えっ……、オレ?」
驚いたトーマスの背中をユリアンがバシバシ叩いた。
「あはは! よかったな~トム!」
「おい、ユリアン……」
何がツボにはまったのかユリアンはひとりで笑い転げている。
トーマスは仕方ないな、という顔で苦笑していた。明らかにそれには「子供の言うことだから」という思いが滲んでいた。
彼にとって私は妹みたいなもので、いつまでも小さな子供だった。
それは十六になった今でも変わらない。
彼は二十二歳。立派な大人だ。
六年の差は、いつまでたっても永遠に埋まらない。

 

なつかしい、夢を見ていたみたいだ。
目を開くと、そこはあのシノンとは似ても似つかないアビスの淀んだ空気の中だった。
太陽の光はおろか月の光さえ届かない真っ暗な闇の中。重苦しい死の気配が充満している。
今となってはなんて輝かしい日々だったのだろう。戻れるのなら戻りたい。あの日々の中へ。
私は何も知らずにいた。
自分の宿命も、自分がどれだけ恵まれていたのかも。
私と同じ定めを負った、もう一人の宿命の子。魂の双子。少年と出会って、彼が生まれてからどれだけ辛い目にあってきたのか、彼は多くを語らなかったが察することができた。彼と比べれば私はみんなに愛されて守られてきた。幸せだった。だからだろうか、アビスゲートで少年を庇ってしまったのは。こうしなければ釣り合わないような気がしてしまったのだろうか。とっさの行動で、あの時は深く考えたわけじゃかったけれど。
後悔があるとすればひとつだけ。
トーマスが好きだった。
六歳年上のトーマスは、私にはいつでも、何でもできて頼りがいのある大人の男の人に見えていた。
子供の頃は兄のように慕っていただけだったけれど、いつからだろう。彼を男性として意識するようになったのは。
「トムのお嫁さんなりたい」なんて、よくも無邪気に言えたものだ。何も知らない過去の自分がうらやましい。ただただ純粋な気持ちで、私もそんな風に言えたならどんなにいいか。どんなによかったか。
結局、私の夢は叶わないままだ。
私はここでひっそりと死を迎える。誰にも知られず、孤独に死ぬ。そうすれば世界は次の死食まで三百年は平和になる。
――そうだ。夢の続きを思い出した。
あの後、わがままを言ってトーマスに結婚式ごっこに付き合ってもらったのだった。レースのテーブルクロスを拝借してベールの変わりにして、ユリアンが神父様の真似事をしてくれた。トーマスは唇のかわりに、おでこにキスをくれた。
サラが大きくなったら本物の結婚式ができるよ、とトーマスは慰めに言ったが、そんな未来は永久にやってこない。
「トムの、ウソつき……」
ほろほろと涙が頬を伝う。
本当は怖い。死ぬのは恐ろしい。
こんな暗くてさみしい所で一人でいるのすら耐えられそうにない。
「トーマス……」
名前を言って、でもその後に続ける言葉が見つからなかった。「助けて」と言えば、彼なら本当に助けに来てくれるような、そんな気がして戯れに言葉にすることもできなかった。
好きって言えばよかったかな。
だけど、きっと言わなくて正解だった。「好き」なんて言われたらトーマスは困惑する。妹としか見ていなかった子にそんなことを言われたら、優しい彼だからきっとどうやって断ろうか悩むはずだ。そして、そんな言葉を残した私がアビスに消えたら、永遠に消えない傷を彼につけることになっただろう。
だからこれでよかったんだ。
そう自分を納得させようとした。
だけど。
だけど、やっぱり悲しい。
どうして私がこんな宿命を負わなければいけないの。
トーマスに会いたい。
優しく頭を撫でてくれる手も、温かい声も、全部好きだった。あの広い胸に飛び込んですがり付いて泣きたい。
「トーマス……」
呟きは湿った空気に吸い込まれ、誰にも聞かれることなく消えた。

 

*     *     *

 

「さようなら、トーマス」
それだけをトーマスに告げて、サラはアビスゲートへと消えた。
ぎこちない微笑みは彼女の精一杯の虚勢だ。トーマスにはそれがわかった。なのに何もできなかった。
宿命の子にしか開けないアビスゲート。すべてのアビスゲートが閉じてしまった今、それを開ける手段は残されていなかった。
絶望がトーマスを支配する。
サラを犠牲にするしか、この世界が平和になる道はなかったのだろうか。こうなる前にもっとやれることはなかったのか。
何のために自分は戦ってきたのか。

トーマスは、サラが死食で生き残った宿命の子であることは知っていた。サラが生まれた時にはすでに物心のついていたトーマスは、死食の起こった年のことをよく覚えていた。
物語の中の出来事だった死食。そして宿命の子。そんなものが現実に起こり、トーマスは動揺した。いや、動揺しなかった人間などいないだろう。
サラを産んだ両親はサラを普通の子として育てることを望んだ。相談されたのはトーマスの祖父だ。トーマスの家はこのシノンの開拓村でも一番の豪農だった。
メッサーナでも名門のベント家の血を受け継ぐ祖父は、幼いトーマスにも家名にふさわしい人間になるように望んだ。その教育は厳しかった。まだ学ぶことの本当の意味も知らない幼いトーマスは、どんなに頑張っても優しい言葉ひとつかけてくれない祖父をだんだんと苦手になっていった。
何も考えずに外を駆け回っている同じ年頃の子供が羨ましくて仕方がなかった。しかし祖父は恐ろしく、反抗することもできなかった。
死食が起こったのはそんな時だ。
死食が起こるとその年に生まれた新しい生命はすべて死ぬ。ユリアンの生まれたばかりの妹も死んだ。しかし本当に大変なのは、作物が育たず、人も馬も家畜も飢えることだった。
飢えは人の心を荒ませる。人同士で少ない食糧をめぐって争いが起こる。
当時、そこに思い至れる人間がどれだけいただろう。死食が起こると予言した天文学者がいたらしいが、その人物は人心を惑わした罪で火炙りとなったという。だれも死食が起こるなどと本当には信じていなかった――いや、信じたくなかったのか。
だがトーマスの祖父は違った。
死食の前に、食糧を事前に蓄えていたのだ。
祖父も死食が実際に起こるかどうかは半信半疑だったらしいが、備えをしておくにこしたことはないと考え実行に移した。そして実際に死食が起こっても蓄えを一人占めせず、飢えた村人達に分け与えた。
トーマスはそんな祖父を素直にすごいと思った。
そしてまた祖父は宿命の子であるサラを普通の子として育てたいというカーソン夫妻の嘆願を聞き入れ、村人たちにも徹底させた。村人が言うことを素直に聞いたのは、食糧を牛耳っていたのが祖父だったからという側面もあったと思う。
それ以来トーマスは苦手に思っていた祖父の見方が変わり、尊敬するようになった。

サラを失って半ば絶望してランスに帰ってきたトーマスだったが、もうひとつアビスゲートが残っているとの情報を得た。
サラを救えるかもしれない。
限りなく細い蜘蛛の糸だったが、トーマスに再び歩きだす力をくれるには十分だった。
そのアビスゲートは遥か東に、死の砂漠を越えた先にあるという。
再びこの地に帰ってこられないかもしれない――そんな予感がして、東に旅立つ前にトーマスは懐かしいシノンの村へ立ち寄った。

「おじい様、ご無沙汰しておりました。ただいま帰りました」
「トーマスか」
祖父は年をとっても衰えない鋭い眼光をトーマスに向けた。この目に見つめられると無意識に背筋が伸びる。
トーマスはこれまでの経緯をかいつまんで祖父に語った。
「サラを、助けに行きたいと思います」
「…………」
祖父は無言だ。トーマスはたとえ祖父が「ゆるさん」と言ったとしてもサラを救いにいくつもりでいた。許可を得るために祖父の元へ帰ってきたわけじゃない。
祖父や家族に会う、これが最後の機会になるかもしれなかったからだ。
「好きにすればよかろう」
祖父は長い沈黙を破ってそう言った。トーマスは許しを得られた安堵と、少しの寂しさを感じた。
突き放すような言い方は祖父の生来の気性だが、祖父の期待に応えるような人間に自分がなれなかったからではないかと、トーマスは残念に思った。
「すみません……おじい様」
「何をあやまる?」
祖父はトーマスにベント家を継ぐにふさわしい人間になってほしくて幼少から厳しく仕付けてきたに違いない。サラを救いに行くことは、それら全てを投げ出すことに等しい。祖父に言い渡された修行もまだ完遂してはいない。
「オレはやっぱり……あなたの望むような人間には、なれませんでした」
フルブライトに頼まれて商会を経営することになった。会社を経営するのも大金を動かすのも、楽しくなかったといえば嘘になる。自分の中に商人の血が脈々と流れているのを感じた。しかし会社のためとはいえ情報操作で人を追い落としたり、金に群がる権力者や政治のゴタゴタ。そういったものにはうんざりした。
フルブライトには「君には才能がある」などと言われたが、トーマスはそうは思わない。彼のように野心があるわけでもなく、結局、芯の部分で甘さが抜けないのだ。
悪名高いドフォーレ商会とやりあうために、かなり際どいこともやった。ドフォーレ商会を潰すという目的がはっきりとあって、手段を選ばない相手だったからこそトーマスも手心を加えずにやれた。短時間で結果を得るためだったがトーマスは自分の悪どさに自己嫌悪に陥ることもあった。そんな時、サラは常に側にいてくれた。特別、何かをしてくれたわけじゃない。ただ彼女からはいつでもシノンの草原を駆ける風の香りがした。彼女が側にいてくれたからトーマスは自分を見失わないでいられたのだと思う。
昔、エレンは過酷な運命を背負った妹を守るのだとトーマスにだけ打ち明けてくれたことがある。
「たとえ世界中が敵になっても、あたしだけはサラの味方でいるわ」と語る彼女の瞳は力強かった。
宿命の子とは、すごい力でみんなを守ってくれる存在なのだと思っていた。少なくとも伝承の中の聖王はそうだった。人々は聖王を望んでいる。しかしサラは、どこをどうみても普通の子だ。ただの笑顔が可愛らしい赤ん坊だ。トーマスもエレンも、産まれたばかりのサラの無垢な笑みに魅了されたのだ。こんな子に世界を守らせるのか。自分が守られるなんておかしいんじゃないのか。トーマスもエレンもそう感じた。
その時、トーマスもエレンに誓ったのだ。自分もサラの味方でいると。その過酷な定めから守ってやるのだと。
子供ながらにサラのナイト気取りだった。まるで聖王と、それを支えた十二将のごとく。
「サラを守ると誓ったのに……」
アビスゲートを閉じるために四魔貴族と戦おうとトーマスが決めたのもサラを宿命から遠ざけたかったからだ。
しかし結局、彼女に守られてしまった。
アビスゲートに飲まれていく彼女の姿が忘れられない。悲しみを無理に押し込んだ笑顔は悲痛で、それなのに美しくて胸に刺さった。
トーマスは俯いて、爪が手に刺さるほど強く握り込んだ。不甲斐ない自分が情けなかった。
「しっかりしろ、トーマス!」
祖父の喝に、トーマスはビクリと背を伸ばした。条件反射だ。そんな風に叱られるのは子供の頃以来である。
「落ち込んでいる場合ではなかろうが。サラを救うのだろう」
「しかし……」
「その命に変えても守りたいものができたのだろう? お前はもう立派な男だよ、トーマス」
「おじい様……」
トーマスは信じられない思いで祖父を見た。あの厳しかった祖父が、自分を認めてくれたとは。
「わたしがお前に教えるべきことはすべて教えた。好きに生きなさい」
祖父がトーマスの肩を掴む。力付けるように。
何度か力を込めて握られたあと、手は離れ、祖父は窓際に立って背を向けた。
行け、とその背中が語っている。
「……ありがとうございます」
トーマスはずっしりと重い岩のような祖父の背に、深々と頭を下げた。
そして実家を後にした。
仲間たちと集合して、東へ。
アビスゲートにいるサラを助けるために。
胸に沸き上がるこの気持ちの赴くままに。