大人の味

「ようやくサラもオレたちと酒が飲める歳になったんだな」
「そうね。いつも一人だけジュースで拗ねてたからね、サラは」
ユリアンが朗らかに笑い、エレンが相槌をうつ。
「もう、お姉ちゃん!」
からかわれてサラは頬を赤くした。
ロアーヌでは飲酒は十六才からと定められていた。ユリアンや姉のエレンはサラより四才年上だ。だからサラよりもずっと早くに酒の味を知っていた。村では何かしらの集まりがあると酒が出てくる。彼らは何のとがめもなくそれを口にできるし、大人たちと酒を飲むのは一人前の証のようでもあった。それがサラにはいつもとても羨ましく思えた。早く大人になりたいと。
「乾杯にはやっぱりシャンパンかな」
トーマスがシャンパンのボトルとグラスを手に現れた。
ここはトーマスの家だ。サラが酒を飲める歳になったのでお祝いにみんなで飲み会をすることになって、トーマスが自分の家の広間を貸してくれたのだ。トーマスの家はシノン一の豪農。サラの家より数倍大きいし、酒の貯蔵もある。そして何でもできる彼が手ずから作ってくれた料理の数々がテーブルに並んでいた。
トーマスがみんなにシャンパンをついで回った。
「はい、サラ」
「ありがとう、トム。料理もこんなに作ってくれて大変だったでしょ? 言ってくれたら私も手伝ったのに」
「いや、主役に手伝わせるわけにはいかないよ。それに簡単なものばかりだし」
「美味そうだよな! 早く乾杯しようぜ」
ユリアンが急かして、みんなグラスを手に持った。トーマスが軽く咳払いをした。
「それじゃあ、サラの成長を祝して」
「乾杯!」とみんなの声が重なり、グラスが涼やかな音を響かせる。
ずっと一人だけ子供扱いで仲間外れにされたような寂しさを感じていたけれど、こうしてみんなから祝ってもらえた今、これまでの寂しさを打ち消す幸福にサラは包まれた。
ひとくち口に含んだシャンパンは、少し甘く、炭酸がシュワシュワして飲みやすかった。
「サラ、飲めそうか?」
「うん、トム。これなら……」
「あんたは初めてなんだから、飲みすぎないようにね」
エレンが釘を差す。そう言うエレンはグイグイとシャンパンをあおって、あっという間に飲み干してしまった。
「うーん、甘いわね。次はビールにしようかな」
「相変わらず早いなエレン。ちょっと待ってくれ、取ってくる」
「エレンはザルだからなー」
いっぱい酒が飲めて羨ましいぜ、とユリアンは続けた。
「そう? 私は酔えるあんたが羨ましいけど」
トーマスがビールを手に戻ってきた。
「サラも味見するかい?」
「うん! ……実は子供の頃、ビールを少しだけ舐めてみたことがあるの。大人たちがあまりにも美味しそうに飲んでいるから、どんなに美味しいものか知りたくて」
「ああ、わかるよ」
ユリアンはこんがり焼けたウインナーを口に放りこんだ。
「どうだった?」
トーマスが微笑みながらサラに結果を聞いた。しかし聞かなくてもすでに答えはわかっている様子だった。
「すっごく苦くて不味かったわ」
みんなが声を揃えて笑う。つまり、みんな同じような経験があるのだった。
大人になればビールが美味しく感じるのかと不思議に思ったものだが、そのビールが今、自分の手の中にある。
ドキドキしながら口に含んでみた。
しかしそれはサラの期待を裏切り、甘くも美味しくもない。
サラはガッカリした。
「やっぱり美味しくないわ……。大人になれば美味しさがわかるのかと思っていたのに」
「あら、サラにはまだ早かったかしら?」
エレンがからかって笑うので、サラは頬をふくらませた。
「誰でも最初はそんなものさ。エレンは特別なんだよ、サラ。気にするな」
「そう言うあなたはどうなの? トムだって結構飲める方でしょ」
「オレだって最初から飲めたわけじゃないよ。おじい様が酒の味がわかる男になれとおっしゃったから練習したんだ。……確かに、仕事の付き合いで飲まなければならないこともあるだろうし」
「練習したら飲めるようになるの?」
「体質に個人差はあるが、ある程度はね。でも、サラは無理に飲む必要はないだろう」
トーマスはそう言うが、やはりサラもみんなと同じ様に酒を飲んで笑いあったりふざけたりしたかった。
少し落ち込んだサラを元気付けるようにトーマスが「実はこの日のために用意した酒があるんだ」と立ち上がった。
しばらくして戻ってきたトーマスが、みんなに酒の入ったグラスを配った。中に、薄く切ったりんごのスライスが飾りに入っている。
「りんごのお酒?」
「そう、果実酒だよ。これならサラも飲みやすいかなと思って作ってみたんだ」
「トムって酒も作れるのかよ。すげーな」
「そんなに難しくないよ。時間はかかるが。……サラの口に合えばいいけど」
「ありがとうトム」
口に含むと、爽やかなりんごの香りが鼻に抜ける。フルーティーで甘い。アルコールの風味が苦手なサラにも飲みやすい味だった。
「おいしい!」
「よかった、気に入ってくれて」
トーマスが安堵したように笑う。
「美味しいけど、甘すぎてジュースみたいね」
エレンの感想にサラは少し腹立たしく思った。
「トムはお姉ちゃんのために作ったんじゃないんだからね」
「はいはい。……気に入ったのは結構だけど、これ案外アルコール度数は高いわよ。調子にのって飲みすぎないようにね」
「……わかってるわ」
そうして、大人の仲間入りを果たした気分になったサラは、みんなと酒を飲みながら楽しい時を過ごした。
トーマスお手製のりんご酒は美味しくて、気がつけばジュースのように次から次へと飲んでいた。
サラはだんだんと意識がぼんやりしてきて、みんなが何を話しているのか理解できなくなった。だけどすごく気持ちがいい。
「……ちょっと、サラ?」
エレンが何か言ったがサラは体勢を保てず、テーブルに突っ伏した。
「んー……」
「だから飲みすぎるなって言ったのに」
「初めてだから自分の限界がわからなかったんだろう。仕方ないよ」
「あたし、背負って連れて帰るわ。ほらサラ、立って。帰るわよ」
「……いや」
「『いや』じゃないの、しょうがない子ねー」
腕を引っ張って立たせようとするエレンに抵抗して子供のように頭を振る。
「いや!」
「……エレン、これは厳しそうだよ。サラは泊まっていくかい? 部屋は余ってるし」
「……悪いわね、トム」
「じゃあエレンはオレが送ってくよ。もう夜も遅いし」
「頼む、ユリアン」
そうして辺りは静かになった。
身体が浮遊するような感覚になり、サラは誰かに抱きかかえられたのだと知る。半分寝て半分起きているような、ふわふわとして、とてもいい気分だった。
子供の頃、父親に抱きかかえられた経験がふいによみがえった。抱き上げる感覚に目を覚ましたけれど、父親に甘えたくて寝たふりをして目を閉じていた。そんな幸福な記憶に支配され、サラは寝ぼけながらその人の首に腕を回してしがみついた。
逞しくてサラを抱き上げても揺るがない広い胸に身体をすりよせる。すると、その人の身体がピタリと動きを止めて妙に硬くなったのを感じた。不思議に思いながらサラは頬を寄せた。
おそらく自分を抱き上げているのは六才上の幼馴染みだ。普段の自分だったら考えられない行為。幼馴染みといっても二人ともすでに大人といえる男女で、子供の頃のようにはいかない。仲はよくても一線は引いていたはずだ。だけど、この時のサラは羞恥心がどこかへいってしまったかのように大胆だった。
ため息を吐いて、その人はサラを担いだまま歩いた。しばらく運ばれたあと、そっと寝かせられる。柔らかいベッドの上に。
ああ、寝てもいいんだなと思うと、急速に意識が薄れていった。
「おやすみ、サラ」
そっと頭を撫でるその人の手をぎゅっと握った。
「トム……」
何を言いたかったのか、それとも離れがたかったのかわからない。サラの意識は眠気にさらわれて、手を握ったままぷっつりと途切れた。

次の日、目覚めたサラは頭の痛さと気分の悪さにうめいていた。
「ううー……、なんでこんな、頭が痛いの……?」
「それが二日酔いってやつだ。大人になったなサラ」とトーマスは笑いながら水を差し出して教えてくれた。
夕べの記憶は途中からないし、頭は痛いしで最悪だった。
トーマスは体調が悪いサラを気づかってくれたが、どこかよそよそしい。
迎えに来たエレンには叱られ、ユリアンにはからかわれて踏んだり蹴ったりだ。
初めて酒を飲んで酔いつぶれることを経験したサラは、今日という日を苦い思い出として胸に刻んだ。