寝癖

小鳥のさえずり。
美味しそうなスープの香りが階下から漂ってくる。
空っぽの胃袋を刺激されたサラは、カーテンからこぼれる光の中で目覚めた。
ベッドの中は温かくて、布団は柔らかくサラを包み込んでくれる。再び意識が夢の中へ行ってしまいそうになるのを、なんとか意思の力で振り切ってベッドから下りた。
もう朝食はできているみたいだ。

ここは我が家ではない。ピドナにあるトーマスのはとこの家だ。サラにあてがわれた部屋は客室とのことで、びっくりするほど豪華だった。ベッドは家で寝ていたものよりもずっと寝心地が良くて、つい寝過ごしてしまいそうになるが、居候している身でだらだらといつまでも寝ているわけにはいかない。
寝間着からいつもの服に着替えて、煌びやかなドレッサーの前に座ったサラは鏡にうつった自分の姿を見て愕然とした。
頭が、爆発している。
髪があっちこっちにハネて、からんで、それはもうえらいこっちゃの大騒ぎだ。
ブラシで整えようとしたが、途中でひっかかって玉になる。こんがらがった毛先をいちいち指でほぐすのは大変な作業だった。
(もう、こんな髪イヤ!)
サラの髪は多くて、柔らかくてクセも強い。寝癖がひどいとこんな風に頭が爆発したみたいになってしまう。イライラしながらいささか乱暴に髪をとくと、さらに絡まってしまってイライラは増すばかりだった。
生まれた時からこの髪と付き合っているから、もう扱い方は慣れてきていた。とはいえ、あまりにも酷いこんな時は、普段は考えないように抑えていた苛立ちが爆発してしまう。
(どうして私の髪はこんななの?)
半泣きになりながら髪をほぐしていると、誰かがドアをノックした。
「は、はい!」
「サラ、起きてる?」
トーマスの声だ。サラがいつまでも下りてこないから様子を見に来たようだった。
「起きてるんだけど、ちょっと……」
もごもごと言い訳をしているとトーマスは「入っていいか」と断って扉を開けた。
トーマスは鏡の前に座るサラをひと目見て状況を把握したらしい。
「なるほど、これは大変だ」
クスリと抑えきれない笑みをこぼした。
サラの頬は熱くなった。できればトーマスには見られたくなかったのだ。
トーマスはサラが小さい頃からの幼馴染だから、サラの髪がたまに、こんな風に爆発するのをよく知っている。今さら隠す意味はないはずだった。
「手伝おうか?」
「……うん」
トーマスの手にブラシを渡す。トーマスはブラシと手櫛で器用にサラの絡まった髪を解きほぐしていった。
後ろ側は自分では見えないから、正直なところすごく助かる。昔からトーマスは、サラ以上にサラの髪を扱うのが上手かった。
「ごめんね、朝から……」
自分でサイドの髪を三つ編みにしながら、サラは情けない気持ちでいっぱいになった。
「気にするなよ」
「なんで私はこんな髪に生まれたのかしら。お姉ちゃんはサラサラで綺麗な髪なのに。……こんな髪、大キライ」
つい恨み言が口から突いて出た。彼に言っても仕方がないのに。
姉のエレンはサラと全く違う髪質で、真っ直ぐでクセのない髪をしていた。まるで姉の気性そのままに。
姉は活発で、動きやすいように髪を高い位置にいつもまとめていた。彼女が動くたびに髪がサラサラと揺れる様がいつも羨ましくて憧れていたのだ。
髪だけじゃない。
サラとエレンは姉妹のくせに性格も気性も趣味も、何もかもが違った。だからこそ仲良くやってこれた部分もあるが常に劣等感を刺激される存在でもあった。
エレンと自分を比べては、情けなくなったり自分がダメな存在だと感じて落ち込む。エレンはしかし、サラを可愛がってくれたし、守ってもくれた。時に過剰に思えるほど。
ずっとそんな姉に甘えてきたが、あの日――モニカ姫を皆で護衛するという大役を成し遂げた日、このままではいけないと強く思った。いい加減、姉や皆に頼りきりの自分が嫌になったのだ。トーマスに声をかけられたのをきっかけに、唐突にピドナ行きを決めた。姉に一言の相談もなく。そんなのは初めてだった。反対されて言い合いになり、結局仲直りできないまま姉とは別れてしまったけれど。
そのことを思い出して、サラは深くため息を吐いた。
「オレはサラの髪、好きだよ」
「えっ」
唐突にトーマスに話しかけられた気がしたのはサラがひとり考えにふけっていたからだろうか。言われた意味を咀嚼して、サラの胸はドキドキと弾んだ。
「サラがもっと小さかった頃、今と同じ様に言って泣いていたことがあったなぁ。自分で髪をバッサリ切ってさ」
トーマスがその頃を思い出して笑う気配がする。サラの頬はまた熱くなった。子供の頃の恥ずかしい話だ。
「こんな髪、大嫌い!」と癇癪を起こして、ハサミで髪を短く切った。自分で切ったものだから、ざんばらで、とても不恰好だった。それに長ければどんなにクセが出てもひとつにまとめることが出来たけれど、短くしてしまったらそれも出来ない。おかげで頭は常に爆発しているみたいで、村の男の子たちには散々からかわれて最悪だった。髪が再び長く伸びるまでそんな状況は続き、二度と髪を短くしたりしないとサラは心に誓ったのだった。
「サラは自分の髪を嫌いかもしれないけど、オレは好きだな。触り心地とかふわふわで柔らかくて」
そう話しながらトーマスは優しく毛先を梳かす。毛先を解きほぐし、徐々に範囲を広げる。たまに花の香油を手に取り、髪に馴染ませる。そうすると広がって方々向いた髪がだんだん艶を持ってまとまり始める。
サラがやるとすぐにもつれて絡まるのに、トーマスが梳かすと髪は柔らかくなり、素直にいうことを聞くようだ。
それもわかる気がする。トーマスの手は大きくて温かくて、触られていると気持ちよくて。髪だけでなく、頑なだったサラの心も解きほぐされていくみたいだった。
「お祭りの日にしか食べられない『わたがし』みたいだよな。……よし、できたよ」
サラがいつもつけている黄色のリボンを大きく蝶々結びにして、トーマスは手を放した。
「こんな感じで仕上がりましたが、どうかな、お嬢様?」
いつもよりおどけた口調で話すトーマスに、サラは思わず口元を綻ばせた。トーマスは手鏡を後ろにかざして仕上がりを見せてくれた。
波打つ髪が艶やかに広がり、自然にまとまっている。薄茶の髪が、朝の光を反射して黄金色に輝いて見えた。
自分でやってもこうはならない。
「わあ、すごい! 魔法みたい」
「気に入ってくれたか? じゃあ、一緒に朝食を食べにいこう」
「あ、ごめんなさい……。トムはお仕事が忙しいのに、こんなことさせて」
「いや、いいんだ。確かに仕事は忙しいけど、だからこそ朝メシくらいゆっくり食いたいし、オレにとって癒しの時間なんだ。それに、ひとりで食べても味気ないだろう?」
「ふふ、そうね」
サラはキラキラと輝く髪をなびかせて、トーマスと共に階下へ向かった。