No.2の男

誰しも嫌いな人間のひとりやふたりはいるだろう。
俺はあいつが嫌いだった。いまいましいといつも思っていた。その態度を隠さずあいつに接していたのに、奴にはこたえた様子もなく、それが俺をさらにイラつかせた。

メビウス1に出会う前は、そこそこ自分の腕に自信を持っていた。ストーンヘンジに制空権を奪われた後は、負け戦ばかりだったが何とか生き残ってきたし、エースパイロットとして皆にも頼りにされていた。
それがただの驕りだったと、あいつの存在は俺に突きつけてくる。
重力などまるで感じていないような飛び方は粗削りで型破り。吸い込まれるように敵機は奴に背後を見せ、あっけなく墜ちてゆく。その速さは敵に同情してしまうほどだった。
単に俺より腕が立つだけなら納得もできただろう。本当にむかつくのは地上での自信なさげな態度だ。人の顔色を伺い、はっきりとものを言わない。すぐ謝る。無表情で何を考えているのかさっぱりわからない。他人に関心もなく、関わらせず、一人で空を見上げている。
戦場ではあれだけ傍若無人にふるまっておきながら、地上では本当に同じ人間なのかと思うほど臆病な小心者に見えた。
このイライラの根っこにあるものが嫉妬だということは、誰に指摘されるまでもなくわかっていた。妬みを隠して、表面上はにこやかに接しておきながら裏で奴を悪く言うような卑怯な人間にはなりたくなかった。だから俺はこの感情をあいつにぶつける。それで少しは痛い顔でもしてくれたなら、俺の気も少しは晴れるのだろうが、あいつは俺の事などまるで眼中にないように、無表情で受け止めるだけだった。

まだ出会って数ヶ月のことだ。戦場で列機が助けを求めていたのに、メビウス1はそれを無視して他の敵を落としにいった。助けを求めていた味方には俺が掩護に入って事なきを得た。しかし、俺は奴の行動が許せず、基地に戻ってから奴の胸ぐらをつかみ、なぜ味方を助けなかったのだと詰め寄った。
奴は俺の行動に一瞬驚いた顔を見せたが、すぐ「ごめん」と無表情に戻っていた。味方を助けることよりも自分の撃墜数の方が大事かと、かっとなった俺は思わず手を振り上げていた。
あんな小柄でなよなよしたやつを殴り倒しても何の自慢にもならないのに。
後悔しているが、過ぎたことはどうにもならない。

その事件の後でスカイアイが俺を呼び出した。叱責を受けるのだろうと覚悟して向かったのだが、スカイアイは俺を叱りはしなかった。かわりに、メビウス1の行動の理由を俺に説明した。
メビウス1は敵を倒す時に、どういう順番で倒すのが効率が良いかを常に考えているという。少しでも早く敵を倒し戦闘を終わらせる。それがひいては味方の損害も少なくする。そしてあの戦場ではメビウス1が助けなくても、俺が味方を掩護することも予想していたのだろうとスカイアイは話す。
俺もスカイアイの事は信頼している。彼がそう言うのならそうなのかもしれない。しかし、それならば何故、俺が詰めよった時にそう言わなかったのか。ごめんの一言で終わらせず、理由を説明してくれたなら、俺も殴らずにすんだのだ。
やはりメビウス1にとって俺はその程度の存在なのだと失望した。俺にはスカイアイのように、自分の考えを言わない奴の事を推しはかって理解する繊細さは持ち合わせていない。あいつも他人を排斥し、理解されたいと望んではいないじゃないか。そんなやつに歩み寄ってやる必要はない。俺たちは考え方が、性格が違いすぎる。あいつに心を乱されないようにするには、あいつのことをこれ以上、考えないことだ。――そう結論付けた。

その日は次の任務まで日が空いていた。体が鈍らないように鍛練を終えた後、シャワールームでメビウス1とばったり会った。舌打ちをして奴の存在を意識から閉め出す。他にも何人かがシャワールームを、入れ替わり立ち替わりで使っていた。乱暴にボディーソープを泡立て、全身に塗りたくる。適当に洗って体を流し、さっさと服を着替えようと脱衣所へ行くと、声が聞こえた。
「あれ?ない……」
メビウス1だった。珍しくうろたえた声をしている。
「うそ……何で……」
意識から閉め出そうとしたが、奴の声があまりにも情けなくて泣きそうで、何があったのか気になってしまった。「どうした」と問うと、いつも身に付けていたお守りが失くなっているのだと言う。着替えと一緒に置いておいたはずが、シャワーを浴びた後に消えていたらしい。
メビウス1はひどく青ざめて「どうしよう、どうしよう」と呟いている。こんなに感情を表したこいつを初めて見た。
たかがお守りひとつ。
……と、他人には思えるかもしれない。
ガラクタにしか思えない様な物が、明日をも知れない俺たち兵士の、大切な心の支えになることがある。だがメビウス1にも、そんな物にすがりたくなる殊勝な気持ちがあったのかと驚いた。
その辺に落ちているのかも知れないと、シャワールームと脱衣所をくまなく探したが見つからなかった。俺は、そんなに大切にしていた物を落として失くすほど、メビウス1が愚かとは思えなかった。ならば残る可能性はひとつだ。奴もその可能性に気づいていたのかもしれないが、「失くなった物は仕方がない」と考えるのをやめた。
「一緒に探してくれて、ありがとう」
平気でもないだろうに青ざめた顔で微笑むメビウス1。俺はどうにも納得できず、髪をかきむしった。
仲間を疑うのは、確かに気分がよくない。だが俺は、初めて見た奴の辛そうな顔を忘れられないでいる。

メビウス1がいいと言うならそれで納得するしかないのかと、悶々とした一日を過ごし、自分の部屋に向かっている所で廊下の角から話声が聞こえてきた。
「スカイアイ、本当にごめんなさい」
メビウス1の声だ。思わず壁際により、気配を殺す。話しているのはスカイアイか。
「いいや、メビウス1。そんなに気にするな。お守りくらいまた買ってやるから」
「でも、あれがなかったら、俺……次の任務で死ぬかもしれない」
「そんなわけないだろう?君なら大丈夫だ」
泣きそうな声のメビウス1を、スカイアイが必死に励ましている。
つまり探していたお守りは、スカイアイがメビウス1に贈った物だったらしい。スカイアイに弱音を吐いている所を見るに、やはり相当こたえているようだった。
俺はまた、「だったらあのとき何故言わない!」と、はらわたが煮えくり返った。平気なふりなどしないで、助けてくれとひとこと、言えばよかったじゃないか。そうすれば――。
廊下の角を曲がらずに、俺は静かにその場を後にした。

失くすはずのない物が失くなった。物が勝手に移動するはずもない。意図的に誰かが持ち出したにちがいない。それが出来るのはあの時にシャワールームにいた人間。何人かいる候補の中で、犯人の当たりをつける。
俺にはわかった。
何故なら、そいつもまた、メビウス1に対して嫉妬の感情を抱いていたからだ。俺が死ぬほど嫌いな“表面上はにこやかに、裏で陰口を叩く奴”だ。だからこんな陰湿なまねができる。
俺はすぐさまそいつを探しだして締め上げた。ちょっと胸ぐらを掴んで脅してやれば、そいつはすぐに犯行を認め、泣きながら許しを乞うた。別にこいつに謝らせたいわけではない。お守りのありかが知りたいのだ。
お守りはその辺のゴミ箱に捨てた、と言う。
俺はシャワールーム近辺のゴミ箱を手当たり次第あさったが、ゴミはすでに回収されたのか見当たらなかった。急いで焼却炉まで行き、集められたゴミを掻き分けて、小さなお守りを探す。明日の朝になれば焼却されるかもしれない。
臭いし汚いし、何かわからない液体で手は濡れる。俺はいったい何をやっているんだ、と何度となく心が折れそうになり、それでも意地で探し続けた。
なんのために?
俺の行動はまるで、あいつのためにしているように見える。あいつの大切なものを取り戻そうと。
――いいや、違う。
すぐさま否定した。
これは自分のためだ。このままでは、自分の中でモヤモヤが消化できないからだ。断じて、あいつのためなんかじゃない。
そう念じながら、無心でゴミを掻き分ける。
「……あった」
ゴミの山から小さなお守りを見つけた時は、思わず声が出た。ガッツポーズをして、恥ずかしくなり、誰も見ていないかと辺りを見回す。
手の中の、なんの変哲もないお守り。
安堵の息を吐く。不思議な達成感に包まれ、口角が上がった。

次の日、そのお守りをメビウス1に見せた。
「お前が探していたのはこのお守りで間違いないか」
「えっ」
メビウス1はまさかお守りが戻ってくるとは思っていなかったようで、目を見開いて驚いていた。
「そ、そうだよ。でも、どうして?」
俺はメビウス1に経緯を説明した。焼却炉まで探したことは、俺の自尊心のために黙っておいた。
「ありがとう、ヴァイパー7。本当にありがとう」
奴は何度も俺に感謝の言葉を告げる。そういえば、メビウス1にコールサインで呼ばれることもほとんどなかったな、と感慨深くなる。
ゴミの中にあったせいで少し汚れたお守りを、メビウス1は撫でた。
「このお守りはスカイアイから貰ったものなんだ。スカイアイはまた買ってやるって言ってくれたけど、俺はこれがよかったんだ。だから……ありがとう」
そう言って微笑むメビウス1を見て、唐突に理解する。メビウス1も何も感じない訳じゃない。辛いこと、苦しいこと、俺たちと同じように感じる人間なんだということを。考えてみれば当たり前のことだった。人より優れた能力を持っているからといって、その精神までも優れているとは限らない。俺の中にある劣等感や嫉妬が、こいつの本当の姿を歪ませて見せていたのかもしれない。
理解出来ないと思い込んでいたメビウス1の、心の一端を掴んだ気がした。
怒りに任せて殴ってしまったことを思い出す。
メビウス1の微笑みに、以前にはなかった温かさを感じる。その変化の要因はわからないが、悪いことではないんだろう。

あいつが現れてから、ISAFは作戦の全てを成功し、エルジアの降伏により戦争は終結した。
メガリス――この一戦で終わる。
俺は相変わらずあいつの後ろ、二番目にいる。結局、追いつけなかった。けれどそれでいい。英雄と共に飛べる機会など、そうはない。
人間、重すぎる責任を背負わされると変わらざるをえないんだろう。あいつは昔のような怯えも見せなくなり、どこか悟りでも開いたかのような、そんな目をするようになった。今になって、あの自信のない怯えたあいつが妙に懐かしく、実は幸せなことだったんじゃないかと……。
AWACSの声が感傷をさえぎる。
迷いがあれば戦えない。多分、奴も後悔してはいない。
あのお守りを手にして。