あなたが願うから

突然、現れた人影にぶつかる。書類がバサバサと地面に散らばった。
「す、すみません……!」
「――君は」
その声に、書類を拾おうと伸ばした手が止まった。
ツヤツヤに磨かれた靴。すらっと長い足。それだけで誰だかわかってしまい、来た道をダッシュした。
「あっ、待て、メビウス1!」
背後から呼び止める声が遠ざかる。息がきれるほどの距離を走って、ようやく後ろを振り返った。
誰もいない。
突然スカイアイと出会って、条件反射のごとく逃げてしまった。彼はきっと怒っているだろう。
俺は最低だ。
ここしばらく、ずっとスカイアイを避け続けている。
スカイアイに両親の死を「悲しんでいい」と言われたとき、彼の腕の中で子供みたいに泣きじゃくった。どうしてあんなに無防備になってしまったのか不思議だ。冷静に思い返すと、自分のおこないが恥ずかしくて情けなくて、スカイアイにどんな顔をすればいいのかわからないのだ。
両親が死んだとき、俺の目から涙は一滴たりとも出なかった。悲しみよりも、おいていかれたという気持ちが強く、明日からどうやって生きればよいのかという現実に押しつぶされそうだった。
両親の死を悲しめない自分は、どこかおかしい。冷酷な人間なのだと自分を責めた。
それが、スカイアイには悲しみを押し殺しているように見えたらしい。すがり付いたあの人の胸は温かくて、塞き止められていたダムが決壊したみたいに涙があふれて止まらなくなった。自分の中にあんな激情があるなんて知らなかった。
スカイアイは、こわい。
あの、青く、美しい瞳が。空と同じ色をした瞳が、心の奥深くにまでたやすく侵入し、俺ですら知らない感情まで暴き出す。
他人との関わりを避けてきた俺にとって、それは恐怖以外のなにものでもなかった。

高い空には段々になったうろこ雲が浮かんでいる。日差しは暖かくて、散歩するにはちょうどいい天気だけれど。
スカイアイはスマホを持って、道端でなにやら調べている。
「スカイアイ、街に行くなら、道が違います……」
一応、控えめに主張しておいた。
「うーん……街に行く前に、少し寄りたいところがあってな。この辺りのはずなんだが」
地図を見て目的地を探しているのだろう。
俺はスカイアイにばれないように、こっそりため息を吐いた。
スカイアイとぶつかった後、逃げたというのに食堂でバッタリ彼と出くわして観念した俺は、これまでのことを謝罪した。スカイアイは「気にするな」と笑ったが、ふと考える仕草を見せて「悪いと思うなら、今度、街に行くのに付き合ってくれないか」と要求してきた。ノースポイント出身の俺に、ガイドを頼みたかったらしい。
当然、俺に断る権利はなかった。
それで今、スカイアイと、こんなところにいる。
周りは街とは正反対の、田んぼや畑がある田舎道だ。軍の基地から街まではそこそこの距離があるため、スカイアイの運転する車でここまで来た。車は邪魔にならない道の端に停めてある。
「メビウス1、すまないが、現地の人に道を尋ねてくれないか」
「え……」
「ほら、ちょうどあそこに人がいる。この場所へ行きたいんだ」
示されたスマホの地図を覗いた。
「神社……?」
「そう、神社だ」
以前から、機会があれば行ってみたかったのだと言う。スカイアイはノースポイントの文化に興味があるらしかった。スカイアイの楽しげな笑顔がまぶしくて、人に道を尋ねるのは嫌だと言いづらい。
ため息を押し殺して、通りすがりの中年の女性にノースポイントの言葉で声をかけた。
「あ、あの……すみません……」
「はい?」
女性は立ち止まったが、俺とスカイアイを見てにわかに焦りだした。
「あらあら困ったわ。わたし、外国の言葉わからないのよー」
「いえ、あの……ちが」
「ごめんなさいねぇ」
俺が言葉を挟む余地もなく、愛想笑いを浮かべて、そそくさと離れていく。
「あ……」
俺はがっくりとうなだれた。だから嫌だったんだ。
「どうした、メビウス1。聞けなかったのか?」
「はい……すみません」
「それはかまわないが。どうした、元気がないな」
スカイアイが俺の顔をのぞき込み、不安そうな顔をした。
「やっぱり、無理に来させたからか?」
「いえ、そういうわけじゃ……!」
あわてて首を振る。
「俺はこんな容姿なんで……初対面の人に、ノースポイントの人間とは思われないんです」
苦笑して、白い前髪を一房、つまんだ。
白っぽい金髪に、薄いグレーの瞳。俺の容姿は母ゆずりで、黒髪黒目のノースポイント人の中では非常に目立った。俺自身は生まれも育ちも生粋のノースポイント人なのだが、初対面で看破できた人はいなかった。小学生の頃は、容姿をからかわれたり、イジメのようなこともあった。子供というのは純粋であるがゆえに、興味も嫌悪もオブラートに包むことをしない。
「ISAFはいろんな人種の人がいるから……俺の容姿を珍しがる人はいなくて、すごく、ラクです」
だから忘れていたのだ。自国での、肩身のせまさを。
「そうだったのか……。悪かった。嫌なことをさせて」
「いえ……」
俺と同じ状況でも、スカイアイなら違ったと思う。彼は他人とコミュニケーションを取るのが上手い。聞き上手だし、自分の意見も言える。それに、彼がにっこり笑えば嫌な気分になる人なんていないんだ。
だから俺もきちんとコミュニケーションを取りさえすれば、誤解されることも、周囲から浮くこともなかったはずだ。周囲になじめなかったのは、根本的には自分の性格に問題があるからだ。しかし、わかっていても、幼少から培ってきた性格は、そう簡単には変わらない。
俺が役立たずだと判明してしまったので、スマホの地図を解読して、なんとか神社にたどり着いた。小さな山の上にある神社だ。登り階段が急で、二人で息をゼイゼイいわせながら登った。
頂上にある石の鳥居をくぐって、振り返ると、目がくらむような高さだった。
「いい眺めだな」
確かにスカイアイの言うとおり、視線の先には稲刈り中の田んぼや畑の緑が広がり、その先に住宅街、さらに向こうには小さくビルが立ち並ぶ。あれだけ高く感じたうろこ雲が、今は傘をかぶったように近い。
「君のふるさとも、こんな感じかい?」
景色に見とれる俺を、スカイアイが微笑んで見ていた。
「そうですね……」
のどかな田園風景が、記憶の中の、故郷と重なる。もう何年も帰っていない。帰る家がないんだから。
「俺の父は軍人で、戦闘機パイロットでした。家の近くに、基地があって……あ、逆か。基地の近くに、家を借りてて。だから……よく戦闘機が飛ぶのを見てた」
不思議なことに、するすると言葉が出る。久しぶりに故郷へ帰ってきたみたいな気持ちになっているんだろうか。それとも、相手がスカイアイだからか。
「俺、学校では友達がいなかったんだけど、ある時、基地の近くで戦闘機を見ていたら、同じように戦闘機が好きな男の子と知り合ったんです」
どこの誰ともわからない。でも彼だけは俺の容姿を気にせず話しかけてくれて、好きな戦闘機の話で盛り上がった。それから、約束をしたわけでもないのに、同じ場所で何度も彼と会い、遊んだ。俺の唯一の友達。
「その彼は、今?」
「わからない……。ユリシーズの災害で基地はめちゃくちゃになったし、俺も避難所暮らしで、毎日が精一杯で。生きているのか、死んでいるのかも」
「そうか……。無事だといいな」
スカイアイが肩をポンと叩く。俺は素直にうなずいた。
辛気くさくなってしまった空気を変えようと、スカイアイに神社にお参りしようと提案した。作法を教えて手を合わす。日々の忙しさで、いつの間にか忘れていた友人。自身の薄情さを懺悔して、彼の無事を祈った。となりで祈るスカイアイを薄目でのぞき見る。ずいぶんと長い間、なにを熱心に祈っているのだろう。スカイアイの願いごとがなにか、気になった。
お参りを終えて、境内を散策する。
「メビウス1、あれは何だ?」
スカイアイが指差した先には社務所がある。そこには色とりどりのお守りが売っていた。
「お守り、だね」
ちょっと買ってくると言って、スカイアイは言葉も通じないのに身ぶり手ぶりでお守りを買っていた。それを見ていると、やっぱりコミュニケーションに言葉は関係ないんだという思いを強くした。
「待たせたな」
戻ってきたスカイアイは、買ったばかりのお守りを紙袋から出して俺の手の平にのせた。
彼の瞳みたいな色のお守り。
「――君に」
「え、俺……?スカイアイのじゃ、なくて?」
「俺には必要ない。お守りは、戦場に出る君にこそ必要だろ」
スカイアイの両手が、俺の手ごとお守りをおし包んだ。
「君はこれまで苦労と、つらい思いをしてきたのかもしれない。でも、君を案じる人は必ずいるんだ。今日、話を聞いて、それがわかった。……友達も、ご両親も。君が生きて、幸せになってほしいと願っているはずだ」
スカイアイを見上げた。青い瞳に小さな俺がうつっている。まるで、彼の瞳の中に守られているみたいに。
「死ぬなよ、メビウス1」
手が温かい。目が、頬が熱い。潤んだ瞳を見られたくなくて、地面に目を落とした。
「…………うん」
唇から声を絞り出した。それしか、できなかった。
――スカイアイは、やっぱり、こわい。
お守りを握りしめて俺は、あらためてそう思った。