再会

夢を見た。
俺の部屋のベッドでメビウス1が眠っている夢だ。俺は横で仕事をしながら意識の端に彼の気配をたどる。
戦時中のメビウス1は眠れないときに、たびたび部屋を訪ねてきた。いつも眠そうにして顔色も白く、目の下にうっすら隈があった。それが少しでも解消できるならと、俺のベッドを提供し仮眠させた。
今となっては懐かしい光景。
彼が側にいることで、俺は満たされていた。
過去を模した夢の中で、彼は泣いていた。涙の意味を知ろうとしたが、その前に目が覚めてしまった。

昨夜、自由エルジアと小規模の戦闘があり、終わった後、短いながらも睡眠を取った。睡眠の質がよくなかったせいかもしれない、そんな夢を見てしまったのは。
まさか彼がどこかでつらい目にあっていないだろうかと夢が頭から離れなかった。心配したところで、彼がどこで何をしているかもわからない自分には、何も出来ないのだが。
ため息を吐いて廊下を歩いていると、背後からどたどたとやかましく走ってくる足音がする。
「おーい、スカイアイ!ここにいたか!」
振り向くと、走って息の上がったむさ苦しい男がいた。
「なんだ、オメガ1。どうした」
「あんた、知ってたか?メビウス1が帰ってくるって!」
「なんだって……?」
耳を疑った。
「今日、この基地に帰ってくるって話だぜ」
それ以降、彼が何を言ったのか、俺はよく覚えていない。

迷彩柄のヘリが基地に着陸する。それを緊張しながらじっと見守った。
メビウス1がこの基地を旅立ってから一年弱。帰ってくるのはもっと先になるかと思っていた。それくらいの覚悟をして送り出したのだ。もちろん、夢に見るほど会いたかったし、彼が帰ってくるのは嬉しい。しかし急すぎて、まだ心構えが出来ていなかった。
周囲にはメビウス1を迎えに来た部隊のメンバーが並んでいる。整備班やオペレーター、事務員など、手の空いている者は迎えに出て来たようだ。他にも一目“メビウス1”を見たいと、集まった野次馬が建物の窓から覗いている。
ヘリから小さな体が降りてきてドキリとする。プロペラの巻き起こす風が薄い色の髪をなぶる。一年前より髪が伸びていた。邪魔になるからか、伸びた髪を後ろで一つにくくっている。
まだ距離は遠いが、彼がこちらを見たのがわかった。眼と眼が合う。
周囲の雑音が遠く、かすかに。空気の流れが緩やかになり、自身の鼓動だけがやけに大きく響いた。
彼の唇が薄く開き、音もなくわずかに動いた。
読唇術の心得などないが、彼がひそやかに俺の名を呟いたことが、なぜかわかった。
「おかえりなさい、メビウス1!」
「よく戻ったな!」
皆が次々と声をかける。
メビウス1は周囲にいる人間や野次馬には目もくれず、まっすぐ俺のところへ歩いてきた。堂々とした態度に時の流れを感じる。少し日に焼けたのか、記憶にある彼より健康的な肌色だ。ぱっちりと開いた眼にはもう隈はなく、強い意志を感じさせた。夢は夢でしかなかったのだと、少しの寂しさと共に思い知る。
すぐ近くまで来た彼が、小さな体で俺を見上げ、微かに微笑む。「ただいま」と俺に聞こえるだけのボリュームで呟く。「おかえり」と返した。
「いきなりで悪いんだけど、スカイアイ、現在の状況を説明してほしい」
彼の言葉に、自身が浮かれていたことを自覚した。彼は俺に会うために帰ってきたわけじゃない。戦うために戻ったのだと、静かに燃える青灰の瞳に理解する。
瞬時に、彼の仕事のパートナーとしての己を呼び出した。
「……わかった。歩きながら話そう」
とりあえず、彼を司令官の執務室に連れていく間に現在の“自由エルジア”との戦況を話して聞かせた。我々だけでカタをつけられず、結局、彼の力に頼らざるをえないとは情けない限りだった。
俺はさっきから横を歩くメビウス1に違和感をいだいた。張りつめた糸のような、ピリピリと針で刺す気配がする。しばし考えて、まさか彼は怒っているのかと思い至った。

執務室につき、ノックをして入室する。司令官が中央のデスクに座っていた。
「よく戻ったな、メビウス1。待っていたよ」
立ち上がり微笑む男は、俺より少し年上で一見優しそうに見える。
メビウス1は司令の言葉に感激もせず黙っていた。
「どうした、長旅で疲れただろう?座りなさい」
デスクの前にある黒いソファーに座るよう促した。
ニコニコと、まるで久しぶりに息子に会った父親のように接する。年齢的には父と子でもおかしくはないが、メビウス1には響かなかったらしい。男の言葉を無視し、ただ見つめる。司令官も彼の性質は知っている。無視されたことを気にする様子もなく、デスクに座りなおした。
「俺が……いると知っていて、あの空域で戦闘をしたんですか」
彼が重い口を開いた。
戦闘とはなんだ。彼は何の話をしている?
「ゆうべ、地上で戦闘に巻き込まれたんだったな。……無事でよかった。君は悪運が強い」
話の流れからして、昨夜の自由エルジアとの小競り合いと気づく。あの時、地上にメビウス1がいたのか。
「情報部の人間が訪ねてきたんだ、あなたが知らないはずはない」
「そうだな。君がいることはもちろん知っていたよ。しかし敵があの上空を飛行ルートに選ぶのは、我々にはどうにもできん。敵の動きはこちらで操作出来ないからな」
この男は俺にメビウス1がいると知らせなかった。俺は彼がいるとも知らず、昨夜の戦闘を指揮していたのだ。ショックだった。しかし同時にこの男の判断が正しかったとも思う。メビウス1が地上にいると事前に知っていたら、気にせずにはいられなかっただろう。現場の指揮をするのに集中力を欠いては、どんな事故が起こるかしれない。
「民間人に被害が出るところでした」
「致し方ない。戦闘をすれば人は死ぬ。君もよく知っているはずだ。……だから戻ってきたのではないのかね?」
「…………」
メビウス1が、ぐっと手を握りしめたのが見えた。彼が怒っていたのは、司令官のやり口に対してだったらしい。
おそらく司令はメビウス1がいると知っていて、わざと上空で戦闘を起こした。ニュースでは知り得ない現状を知らしめるため。そして戦いから身を引こうとも、戦闘が起きれば傷つく人々がいて、失われる命があるということを改めて気づかせるために。
思えばこの男は一年前の戦争中からメビウス1にとんでもない作戦を与え、負担をかけ続けてきた。彼はそれを文句も言わず粛々とこなしてきたが、少しくらいなじって、文句を言っても許されると俺は思う。
「この、スカイアイ管制官が、君を繋ぎ止める重石になることを期待したんだが、どうもこの男には荷が重かったようだからな」
声を上げ高らかに笑う。
急にこちらに話を振られたかと思いきや傷口を抉られ、腹の内がカッと熱くなった。
「は……?」
メビウス1は首をかしげている。
――わからなくていい、わからないままでいてくれ。彼には、人と人との間に生まれる絆すら、はかりごとの種にするような人間になってほしくない。
ぐっと奥歯を噛み締める。
司令官は笑いを収めると、真面目な顔つきになった。
「眠れる獅子を目覚めさせるには、多少の荒療治も必要だった。我々にはどうしても君でなければ遂行出来ない作戦があるのだ」
「作戦……?」
俺とメビウス1の声が重なった。
「コードネーム“カティーナ”」
メビウス1、自由エルジアを武装解除せよ。
司令官は厳かに言いはなった。