ポッキー・ゲーム

昔、スカイアイとポッキーゲームをしたことがある。

まだスカイアイとは恋人でもなんでもなかった、あの戦時中でのことだ。
仲間たちと飲んでいたとき、ヘイロー2が突然王様ゲームをやりたいと言い出した。
「男ばっかでやって楽しいのかよ。合コンでやれ」
オメガ1の言うことはもっともだったが、ヘイロー2は引き下がらなかった。
「合コンができるならやってるって! 女の子いないんだからしょうがないだろ」
ヘイロー2の言うとおり、軍にいる女性の数は圧倒的に少なかった。女性に飢えた男たち。平時であれば外で合コンのセッティングなどもされていたかもしれないが、戦時真っ只中の今はそんなことをする余裕もない。
結局オメガ1はヘイロー2の勢いに飲まれて、皆で王様ゲームをすることになった。ぼっちだった俺はもちろん王様ゲームなんてやったことがない。ルールは何となく知っていたけれど。そんな俺がここにいるわけは、俺の隣でにこにこ機嫌よく飲んでいるスカイアイのせいだ。オメガ1がスカイアイをこの飲み会に誘ったとき、たまたま俺も居合わせて、ついでに連れて来られたのだった。
何だかんだ言いつつ、男ばかりでも王様ゲームはそれなりに盛り上がった。恥ずかしいポーズをとらされたり、初恋の話をさせられたり。耳に刺さるような彼らのバカ騒ぎに俺は閉口した。
俺もくじを引かされていたが、これまで運よく番号は外れていた。
このまま何事もなく終わって欲しい――いや、さっさと何か理由をつけてここから逃げ出すべきだ。
そう思いながら次に引いたくじの番号は8。
王様になったらしいヘイロー2が高らかと宣言する。
「じゃあ、2番と8番はポッキーゲーム!」
俺は思わず手元のくじを二度見した。
8だ。
何度見ても8だ。
――最悪だ。
頭から血の気が引いた。なんで当たってしまったんだ。だからさっさと逃げ出しておくべきだったんだ、と後悔しても遅かった。ここまで参加しておいて自分が罰ゲームに当たった時だけ「嫌です、やっぱりやめます」なんて今さら許されるはずがない。
――いや、まてよ。
ポッキーゲームなんて、よく考えたら大したことないんじゃないか。恥ずかしいポーズをさせられたり、人前で何かを告白しなければならない罰ゲームに比べたらなんてことない。相手は誰か知らないが、男同士だし本気でキスしにきたりはしないだろう。ポッキーを咥えて、バレない程度にさっさと負けてしまえばいいんだ。
そう思ったら、今すぐ逃げ出したい気持ちをなんとか押さえることができた。
「8番は……メビウス1か。じゃあ、2番は?」
ヘイロー2が仲間を見渡す。
「俺だ」
その声が隣から聞こえてきてギクリとした。
勢いよく隣を振りあおいだ。
スカイアイもこちらを見ていてバチリと目が合った。
嘘だ、嘘だ、嘘だ。
なんでよりによってスカイアイと?
俺は天の采配を呪った。
「スカイアイが2番か。よかったなーメビウス1」
ヘイロー2が邪気のない顔で笑う。
何がいいものか。一番よくない人選だ。
そう吠えたかった。しかしヘイロー2には俺の気持ちなどわからないだろう。想像だにしないに違いない。
俺がスカイアイに惚れている、なんてことは。
好きな人とキスまがいのことをする。超弩級に人見知りで恋愛経験のない自分がそんなこと、できるはずもなかった。
スカイアイがたくさん積まれたお菓子の山からポッキーを一本手に取った。
俺は急に身体がガチガチになった。
緊張する。どうしよう。逃げたい。
そう思うのに、身体は動かなかった。
スカイアイが俺を見て可哀相に思ったのか安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だよメビウス1。ただのゲームだ……気楽にな」
スカイアイはポッキーのチョコのかかった方を俺の唇にちょんと触れさせた。
それだけで俺の心臓は激しく動揺して脈打った。
つるりと口の中に差し込まれる細い棒。ポッキーを折ってしまうと負けになるから柔らかく唇で挟む。俺の激しい脈によって、咥えたポッキーがふるふると震えていた。
スカイアイが俺の肩を掴んで、ぐっと身体を寄せた。まるでキスをするみたいに。
スカイアイの唇はポッキーのチョコがかかっていない部分を咥えた。
ありえないくらい距離が近い。当たり前だ。ポッキー、一本分以下の距離しかないのだから。他人とこんなに接近したことなんてない。スカイアイの薄い色をした睫毛や、肌のきめまで見える。
スカイアイの美しい空を思わせる青い瞳が俺を見ていた。
一直線に。真剣な眼差しで。
あれ?
これってゲームだよな?
自分の顔が燃えるように熱くなるのを感じた。咥えたポッキーのチョコが唇の熱でじわじわと溶け出す。
スカイアイの顔がゆっくり――呆れるほどゆっくり近づいてくる。俺は何もできずに、ただ目を見開いていた。
仲間たちの囃し立てる声や口笛が遠くに聞こえるが、そんなのはもはやどうでもいい。
スカイアイの瞳が俺を捕らえる。視線を反らしたいのに反らせない。瞳孔が弾丸みたいに俺を撃ち抜いて、反らすのを許してくれない。
さらに距離が近づく。
ふ、と空気が肌に触れた。それが彼の息づかいだと認識した瞬間、俺はぎゅっと目をつぶった。
――もうダメだ!
唇が触れ合う寸前、俺は思い切りスカイアイを突き飛ばしていた。いや、突き飛ばしたつもりだったが自分の方が反動で後ろに弾かれた。
咥えていたポッキーは衝撃でぽっきりと半ばで折れた。
スカイアイは目を見開いてこちらを見ている。
俺はもう、恥ずかしいやら情けないやら悔しいやら。色んな気持ちが襲ってきて、いてもたってもいられず、その場から逃げ出した。

走って、とにかく走って、気がついたら兵舎の外へ出ていた。
夜の冷たい風が髪を巻き上げる。
外の風に当たると少しは冷静になれた。
まだ心臓がドキドキしている。指が震える。
キスをしてしまうかと思った。
スカイアイと。
「ただのゲームだ」と彼は言った。それなのに彼は妙に真剣で、本当にキスされるんじゃないかと思った。そんなはずはないのに、少し怖くなってしまったのだ。
あんな“たかが”ゲームで顔を真っ赤にして、みっともないくらい動揺して馬鹿みたいだ。スカイアイも変に思ったに違いない。恥ずかしい。
――それに。
今、冷静になって考えると、あれは惜しかったんじゃないかと思う。
いっそ、キスしてしまえばよかったんじゃないのか。
彼と合法にキスができる。こんなチャンス、きっと二度となかったのに。一生に一度でいいから好きな人とキスをしてみたかった。そうすればその思い出を胸に生きていけたのに、ふいにしてしまったんだ。
馬鹿だな、俺は。
くしゃりと前髪を掴んで乱した。
ゲームでなんかキスしたくない。あの土壇場で反射的にそう思ってしまった。

「メビウス1」
肩が跳ねた。
よく知った声だ。俺を追いかけて来たらしい。
どうして彼は俺を放っておいてくれないんだろう。
俺はまだ熱の引かない顔を誤魔化すように握った拳でこすった。
スカイアイは近寄っては来たが、普段より少し距離をおいて、ためらいがちに話しかけてきた。
「さっきは、すまなかった」
「え……」
「嫌だったんだろう?」
スカイアイは困ったように眉を下げて笑った。
「嫌とか、そんなんじゃ……」
俺はあわてて首を横に振った。スカイアイに誤解だけはされたくなかった。
「そうかい? でも君はああいうノリは嫌いだろう。知っていたけれど、少し調子にのってしまったようだ。……悪かった」
「う、ううん。俺も……逃げ出して、ごめん」
俺も謝ると、スカイアイは安心したように息を吐いて微笑んだ。

そんなこともあったな、と今は懐かしく思う。
スカイアイの家。
リビングのソファーに彼と並んで座り、スカイアイが面白いよと薦めてきた古い映画を見ていた――ポッキーを食べながら。
だからこんなことを思い出してしまったんだ。
手に持ったポッキーをゆらゆら揺らす。
隣にいるスカイアイの横顔を見つめると、気配に気づいたスカイアイが振り向いた。
「どうした?」
「あのさ……前に、ポッキーゲームしたの、覚えてる?」
映画とは全く違う話だったせいかスカイアイは面食らった顔をした。しかし、すぐに思い出したらしく何度かうなずく。
「……ああ。そんなこともあったな」
俺が手に持ったポッキーを見て、急に話題にした理由を察したらしい。
「それがどうかしたか」
「ううん、別に……。あの時は、スカイアイとこんな風になるなんて思いもよらなかったなって、思っただけ」
キスの雰囲気に怯えていた俺が、今ではスカイアイと恋人になり、一緒に暮らしている。
あれはそんなに前の話でもないのに、もうずっとずっと昔のようにも感じる。
人生ってどう転ぶのか本当にわからない。
そんな思いに浸っているとスカイアイが小さく笑った。それは自嘲を含んだ響きだった。
「懐かしいな……。今だから言えるが、あの時の俺はゲームにかこつけて君にキスできるんじゃないかって、よこしまなことを考えていた」
「え……っ」
驚いた。スカイアイがあの時そんなことを考えていたなんて。
「君に拒まれて頭が冷えたよ。がっつきすぎて嫌われたんじゃないかと思って、あわてて君のあとを追いかけたんだ」
俺がスカイアイを嫌うだって? そんなことあるはずないのに。
嫌われたんじゃないかなんて、スカイアイでも考えるんだと、半ば信じられない気持ちだった。けれどもし本当だったら、なんだかスカイアイが可愛くみえてくる。
俺はスカイアイのシャツの袖をツンツンと引っ張った。
「ん?」
スカイアイに見せつけるように手に持ったポッキーを口に咥えた。食べるわけでもなく。
スカイアイは眉を上げてニヤリと笑った。何も言わずとも彼は俺の意図を正確に見抜いたらしい。
肩に手を添え、俺の咥えた方とは反対の、ビスケットがむき出しになったポッキーの端をスカイアイが口に含む。
ゆっくりゆっくり。焦れったいくらいに唇が近寄ってくる。
鼻先が触れ合いそうになって、スカイアイは顔を傾けた。
俺はぼやけて焦点が定まらなくなった目を閉じる。
あの時と同じくらいドキドキする。でも違うのは、ドキドキと同じくらい安心感があることだった。
これはゲームじゃないから勝ち負けなんかない。誰かに見せるわけでもない。
ただの、恋人同士の戯れ。
スカイアイの唇が触れ、しっかりとお互いの唇が合わさる。プツンと繋がりが切れた感触。スカイアイがポッキーを噛み切った。舌が俺の口の中に侵入し、残された切れ端もさらっていった。
ポッキーを一人で食べたスカイアイは「甘いな」と笑った。
俺は物足りなくて唇を尖らせた。あんな少し触れ合っただけのキスでは満足できない身体になった。ポッキーゲームごときで真っ赤になっていた自分を懐かしく感じるのも当然だ。それもこれも全て目の前の男のせいだ。
スカイアイは俺を引き寄せて目を見つめた。その目が優しく細められる。わかってると言うように。
お互いを邪魔するものは何もなく、磁石がくっつくように吸い付いた。熱い舌が口の中をまさぐる。
「んっ……」
スカイアイのキスは優しく官能的で、いつだって俺をとろとろに溶かす。何度しても飽きることはない。あの時一生に一度だけと願ったけれど、一度味わったら忘れられず結局二度三度と欲しくなる。そんなキスだった。
人の欲望には限りがないってことを、あの頃の俺は知らなかった。

映画もそっちのけでスカイアイと満足いくまでキスをした。
チョコの甘さとビスケットの香ばしさが残るキスだった。