無限の翼

「おい、新人、ちょっとこっち手伝え!」
「は、はい!」
整備班長に呼ばれて、ビクビクしながら後をついていく。
俺はまだ整備士になったばかりで、仕事もわからないことばかり。毎日先輩たちに怒鳴られて、怒られていたけれど、それも仕方がない。戦闘機の整備はとても重要な仕事だ。少しのミスが操縦者の命を奪うかもしれない。大変な仕事だけれど、やりがいはある。なにせ大好きな戦闘機を間近に見て、触れられるのだから。
小柄な班長の後についていく。班長はベテランの整備士で、俺とは親子ほども歳が離れている。それに職人気質であまり喋ったりしない。だから、どう接したらいいのかわからなくて、少し怖かった。
班長はどんどん進んでいく。
「あの……ここ、第二格納庫ですよね……」
班長からの返答はない。黙ってついてこい、というわけか。
第二格納庫にはめったに使わない機体を収納している。
こんなところでいったい何を?
歩き疲れてきたところだった。班長の足が止まったのは、すみっこにひっそりと置かれた鈍色の機体の前だった。
「これ……ラプターじゃないですか! なんでこんなところにしまってあるんですか?」
俺は当然の疑問を班長に投げ掛けた。ラプターは、現在我が軍に配備されている戦闘機の中では最も高性能だった。それを使わずに大事にしまっておくなんて、勿体ないとしか言えない。
班長は道具を広げて整備を始めた。どうやら目的はこの機体だったらしい。
「……いつでも使えるように、との上からのお達しでな」
珍しく班長が口を開いた。
「キャノピーを開けてくれ」
指示されて、梯子を上り、ラプターの操縦席を眺める。キャノピーの下の機体に沢山のキルマークが控えめに描かれていた。この機体にはかつて操縦者がいたのだ。それもこのキルマーク数を見るに、とても腕が良い。
キルマークがいつくか並んだ最後に、数字の八を横に倒したような無限大を意味するマークが描かれている。
俺は無性に胸がドキドキした。これが意味するものって。
「おい、キャノピーを開けろって言ったろうが!」
「はっ、はい!」
怒鳴られて慌てて返事をした。キャノピーを開けて操縦席に入る。班長に指示されるままに機体の操作を行う。
とりあえずのチェックが終わり、機体から降りた。俺は整備を手伝いながら、ずっと疑問に思っていたことを班長に聞いた。
「あの……なぜこのラプターは使っていないんですか?」
班長は最後のチェックを自分でやりながら答えてくれた。
「……使えないんだよ。誰も」
「え……?」
「このラプターは、ある操縦者の要望に合わせてカスタマイズしてある。機動性を限界まで上げてな」
「ラプターはもともと機動性がいいのに、さらに?」
「そうだ。安定性を切り捨てたから、とんでもないじゃじゃ馬だよ。過去に何人か、腕に覚えのあるパイロットが乗れるかどうか挑戦したが、誰一人乗りこなすことはできなかったな」
「だったら誰でも使えるように調整しなおせばいいじゃないですか。使わずにしまっておくなんて、勿体ない」
「それが……、できないんだよ」
班長がため息を吐いて首を振る。
「なぜです?」
班長はその職人気質の顔に笑い皺を浮かべて、使った道具を片付け、帰り支度をした。
「さ、今日はこんなもんでいいだろう。手伝ってもらって悪かったな」
「あ……」
ポンと俺の肩を叩いて、班長は去っていく。
あからさまに質問の答えを濁されてしまった。俺には言えないことなのだろうか。
俺はラプターを見上げた。
このラプターには、とんでもなく凄腕のパイロットが乗っていたはずだ。それなのに、今は薄暗い格納庫のすみっこでホコリをかぶっている。
――なんだか、かわいそうだな。
還らぬ主人を、いつまでも待ち続けているみたいで……。
塗りつぶされた尾翼のマーク。
後ろ髪を引かれる思いで俺は班長の後を追った。

あの格納庫のすみで眠っていたラプターは今、青空を飛んでいる。
――自由に。
班長はじゃじゃ馬だと評したが、そんな風には微塵も感じなかった。飛び方は、優雅で力強く、美しい。
その尾翼に見覚えのある無限のマークを背負っている。それがなんだか誇らしげに見える。
翼を振って、太陽の光を反射したラプターは、青空に溶けこむように彼方へと飛んでいった。