それなりに広いスペースがあった部屋に、人が大勢押し寄せたせいでひどく狭く感じる。
メビウス1がフライトシミュレーターを使って訓練をする、という噂がこの基地を駆け抜けたのは先程のこと。メビウス1の飛んでいる姿を見たものは多いだろうが、フライトシミュレーターを使うのを見られる機会はこれまでなかった。飛びはじめのひよっこならまだしも、大陸戦争の英雄である彼が今さらシミュレーターなどで訓練をする必要はない。訓練なら実機でいくらでもできたからだ。
では、なぜシミュレーターを使うことになったのかというと――。
「すごい人だかりだな」
背後から聞き覚えのある声が聞こえて俺は振り向いた。
「スカイアイ」
「やぁ、ヘイロー5。君も見学に来ていたのか」
見たものを和やかな気持ちにさせる爽やかな笑顔を振り撒いて現れたのは、AWACSに乗り、我々航空部隊の管制指揮を務めているスカイアイだ。
俺も戦闘機パイロットとして日々の任務をこなしてはいるが、エースだとはとても言えない。運良くかの戦争を生き残った、ただの凡人だ。
俺から見ればオメガ1やヴァイパー7は尊敬する相手で、メビウス1にいたっては遥か彼方。手を伸ばしても届かない位置にいるような次元の違う存在だった。
同じ部隊にいても上からの扱いの差は如実に感じられる。メビウス1の功績を考えれば当然で、何も異議はなかったが。
「スカイアイも見学ですか?」
スカイアイは部隊全員の管制指揮を行うと同時に、メビウス1専属の管制官でもある。噂ではメビウス1自らがスカイアイを管制に望んでそれが許されたとのことだが、このことからもメビウス1の特別扱いぶりがわかるというものだ。
「ああ、こんな機会はないからね」
「メビウス1の飛ぶところなんか、スカイアイには珍しくないのでは?」
「いや、確かにメビウス1の飛んでいるところはいつも見ているんだけど、彼が操縦しているところは見たことがないんだ」
そう答えたスカイアイはどこかウキウキしているように見える。
スカイアイはメビウス1の一番の理解者で、何かと彼の力になっている。部隊の仲間の間ではスカイアイのメビウス1に対する贔屓は有名だ。いや、贔屓というのは語感がよくない。有り体に言えばメビウス1を“大好き”なのだろう。それは彼を見ていれば伝わってくる。
スカイアイも興味を示したこのフライトシミュレーターは、内部は戦闘機のコックピットを完全に再現しており、巨大な機械で遠心力を発生させ、飛んでいる時と同じ遠心力、つまり重力を感じられるという代物だ。乗り心地は本当に戦闘機を操縦している時とほとんど変わらない。
しかも、内部にはカメラが仕込まれていて、外から中に乗り込んだ操縦者の様子も見られるようになっている。
ここに集まった多くの者も、それが目当てで集まっている。つまりメビウス1の操縦を見てみたいと。
今回、メビウス1がこのフライトシミュレーターを使うことになったのも、戦術情報部がメビウス1の操縦を研究したいという発案からだった。
メビウス1はすでにフライトスーツにヘルメットを着けて中に乗り込んでいる。
実験が始まった。
戦闘は、ゲームのように仮想敵がいくつか出現する。始めは弱い敵機。だんだん数は多く、動きも複雑になってゆく。
メビウス1の飛行はさすがといったもので、次々と現れる敵機を瞬間で落としていく。
モニターに写し出されるメビウス1の操縦桿を握る手の動きは、非常に繊細だった。しかし、意外にもメビウス1にかかる重力、Gはそれほど大きくはない。
「メビウス1の耐G能力は非常に高いと聞いていたんですが……」
俺の疑問にスカイアイが答えた。
「ああ、彼の才能……というか、生まれもっての体質なんだろうね。耐G能力はかなり優れているようだ。だがメビウス1にとって、このコンピューター相手の戦闘ではそこまでの動きを必要としないんだろう」
十を数える敵機に囲まれてもメビウス1は焦りもせず、通常ミサイルと特殊ミサイルを素早く切り替え、さらに機銃も交えながら効率良く敵機を落としてゆく。
全ての敵機を落とし、実験は終了した。
メビウス1の敵機を落とす手並みは確かに素晴らしかった。だが、特別にすごい、とは申し訳ないが思わなかった。これくらいなら、そこそこ腕のよいエースであれば出せる成績だったからだ。それは俺だけではなく、この場で見学していた皆も思ったことだろう。もっと凄いものが見られると期待していたのに、と皆の顔に書いてあった。
メビウス1がシミュレーターから降り、外へ出てヘルメットを外した。ふるふると頭を降ってへばりついた髪を散らす。あれだけの戦闘をこなしたのに大して息も乱さず、平然としてみえた。
メビウス1は辺りを見回して、あまりの観衆の多さに驚いたらしく、目を丸くさせていた。そんな様子は彼をいっそう幼い印象にさせる。
「メビウス1!」
声をかけたのは俺の隣にいたスカイアイ。メビウス1は気がついて、こちらに近寄ってきた。
彼は人見知りをするタイプらしく、自分から接するのはごく一部の人間だけだった。メビウス1が駆り出される任務は本当に重要なミッションだけだったから、彼と任務を共にする人間は自ずと実力者ばかりになる。いつも遠巻きに見るしかなかった自分が、こんなに近くでメビウス1を見るのは初めてで、少し興奮した。俺も案外ミーハーなのかもしれない……。
「スカイアイ、あなたまで見に来てたのか」
若干恥ずかしさと呆れの入り交じった声でメビウス1は答えた。
「お疲れさま。……しかしどうした? 君らしくない飛び方だったな」
スカイアイの言葉に俺は驚く。「君らしくない」とはどういうことだろうか。
「ああ……やっぱりスカイアイにはわかるのか」
頭をカリカリと手でかきながらメビウス1は少し恥ずかしそうにしている。
「俺、シミュレーターが苦手なんだよ」
「え、なんで?」
つい、口から出た言葉にスカイアイとメビウス1の両方から見られ、慌てて口を手で塞ぐ。
メビウス1はちょっと困ったみたいに笑う。
「……だって、風を感じないから」
俺は肩透かしを食らった気分だ。
どうしたというんだ、メビウス1。なんだかポエミーじゃないか。風を感じないのはシミュレーターだから当然だと思うが。
「……なるほどな」
スカイアイは何かを納得したらしく、ウンウン頷いている。なんだかよくわからないが二人の間では意思の疎通がなされているらしい。俺はすっかり置いていかれている。
俺があまりに頭にハテナを浮かび上がらせていたからだろうか、スカイアイが説明してくれた。
「メビウス1は普段、風や空気の抵抗を考えて、つまり空力を生かして飛んでいるんだよ。だから“風”というファクターがないシミュレーターが苦手なんだろう」
なるほど、あの一言からそこまで読み取るとは、さすがスカイアイだ。
そう言えば、訓練生時代に教官が「推力に頼るな、空力を生かせ」ってよく言っていたような気がする。俺にはさっぱりわからなかったが。
――だから凡人なんだろうなぁ。
そんな声にならない声を、俺はため息と共に空中に吐き出した。
この実験は結局、失敗に終わった。
フライトシミュレーターではメビウス1のポテンシャルを完全に引き出すことができなかったからだ。
やはりメビウス1の本当の強さは、命のかかった実戦、任務でこそ発揮される。それは後に、メビウス1が単機で自由エルジアを壊滅させてしまったことからも証明された。
戦術情報部が望んでいた実戦での結果だったが、彼は戦争当時よりもさらにパワーアップしていた。一年のブランクがあったとは思えない飛び方だ。まだ年若いメビウス1は戦争中の経験を糧に、さらに強くなっていたのだ。
やはりメビウス1は尋常ではない。見た目はのほほんとしているが騙されてはいけない、中身は破壊神だ。
メビウス1を英雄と持ち上げ憧れたり嫉妬したりする奴もいるが、俺はメビウス1に憧れたりはしない。
少しもなりたいなんて思わない。
凡人は凡人らしく、危険の少ない哨戒任務でもこなすに限る。