ハロウィン

基地の廊下を曲がろうとしたときだった。スカイアイは、曲がり角に突然現れた大きな物体に正面からぶつかった。
「う……っ」
衝撃を覚悟したスカイアイだったが意外にもそれは柔らかく、ふんわりとした感触でスカイアイを押し戻した。ぶつかった何かはスカイアイとは逆方向に押し返されて、たたらを踏んでいた。
少し距離が離れたおかげで、ぶつかった相手をまじまじと観察できた。全体は鮮やかな黄色で、少しモフモフしている。でっぷりと飛び出た腹を持ち、丸々とした身体から小さい手と思われる突起物が左右から出ている。足は太く短い三本爪だ。顔にはつぶらな目。濃い黄色のくちばし。
そこまで認識して、スカイアイはこの物体が何かわかった。これは、この基地のマスコットキャラクターで、名前は「ナゲッツ君」。見た目はヒヨコで、首にスカーフを巻き、頭にはフライトヘルメットをかぶっているのが特徴だった。
そのナゲッツ君の着ぐるみとぶつかったようだ。着ぐるみと言うからには当然、中には誰かが入っているはず。腹がぷっくり出ていて横幅はあるが、身長はスカイアイよりも低い。
(中に入っているのは誰だ?)
じっとスカイアイに見つめられたナゲッツ君は、小さい手(正しくは羽)を落ち着きなくバタつかせた。そして短い足をちょこまかと動かして方向転換をした。スカイアイに背を向けたかと思うと、ナゲッツ君は黄色い身体を揺らして走り出した。たぶん、中の人物は必死に足を動かしているのだと思うが、何しろ短い足だ。大したスピードは出ていない。
「おい、君――」
スカイアイに呼び止められた中の人物は焦ったのか足をさらにがむしゃらに動かし、そのせいでバランスを崩してしまった。ナゲッツ君は腹からスライディングするように転倒したが、すごく出ている腹がクッションになって怪我は免れたようだ。だが災難なことに、腹を支点にして身体が水平になってしまい、足が地面につかず、何とか起き上がろうとして手足を無茶苦茶にバタバタさせている。
その姿は何かを彷彿とさせる。
(――そうだ。これはまさに、ひっくり返されて起き上がれないカメそのものだ)
哀れにも可笑しみを誘うその姿にスカイアイは肩を揺らして笑いを噛み殺した。中の人はたぶん必死に起き上がろうとしているのだから笑っては可哀想だろう。
そう、その中の人――。
スカイアイにはある仮説が思い浮かぶ。
「メビウス1……か?」
びくん、とナゲッツ君が動きを止める。
そんな反応をしてしまっては答えたも同然だ。相変わらず彼は嘘が下手だなあ、と微笑ましくなる。
ナゲッツ君の脇の下に手を入れて、身体を起こしてやる。すると中からくぐもった声で小さく「ありがとう」と言うのが聞こえた。
思った通り、メビウス1の声だった。
「どうして俺だってわかったの?」
「いや、何となくだよ」
スカイアイにもなぜわかったのかわからない。明確な何かがあったわけじゃない。本当に「何となく」だ。
強いて言えば、和む雰囲気と、すぐに逃げ出そうとするところか。
「どうしてナゲッツ君の着ぐるみを?」
「うぅ……仕方なかったんだ。今日は近くの学校から生徒たちが基地見学に来る日でしょう?」
メビウス1の言う通り、今日は近所の小学校から生徒たちが見学に来る予定だった。
戦争も終わり、平和の維持活動のためには民衆からの理解も必要不可欠。その為の交流の一貫として基地を一般市民に解放する日が設けられている。
今日はハロウィン。子供たちに親しみを持ってもらうために、基地にはハロウィンの飾りつけをしたり兵士たちは仮装したりして子供たちを迎えるつもりだった。
「暇な俺たちは子供たちにお菓子を配れって言われたんだ、ハロウィンだし。でも人前に出るのは嫌だって駄々をこねたら……」
着ぐるみなら口をきかなくてすむから大丈夫だろうということか。子供相手にも発揮されるメビウス1の人見知りも大概だな、とため息を吐いた。
「メビウス1、確かに姿は隠せるかもしれないが着ぐるみの『ナゲッツ君』はいつも子供たちに大人気だぞ。大丈夫か?」
「ハッ――……しまった!?」
中身メビウス1のナゲッツ君は腕で頭を抱えようとした。腕が短いため、頭の上には全然届いていないのが可愛い。困った仕草としては若干オーバーリアクション気味だが着ぐるみの動きとしてはわかりやすいくらいがちょうどいい。メビウス1は普段、決してリアクションが大きい方ではないはずだが、着ぐるみを着るとそうしなければならない気でもするのだろうか。
案外、彼に着ぐるみは合っているのかもしれないとスカイアイは思った。
「あ、そうだ、スカイアイ」
ショックから立ち直ったメビウス1が、スカイアイに右手を差し出した。黄色の羽を模したその手は指がわかれていない。それをクイクイ、とこちらを招くように動かす。
「ん?」
「トリック・オア・トリート」
「ああ……」
ハロウィン定番の、お化けなどに仮装した子供がお菓子をねだるときのセリフ。
スカイアイは制服の胸ポケットを探った。いつもはのど飴をこのシャツのポケットにひとつは入れていたのだが、中には何もなかった。
「すまん、アメを切らしてしまったようだ」
「それじゃあイタズラかな?」
メビウス1がナゲッツ君の着ぐるみの中で忍び笑いをする。
「イタズラか。……どんなイタズラをしてくれるのかな」
「えっ? ……スカイアイ、イタズラされるの嫌じゃないの?」
「ああ、君からのイタズラなら嫌じゃないな。むしろ楽しみなくらいだ」
「えぇ……」
メビウス1はスカイアイの言葉に若干、引いてしまったようだ。
メビウス1のするイタズラなど、たかが知れている。優しい人だから他人が真に嫌がることはできないはずだ。だからメビウス1のイタズラは子猫のじゃれ合いのごとく可愛いものだろう。
「今日、生徒たちの見学が終わった後が楽しみだな」
スカイアイは秋の爽やかな風を受けて笑った。

後に聞いた話では、メビウス1の扮するナゲッツ君は珍妙な動きで子供たちの興味を引き、お菓子を配るのが追いつかないほど大人気だったようだ。