祝勝会にて

 白いマーブル模様の冷たい大理石の床。天井には巨大なシャンデリアが傲慢に輝く。
 バンドッグは真っ赤な絨毯を踏みしめて会場に入った。首都オーレッドの高級ホテルを貸し切って行われているのは、オーシア軍による非公式の戦後祝勝会である。
 バンドッグはホテルの給仕からシャンパングラスを受け取ると壁際に寄った。ホテルのきらびやかさとは違い見渡す准将や少将の顔色は暗い。祝勝会と言えば聞こえはいいが問題は山積していた。彼らにとって一番の問題は失われた軍事衛星をどう復興するかだろう。未だにその目途は立っていなかった。
「よう、バンドッグ。久しぶりだな」
 声をかけてきた男はシャンパンではなく皿を片手に持っていた。決まった席はなく、テーブルに料理が並ぶ立食パーティーだった。
「ロングキャスター、もう食ってるのかお前」
「この生ハム美味いぞ。お前も食ってみろよ」
「いらん」
「勿体ない。せっかく超高級ホテルに来たんだ。食わなきゃ損だろう」
 ロングキャスターはあっけらかんとして生ハムを貪っている。ある意味、達観しているようにも見えた。確かに、ここはバンドッグやロングキャスターがいるべき居場所ではなかった。ここは現場を指揮する自分たちの場ではなく、将官らの政治の場所だ。
「残念だな。皆にも食わしてやりたかった」
 ロングキャスターの言う皆とは、彼の率いるロングレンジ部隊の面々のことだろう。そこには当然トリガーも含まれている。そのことに思い至ったとき、バンドッグの胸に言いしれない不快感が起こった。
 まるで自分の所有物のように言うじゃないか。そうであることが当たり前のように――。
 バンドッグの胸にはずっと癒されない飢餓があった。444部隊でトリガーを指揮してからだ。それはどんな部隊で、どんな優秀なパイロットを指揮していてもふとした瞬間に思い浮かんだ。あいつなら――トリガーならばこう飛んだはずだ、と。一を聞き、十を叶える腕。こちらの想定を上回る戦果を常に叩き出す。その爽快感、万能感は忘れられるはずがなかった。指揮官として間違っているのはわかっている。指揮官はもっとも能力の低い兵士を基準として作戦を遂行せねばならない。だが、そんな兵法の基礎を打ち砕くほどの圧倒的な力を一時的にも手に入れてしまった。
 何食わぬ顔で生ハムを頬張る男はその僥倖に気づいていない。
 あるいはこの男が死ねば――と、不穏な考えが胸をよぎった。AWACSは基本的に安全な空域を飛行するから戦闘で死ぬのは考えにくい。ならば不慮の事故か。いや、何も死ななくてもいい。昇進するとか退役でもいい。こいつの席が空きさえすれば次に座るのは……。
 バンドッグは自分の思いつきに苦笑した。隣にいたロングキャスターはバンドッグがそんなことを考えているとはつゆ知らず「あっちのローストビーフも美味そうだな」と呑気なセリフを言って去っていった。煙草を吸いたい気分になり、礼服のポケットを探るがホテルの会場は禁煙だ。
 仕方なく喫煙場所に向かおうと会場出口に視線を向けた。そこに見覚えのある姿が見え、視線が吸い寄せられる。
 糊の効いた真新しい黒の礼服が四肢を引き締めていた。左胸に輝く色とりどりの略綬は若い男の顔には釣り合わない数だった。恰幅のある紳士たちが集う場で、その男だけがあまりにも若すぎて場違いに浮いている。周囲の将官が興味深げに男に注目した。
 不安そうに会場を見渡していた視線がバンドッグを捉えると、パッと雲が晴れたように安堵した顔でこちらに寄ってくる。
「バンドッグ……! よかった、あんたに会えて。こんな場所初めてだから、どうしたらいいかわかんなくて」
「トリガー、なぜ貴様がここにいる」
「招待されたからだよ。……それに、あんたも来るって聞いて」
 うつむき気味に恥じらうように言う。そんな姿を見ていたバンドッグは歯を食いしばった。強烈な怒りを感じたからだ。その無垢さ、無防備さがあまりにも危うい。しかしこの会場でトリガーを殴りつけるわけにもいかず、腕をつかむと強引に廊下へ連れ出した。
「え、ちょっ……バンドッグ?」
 そのままホテルのトイレにトリガーを連れ込む。
「あんた、なんで怒ってんの……来ちゃまずかったのか?」
 戸惑ったように言う。バンドッグは深く息を吐いて怒りを鎮めた。
「来てしまったものは仕方がない……いいか、トリガー。ここはタダで美味い飯が食える場所でも飲み放題のレストランでもない」
「そんなことわかってるよ」
「ならば背筋を伸ばせ、不安そうな面はするな。ここを戦場だと思え!」
 トリガーの背中を手のひらで叩く。するとトリガーの背が定規でも入れたかのようにすっと伸びた。
「戦場……?」
「皆がお前に注目するだろう。三本線の英雄とはどんな人物なのか、お前は見定められる。いいか、決して隙を見せるな。前だけを見ていろ」
 バンドッグは手洗い場の蛇口をひねって手を水で濡らした。自前のワックスで整えたのだろう。少し乱れて落ちてきたトリガーの前髪をかき上げてきっちりと固め直してやった。背筋を伸ばし、黒の礼服を着たトリガーは若き英雄らしい凛とした美しさがある。こちらを真っすぐに見上げるダークブルーの瞳は、犬のように飼い主の指示を待っている。
「俺のそばを離れるな。フォローはしてやる」
「了解」
 トリガーを伴って会場に戻ると、それを待っていたかのように男が一人近寄ってきた。
「こんばんは、いい夜だね。君が噂の英雄かい?」
「ど、どうも……」
 トリガーが引きつった愛想笑いを浮かべる。
「すぐわかったよ、何しろ若いからな。……いや、しかし本当に若いな。まだ学生でも通りそうな見た目じゃないかね。それになかなかの“イケメン”だ。軍の広告塔にもなれるんじゃないかな」
 恰幅のよい腹を揺すって笑う。
「は、はぁ」
 トリガーは何と答えたらよいのかわからず微妙な相槌しかうてないでいる。確かにこの将官には年若いトリガーにおもねってワザと使い慣れない若者の言葉を喋る中年の痛々しさが垣間見える。
「……申し訳ない閣下。彼はこの春、正規部隊に入隊したばかりの新人です。礼儀作法にはまだ慣れぬところがあるので、どうかご容赦を」
 バンドッグが隣に立つと、男は「そんなに若いのかね」と大げさに驚いた。
「入隊したばかりで『三本線の英雄』と言われるほどの戦績を残したのか、君は」
「彼には才能があります。現場で彼を指揮した私にはよくわかります。それに彼は閣下のおっしゃる通り、まだ若い。これから経験を積めばさらに強くなれるでしょう」
「ふーむ、それは頼もしいな」
 男は一瞬トリガーを値踏みするように見つめ、何ごともなかったかのように柔和な笑顔に戻して去っていった。
 それを皮切りに幾人もの将官がトリガーの周りに群がって話をしようとする。トリガーはもはや鑑賞される美術品か動物園の珍獣にでもなったかのようだった。
「はぁぁ……つ、疲れた」
 会場の外、広々としたバルコニーでトリガーはぐったりと椅子に腰掛けた。数々の将官の相手をしていたトリガーに疲労の限界が見えたので、バンドッグがここへ連れてきたのだった。とはいえ実際トリガーはほとんど何もしていない。ただ愛想笑いと適当な相槌を打っていただけだ。へたるトリガーを叱りつけたかったが、バンドッグの方が慣れない愛嬌を振りまいたせいで疲れ切っていた。煙草が吸いたくて仕方がなかった。
「大人気だったなトリガー。ローストビーフ持ってきてやったぞ」
 そう言って両手に皿を持って現れたのはロングキャスターだった。トリガーが顔を輝かせる。
「あ、ありがとう、ロングキャスター。腹減ってたんだ」
「こっちの皿はステーキだ。お前は肉が好きだからなぁ」
 トリガーの肉への食いつきを笑いながら見て、さらに皿をテーブルに並べるロングキャスター。いつもこうして任務の後に皆にご馳走してやっているに違いない。家族のように皆が信頼し合っている部隊なのだろう。トリガーにとってはそれでよかったはずだ。自分が手放したことは間違いではなかった――。
 そう思わないとやっていられなかった。
「君が噂の三本線か」
 会場の方から背の高い将官がやって来た。逆光で顔はよく見えないがバンドッグはその声に底しれない冷たさを感じた。
「本当に若いな。まだ子供のようじゃないか」
 含み笑いが響く。バンドッグはステーキを頬張るトリガーの前に立ち、男からその姿を隠した。
「こいつに何か御用ですか、閣下」
「……番犬か。君の部隊は解隊されたのではなかったのかね。なぜ未だ彼のそばで保護者面をしている。君の役割は終わったはずだ」
 バンドッグは表情のよく見えない男を睨み据えた。
「戦後に英雄は不要――クレメンス准将の考えだが私も同じ気持ちだよ。それも、上からの命令を無視するような英雄は危険でしかない」
「……っ、それは――」
 ロングキャスターが息をのんだ。潜水艦アリコーンとの戦闘で、敵が降伏を宣言した時にトリガーはロングキャスターの攻撃停止命令を無視して敵に攻撃したのだ。結果的に、敵に降伏の意志はなくただのブラフだった。トリガーは大勢の民衆の命を救ったことで、命令違反に関しては不問とされた経緯がある。
「クレメンス准将はやり方を間違え、失敗した。だが、その意志まで間違っていたとは思わん。覚えておきたまえ」
 男は背を向けて去っていく。靴音が会場内に溶けて消えた。
 三人の間に飲み込めない冷たさを残して。
 結局それ以上居続ける気にもなれず、バンドッグとトリガーは会場を出た。外へ出ると夜の風が喧騒を遠くへさらっていく。
 バンドッグはようやく煙草を胸ポケットから出してライターで火をつけた。煙を吸い込むと、さっきの将官のセリフが脳裏に浮かんだ。
 “上からの命令を無視する英雄”。
 バンドッグは胸のうちでひっそり笑った。
 当たり前だ。こいつを何だと思っている。可愛らしい飼い犬だとでも? ――否、これは狼だ。鋭い三本の爪で気に入らなければ飼い主さえ殺す。そういう男だ。誰でもそのリードが握れるわけじゃない。
「なぁ……バンドッグ」
 少し後ろをついて歩いていたトリガーがぼそりと呟く。
「もしかして、俺といるとあんたに迷惑が――」
 その額に持っていたライターを指で弾いて投げつけてやった。
「いっ……っ!?」
「フン、くだらん。二度と言うな」
 そう言うと、トリガーは「了解」と、声に喜色を滲ませて半歩後ろをついてくるのだった。
 

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