ヒマな時間を潰すため、読書でもするかとスカイアイは家の書斎に入った。
ここには様々な本が背の高い本棚に収まっている。軍事に関する本から旅行記、美味しいコーヒーの淹れ方まで。以前は自分のことを人間だと思っていた――いや、思い込まされていたから、これらの本は自分が買い集めた物だと信じて疑わなかった。だが自分がアンドロイドだと知った今は疑問を感じる。
これらの本は一体、誰の物なのか。
すぐ目の前にあった茶色の背表紙の本を引き出してページをめくった。すると何かがヒラヒラと本の隙間からこぼれ落ちてフローリングの床に散らばった。
かがんでよく見てみる。
それは数枚の写真だった。
「これは……メビウス1?」
そこに写っていたのは白っぽい髪に童顔の男。紛れもなく当家のアンドロイド、メビウス1の姿だった。
「スカイアイ、俺を呼びましたか?」
メビウス1が開けっ放しの書斎の扉からひょっこり顔をのぞかせた。呟いた名前が聞こえてしまったらしい。
「あ。いや違うんだが……そうだな、ちょうどいい。君も見てくれないか」
メビウス1に床に落ちた数枚の写真を示した。彼もスカイアイと同様に床に膝をついた。
「これは……俺? でも、こんな写真を撮った覚えがありません」
「やはりそうか」
スカイアイはメビウス1の回答を半ば予想していた。数枚の写真。どこか遠くを見ているメビウス1の横顔や、幸せそうに眠る姿。そしてある一枚のメビウス1は、恥ずかしそうに、しかし口角を上げてしっかりと微笑んでいた。
メビウス1はこの間、育てていた花が咲いた嬉しさでようやく笑顔を見せてくれたばかりだ。まだまだ笑顔を作るのには慣れていない。こんな、恥ずかしさや喜びや幸福の入り混じったような複雑な表情はまだ作れない。まるで人間のような笑顔は。
「ならば、これは君の元となった人間のメビウス1の方か」
「おそらく、そうでしょう」
「てっきり君のボディは汎用的な家事アンドロイドのものなのかと思っていたが、生前のメビウス1の姿をそのまま再現した特注だったんだな」
「そのようです。俺は、本来は戦闘機に組み込まれる予定だったので身体はなかったのですが、計画が頓挫した時に博士がこの身体をくださいました」
「あいつがか……」
スカイアイは苦く笑った。
自分を使って実験をしていた自分の生みの親である博士を思うと、スカイアイはどうにも素直になれなかった。反発心や敵対心のようなものがまず浮かんでくる。それも当然だろう。自分をずっと人間だと思っていた。しかし、実はアンドロイドだったなど――その時の衝撃は、少しは薄らいだとはいえまだ心に残っている。
また知らないうちに実験やら何やらされたらたまったものではない。しかしメビウス1は博士に対する反発心はないらしく、自らを生み出してくれた存在として忠誠を示している。それにもまた嫉妬のような感情が渦巻く。
まるで人間のように。
「メビウス1に『メビウス1』の姿を与えたということは、俺もおそらく『スカイアイ』の姿を与えられたのだろうな」
スカイアイは自分の手のひらを見つめた。アンドロイドの外見に、さして意味はない。ボディはいくらでも替えがきくからだ。だが、それでも『この姿』なのは何か意図があるように思う。メビウス1に『メビウス1』の姿をわざわざ与えたのだから。
博士の考えはわからないが、きっとろくでもないことに違いないとスカイアイは内心で吐き捨てる。
「きっと、そうです。声が……」
「声?」
「少し、思い出したんです。俺に……生まれたばかりの頃の俺に話しかけてくれた声があったことを」
メビウス1は目を閉じて、うっすらと微笑んだ。その時に聞いた声を頭に思い描くように。
「とても深くて、思いやりに満ちた優しい声でした……あなたと同じに」
ゆっくりと語る柔らかくまろやかなメビウス1の声が、ささくれだったスカイアイの心を撫でた。
ここに生前のメビウス1の写真がある。撮ったのは恋人であったスカイアイだろう。でなければ、こんなに自然で飾らない表情を写せない。気取らない、何気ない仕草ばかりだ。そこには被写体に対する愛情すら伝わってくる。
その写真を隠すように挟んであった本。
つまり、この本の本来の持ち主は――。
「……どうりで、興味を惹かれるタイトルばかりなわけだ」
苦笑したスカイアイの呟きに、メビウス1が小首をかしげた。
「いや、この本は生前のスカイアイの蔵書だったのだと思ってな」
「あ、はい。この本は……というか、この家がそもそもスカイアイの住んでいらっしゃった家だと聞いています」
「なに、本当か?」
驚いて顔を上げた。
メビウス1は頷く。
「生前のスカイアイが俺に遺してくださったそうで……でも、アンドロイドの俺には相続の権利などありませんから実質的には博士が……」
「なるほどな」
全てが腑に落ちた。
これは博士の企みというよりは生前のスカイアイの遺志だったのだ。博士は遺言を義理堅く守って実行したのにすぎない。あの男にいい印象はないが、亡くなった友の頼みを聞くくらいの分別は持ち合わせていたらしい。
それにしても、メビウス1のAIがメビウス1の姿をして、スカイアイのAIがスカイアイの姿をして、彼らが生前に住んでいた住居に住む。それはまるで神による遊戯、人形遊びのようではないか。
恋人たちを模した遊び。
だが人形には意思がある。
メビウス1を愛すようにプログラムもできたはずなのに彼はそれをしなかった。それはつまりAIの自由意志を認めるということだ。どのようにメビウス1に接するかはスカイアイ自身に委ねられている。
場所だけ与えておいて「後は好きにしろ」と――。
スカイアイは写真を一枚手に取った。笑顔のメビウス1の写真。こんな風に彼が笑えるようになるには、一体どれだけの時間がかかるだろうか。
「あ、スカイアイ」
メビウス1が何かに気づいて声を上げた。
「裏に何か書かれていますよ」と言われ、スカイアイは写真を裏返した。
そこには「君が幸せであるように」と走り書きがあった。書いたのは当然スカイアイなのだろう。
(幸せ、か――)
無人機のAIであるメビウス1は、戦うために生まれてきた。根本の成り立ちがスカイアイとは違う。そんな彼にとっての幸せとは何か。戦うこともできずに、何の目的もなくこうして自分と暮らす今の生活は、彼にとって幸せと言えるのか。
(なんだ。結局そこへ行きつくんだな)
自分が人間だと思っていた頃とまるで変わっていない悩みにスカイアイは苦笑した。
「スカイアイ、どうしました?」
メビウス1が首をかしげた。
「いや、なんでもない。……そういえば君のその敬語、そろそろやめにしないか」
「え?」
「俺は人間ではなくてアンドロイドだったんだから、君とは対等な関係のはずだ。だから俺に敬語を使う必要はもうないだろう?」
「え、えっと、でも……」
メビウス1が戸惑ったように視線を彷徨わせた。
意外だ。アンドロイドらしく、すぐに「わかりました」と言うと思ったのに。
「何か障りがあるか?」
メビウス1は言いづらそうに口を開いた。
「あの……あなたが人間ではなくても、俺はそもそもあなたの命令に従うようにプログラムされているので……」
「ああ……」
スカイアイは手のひらで片目を覆った。
忘れていた。そういえば自分は、メビウス1をサポートするAIとして表向きは開発されたのだった。まだその為のプログラムは生きていて、なんならメビウス1のかなり根幹に根ざしているらしい。
メビウス1とフラットな関係を築きたくて、その第一歩として敬語をやめようと提案したのだが、思いの外問題は山積しているようだ。
「わかった。命令された方が君が楽ならそうしよう。メビウス1、今後は敬語で話すのはやめるように」
「は、はい、わかり……っ、いえ、わかっ……たよ、スカイ、アイ」
メビウス1は、まるで何年も昔のロボットに退化したみたいなカタコトになった。身体まで固まっている。
敬語ではない方がぎこちなくなるのは何故なんだ?
スカイアイは思わず吹き出した。
笑われてメビウス1は身を縮めた。無表情だが恥ずかしがっているのが伝わる。そんなメビウス1をスカイアイは目を細めて見た。胸の中が温かく感じ、また苦しいような何とも言えない感情が湧く。
この感情にラベリングするとしたら、『愛おしさ』だ。
スカイアイはメビウス1を抱きしめて額に口づけた。
「あ、あの……?」
口づけに驚き、意味がわからないと言いたげにメビウス1は目を瞬かせる。
今はまだ彼は口づけの意味も幸せの定義も何もわかっていない。だが、いつかきっと目覚めるはずだ。
そう信じて、傍らで見守ろう。

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