急を要する任務だとタブロイドを含む444部隊の面々は出撃することになった。正規部隊が到着する前に、敵基地に打撃を与える役割だ。
「それができない者は囮として射撃の的になれ」
バンドッグが無線から冷徹に言い放つ。
トリガーは文句も言わず粛々と任務をこなしている。――いや、それ以上だ。敵施設から放たれる対空機銃やSAMをものともせず突っ込んでいく。
――彼は死の恐怖を感じないのか?
「いい暴れっぷりだ、トリガー」
無線から聞こえるチャンプの楽しげな声。だが、そんな余裕も敵UAVが現れるまでだった。敵施設からの射撃。空中からはUAVの脅威。バンドッグの「作戦は継続する」との無慈悲な声。
そんな中、ハイローラーがUAVに撃墜された。別に囚人同士、仲良しこよしをやってるわけじゃないが、それでも戦場にいる仲間がレーダーから消えるのを見ると全身から血の気が引く。
トリガーは敵施設を潰しながらUAVとも矛を交える。速かった。すれ違いざまのヘッドオンで何機か潰した。その鮮やかさはタブロイド自身の危機的状況を忘れさせるほど美しかった。闘争心に火がついたのか、カウントが「撃墜数を比べよう」と言い出す。二人が競うようにUAVを撃墜しはじめ、タブロイドは必死にトリガーの撃墜数を数えた。次々に落とされるUAVに心が躍る。トリガーに付いていけば生き残れると、そんな希望さえわかせた。
あのバンドッグでさえ。彼は罪人を怒鳴りつけるのではなく、本来こういう管制がしたかったのではないかと……そんな風に感じる。
タブロイドはトリガーの後ろについた。
――だが。
果たしてトリガー自身は、生き残ろうと思って飛んでいるのだろうか。
疲れた身体でデブリーフィングを終え、夕飯を食べに食堂へ向かった。
タブロイドは辺りに漂うチーズの匂いに胸が躍った。
「今日はマッケンチーズか」
「……好物なのか?」
隣でトレーを共に取りながらトリガーが聞く。先の暴行事件で彼を助けてから、何となく行動を共にすることが多くなっていた。
「いや、特別好物ってわけじゃないが、ここのメニューではマシな料理なんだ」
「そうなのか」
トリガーとテーブルにつくと先に座っていた人間が蜘蛛の子を散らすように別の席へ移動していった。暴行事件以降、皆からは避けられている。
トリガーはマッケンチーズを見て黙りこんだ。
「……トリガー、気にするなよ」
「ああ……」
返事はするものの、彼が皆の態度を気にしているのは明らかだ。
そんな中、コツコツと硬質な革靴の音が近づいてきた。その靴音を聞くとさっきまで他愛ないお喋りに興じていた囚人たちは口を閉ざし、何も悪いことをしていなくても無意識に背筋が伸びてしまう。悲しい条件反射だ。
食堂に皆の予想通りバンドッグが現れ、トリガーを呼んだ。
「スペア15、後で俺の執務室へ来い」
「……了解」
しんとした食堂にトリガーの返事だけが響く。
それだけを言ってバンドッグは去っていった。皆が安堵のため息を吐く。
トリガーも珍しくため息を吐いた。
バンドッグのところへ行くのは気が重いのだろうか。
何か良からぬことでもさせられているのか心配になってトリガーに聞いたが、彼は「別に」と答えるだけだった。
あまり美味そうな顔もせずマッケンチーズを平らげた彼は、皆からの好奇の視線を背に席を立った。
ザップランドの砂混じりの島風が廊下を歩くトリガーの髪をなびかせた。昼間は日差しを遮る木もない地獄のような暑さの島だが夜はまだ過ごしやすい。
普段はトリガーを癒す眺めも力及ばず、進む足取りは重かった。
執務室のドアをノックする。中から短い「入れ」との素っ気ない言葉が返ってくる。
中に入ると煙たさに思わずむせた。執務室全体が少し白く霞んでいるような気さえする。パイロットとしての意識が肺に悪そうな煙草の煙を嫌悪する。今すぐ換気扇を回したくなるが部屋の主を差し置いてできるはずもない。
部屋の主――バンドッグは煙草を咥えながらデスクの事務用端末に何かを打ち込んでいた。
こちらをちらりと見やってひと息、煙草を吸う。
「来たか。そこの書類を種類ごとに分類してファイルに挟み込め。ファイルはそこの戸棚に戻しておけ」
短く指示を出される。その後、バンドッグはこちらには興味も示さず自分の仕事に没頭した。
デスクの脇に積まれた、おそらく処理済みなのであろう書類を手に取りながら静かに息を吐いた。
こんな仕事、戦闘機パイロットである自分がやることではないし、バンドッグにも事務仕事をやらせる部下くらいはいるはずだ。
先日バンドッグに迂闊な発言をして彼の機嫌を損ねて以来、毎晩彼に呼び出されては書類の整理や部屋の掃除など、何でもない用事をやらされているのである。
――意味がわからない。それとも、これも何かの罰なのか?
だったら成功している。
トリガーがバンドッグの“気に入り”になったのだと皆が思うようになった。そのおかげでトリガーにちょっかいを出す奴らがいなくなったのはありがたいが、毎晩呼び出されるトリガーは囚人たちから遠巻きに見られヒソヒソと何事かを噂されるようになった。
……どんな噂なのかは考えたくもないが。
そんな状況も、この煙草くさい部屋も――全てが耐え難い。
作業に集中し小一時間、出来る限りの早さで仕事を片付けたトリガーはバンドッグに終了の報告をした。
やっとここから出られる――そう安堵して部屋を辞そうとしたその時、バンドッグから「待て」のひと声がかかる。まだ何かあるのかと振り返ると、バンドッグがデスクの端を指さした。
「トリガー、それを持っていけ」
バンドッグが示した小さな茶色い箱。一見したところでは何なのかよくわからない。
近寄ってよく見る。
茶色い紙の箱に文字が刻まれていた。
――チョコレート。
トリガーは何度も文字を確認した。
この部屋にもっとも相応しくないものがここにあった。
バンドッグはチョコが好きなのか?――いや、甘いものを食べているところなど見たことがない。ではこれは一体、何のために?
「甘いものは好かんか」
「え!?……いえ」
「ならば持っていけ」
「は、その……」
手のひらに変な汗が浮かぶ。
バンドッグがため息を吐く。
「そんなに警戒するな。毒なぞ入っていない」
言いながら立ち上がりチョコレートの箱にかかったフィルムを手ずから剥がして開けた。途端に広がる甘い香り。茶色の箱に高級そうな半円形のチョコレートが行儀よく収まっていた。
そのひと粒をバンドッグは指でつまむ。
「口を開けろ」
至近距離で漆黒の瞳が命じる。あまりのことに頭の回転が追いつかない。だが、その声に従うことが当然のように身体は男の言う通りに動いた。躊躇いがちに薄く開いた口にねじ込まれた塊は口の中に滑り込み、熱でたちまち溶け出した。芳醇なカカオの薫りが鼻腔に抜けて強烈な甘さが舌を焼く。ザップランドへ来てから甘いものはほとんど食べられなかった。菓子などの嗜好品はある程度の期間、模範兵として過ごした者にのみ許可される。もちろん抜け道はいくらでもあって看守に賄賂を渡して手に入れている奴らは大勢いたが、トリガーは律儀に規則を守っていた。久しぶりに味わうチョコレートは甘すぎて頬が痛くなるほどだ。口元を手で覆い甘さに耐えるトリガーをバンドッグは無感動にじっと見つめる。チョコレートが完全に口の中で溶けるのを待つように。
甘さがどろりと胃の腑へ落ちていく。
バンドッグはチョコレートの箱をトリガーに手渡した。
「持っていけ。他の奴に見つかるなよ」
そう言って席に戻る。
「な……なんで」
「うん?」
「なんで、チョコを――」
「……わからんか。今回の任務で貴様は想定以上の働きをした。敵基地の破壊もそうだがUAVの撃墜数もだ。カウントが撃墜数を水増しして報告しているようだが、実際には貴様の方が上だった。――よくやった」
「え……?」
耳を疑う。バンドッグが他人を褒めるなんて。
しかし、トリガーはすぐに自分の甘さを思い知った。
「よくできた飼い犬には褒美をやるものだろう?」
バンドッグが口の端を歪めて笑った。
「飼い犬って、あんたなぁ……」
この間から人のことを犬、犬と――いい加減にしろ。この基地は囚人共も癖がつよいが、AWACSも相当だ。まともな人間はいないのか。
トリガーは腹立ちまぎれにバンドッグを睨みつけた。
「何か異論があるのか?」
「……あんたが俺をどう扱おうと構わないが、今、皆の間で噂になってるのを知らないのか」
「ほぅ、どんな噂だ?」
「それは……、俺が……あんたの……」
無様に言い淀んでしまう。自ら喧嘩をふっかけておいて格好悪いが、あの不愉快な噂を口にするのは躊躇われた。
自分がバンドッグの――だなんて。
頭に思い浮かべるのも虫唾が走り、首を振って消し飛ばした。
皆に言いふらしてやりたい。こいつは自分を犬扱いにしかしていないのだと。
眉間にシワを寄せて黙っているとバンドッグがくつくつと笑った。
「どうした? ……これでお前を狙う輩はいなくなっただろう。結構なことじゃないか。感謝してほしいぐらいだが?」
芝居がかった言い方で肩をすくめるバンドッグを見て、トリガーは全てを理解した。
毎晩の呼び出しの意味を。
トリガーはさっき口に入れられたチョコレートが急に生臭い何かに感じられて吐き気を催した。
全てがこの男の手のひらの上だ――。
敗北感にまみれて執務室を後にした。
右手に持ったままのチョコレートが鉛のように重たかった。

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます