袖をわずかに引き上げ腕時計を確認する。
時間はすでに午後二時をまわっていた。腹立たしさを隠さずに舌打ちをする。
「あの駄犬……」
俺を待たせるとはいい度胸じゃないか。
時間にルーズな奴ではなかったはずだが、何かあったのかと心配する間柄でもない。あと数分も待って来なければ帰ろうと心に決める。
滑走路の照り返しが眩しい。
目の前には戦闘機がずらりと並んでいる壮観な風景が広がっていた。
今日はIUNやオーシア協賛による各国の戦闘機の展示が行われていた。各地の紛争も一時的に収まり、名目上は平和の祭典とされている。年代も国も様々な過去の戦争で伝説となったエースパイロットの機体が一堂に集結するのが売りだった。
今日はまだ一般公開されておらず、軍関係者及び一部のジャーナリストのみ入場が許されていた。だから会場はそこまで混み合ってはいない。
当然あの駄犬――トリガーの機体も展示されている。
尾翼に三本線が刻まれたラプターを睨みつけながら煙草に火をつけた。
ここへは奴が見に来たいといった。だからコネを使い入場チケットを取ってやったというのに。
煙草のフィルターを噛み締めそうになった。トリガーの機体を眺めているのは精神衛生上よくないと判断し、先に会場を歩いて回ることにした。
しばらく歩き、トリガーと同じラプターを発見して足が止まる。
尾翼のエンブレムはリボンのようにも見える青いメビウスの輪。
今から十五年ほど前にユージア大陸で起こった、大陸戦争の英雄、メビウス1の機体だ。
メビウス1の名は当然知っている。成した功績が大きく、あまりにも有名だったが、その割に彼の人物像は謎に包まれていた。そこがマニアにはたまらないようで、様々な憶測や噂話が未だに飛び交っている。
人がまばらな会場でもこの辺りには人が多い。やはりメビウス1の機体は人気のようだった。
メビウス1の機体の前にいた一人の男と目が合う。
「やぁ、君は……久しぶりだな」
男は人好きのする顔で笑み、こちらに向かって片手を軽く上げた。よく磨かれた革靴が音を立てて近づいてくる。
声に聞き覚えはない気がしたが、顔はどこかで見たような気もする。何しろ相手はこちらを知っているらしいのだ。高速で記憶をさらうが、それらしい名前が出てこない。
相手を素早く観察する。爽やかな水色のシャツが目を引く。首から軍関係者を示すカードケースをぶら下げているからジャーナリストの類ではない。制服を着てくれていればどこの誰だか一目瞭然なのだが、自分と同じく彼もオフなのだろう。
手持ち無沙汰で吸っていた煙草を、胸ポケットから取り出した携帯灰皿に入れた。
目の前にまで来た男と視線を交わした。目線はほぼ同じ高さだった。その瞳の青さに脳の記憶細胞を揺すられた気がした。
「あなたはISAFの……」
「ああ、十年以上前なのに覚えていてくれたんだな。今はIUN第118特殊任務部隊にいる。スカイアイだ」
コールサインを聞いて、おぼろげだった記憶が鮮やかに蘇った。
あれは懲罰部隊なんぞに配属されるよりもっと前、正規軍のAWACSに配属されたばかりの、まだ新人に毛が生えたような頃だった。ISAFとオーシアの大規模な合同演習があったのだ。その時に彼はいた。
大陸戦争が終結して数年、まだメビウス1の伝説が兵士たちの間では生々しく語り継がれていた。メビウス1には謎も多い。彼に関する情報は奇妙なほど伏せられていて、軍の内部にすらあまり浸透していなかった。
そんな中で明らかだったのは、彼は常に単機で飛んだらしいということだ。戦闘機の最小単位はエレメント。僚機と死角を補い合うのが普通だ。何故かはわからないがメビウス1には僚機がいなかった。だからこそサポートの役割は重要だったに違いない。メビウス1の目を務めていたのがこの男、AWACSスカイアイの管制指揮官だ。彼は当時三十半ばといったところか。すでにベテランとも言える経歴を持ち、あの英雄メビウス1を率いていた経験から演習では教官のような役割をしていた。
彼の第一印象は“優しそうな男”だった。皆に爽やかな笑顔を振りまく姿はまるで軍人らしくなかった。軍の上官というものは大体が恐ろしげな顔であったり態度で下のものを扱うので、親しみやすいスカイアイはたちまち人気になった。絶えず人に囲まれていた。
皆の興味は一つだ。
“英雄メビウス1とはいかなる人物だったのか”
それを少しでもスカイアイから聞き出そうとしていた。
彼は迷惑そうな顔もせず笑顔で返しながら、だがしかしメビウス1の個人情報は何一つ漏らしはしなかった。その上、手本となる管制は言わずもがな、教導は的確で、一人一人を実によく見ていた。
ただ優しいだけの男ではなかった。考えてみれば当たり前だ。かの英雄を支えた陰の立役者が凡庸な男のはずがない。この男の凄いところは、そういった才や能力があることをひけらかさないでいられることなのかもしれなかった。
自分とは正反対だと、胸の中でうっすら笑った。
「君は、今は?」
「第444航空基地飛行隊。いわゆる懲罰部隊ですよ」
「懲罰部隊……」
スカイアイが息をのんだ。さすがに驚いたらしい。
それにどこか胸のすく思いがする。
懲罰部隊に配属になった当初は、他人に所属を告げることに抵抗を感じていた。なぜ自分がという思いがあったからだろう。おまけに上官は無能、基地はクズの集まり。煙草の本数が増えたのはこの部隊に配属になってからだった。
だが、いつからかそんな抵抗もなくなり、懲罰部隊と口にした時の相手の反応を楽しむくらいには余裕が生まれた。己に期待された役割に気づいたからだ。
スカイアイは「すまない、驚いてしまって」と、自分の態度を恥じたように苦笑した。やはり懲罰部隊などと聞かされると皆「こいつはいったい何をやらかしたんだ」と思ってしまうものらしい。だいたいの人間がスカイアイのような反応を見せた。いや、まだマシな方かもしれない。同期の中にはあからさまに見下してきた者もいたくらいだ。
「君は演習でもとても優秀だったから、少し意外だったんだ」
「期待に添えず申し訳ない」
「ああ、いや……」
こちらが謝ってみせるとスカイアイはさらにバツの悪そうな顔をする。それに仄暗い愉悦を覚える。
気に入らないのだろう。
AWACSの管制指揮官という同じ立場ではあるが、まるで自分とは正反対なこの男。演習の十数年前ならいざ知らず、今となれば仕事の有能さで引けは取らぬと自負している。しかし、そういうことではなく。
英雄メビウス1の片腕として正道を歩くこの男。
光しか知らぬと言わんばかりのこの男が。
――気に入らない。
完全な言いがかりだ。ただの妄想なのもわかっている。自分が彼のようになりたいかといえば、そうではない。決してなれないし、なりたいとも思わない。そもそも性質が違うのだ。
そこまでわかっていて、なのに“気に入らない”のだから全く始末におえない。
くっ、と喉の奥で笑った。
それをどう受け取ったのか、スカイアイは話題を変えた。
「あー、君の今のコールサインは?」
「バンドッグ」
「バンドッグ? ――はは。なるほど、番犬か。上手く言ったもんだな」
懲罰部隊の囚人を見張る番犬。誰がつけたのか知らないが確かに中々のネーミングセンスだ。
自分は懲罰部隊だが囚人ではない。管理する側だ。必要とあらばクズどもと馴れ合いもするが、それを忘れたことはない。
「煙草を吸っても?」
スカイアイに気を使うのも馬鹿らしくなり胸ポケットから煙草のケースを取り出した。
「構わないよ。誰かと待ち合わせかい?」
「ええ、まあ……遅れているようですが」
「その……まだ時間があるならば、変なことを聞いてもいいだろうか」
スカイアイが躊躇いながら聞いた。
「私に答えられることなら」
「……君は、この仕事に就いて後悔したことはあるか?」
どういった意図の質問か計り兼ねてスカイアイの顔を見た。『この仕事』というのが、軍人を指すのか、それとももっと狭義の管制官を指すのか。
――おそらく後者なのだろう。
二人に共通するのはAWACSの管制指揮官であること。その一点のみ。
ならば答えは決まっている。
紫煙をゆっくりと肺に吸い込み、吐き出す。
「ありませんね」
「そうか……」
スカイアイは苦笑した。
「すまない。同じ立場の者と話す機会があまりないから、つい聞いてしまった。忘れてくれ」
確かにAWACSは高価な乗り物で、その数自体が少ない。搭乗するクルーは希少だ。こういった特殊な場でもなければ会うこともなかっただろう。尋ねたくなった気持ちも理解できる。だが忘れてくれと言われて素直に忘れてやる義理はない。
「あなたは後悔したのか」
スカイアイは聞き返されるとは思っていなかったようで、再び苦笑をこぼした。
「ああ……ずっと昔……メビウス1と出会う前だ。だが、今では必要な経験だったとも思う」
スカイアイは顔を上げ、眩しげに目を細めた。
彼の視線の先には青鈍色に塗装されたF-22がある。それを恋人を見るような、愛おしげな目で見つめている。
――まるで全てはメビウス1に会うために必要な経験だった……とでも言いたげだな。あなたをしてそう言わしめるほどの男なのか。メビウス1は。
これに乗っていたメビウス1とはいかなる人物か。気になったこともあったが、スカイアイと組んだことで最高のパフォーマンスを発揮したのだとすれば、自分との相性は最悪だっただろう。
そんな気がする。
「……スカイアイ」
どこからか消え入りそうに微かな声がした。
呼ばれたスカイアイは背後を振り返る。いつからいたのだろうか、そこにはスカイアイの体躯に隠れるようにして男がいた。小動物のようにおずおずとこちらを伺っている。
「ああ……もういいのかい?」
スカイアイが男に尋ねた。男はそれに言葉ではなく首肯で答える。さっきから仕草がまるで子供じみている。他人が話しているところへ割り込んできて、こちらには挨拶もせず無礼な男だ。スカイアイがそれを許しているのにも驚く。
「すまない、連れが来たので。会えて嬉しかったバンドッグ」
スカイアイはそう言って、小柄な男と共に去っていった。まったく共通点もなさそうな二人なのに、不思議と空気感が似通っていた。
次第に小さくなる二人の後ろ姿を眺めながら煙草を吸った。
ゆっくりと肺から煙を吐く。柔らかな風が吹いて煙を青空に溶かした。
「バンドッグ!」
物思いを切り裂く声がした。
眉間にしわを寄せて振り返る。
全速力で走ってきたらしい、ゼイゼイと息を切らして汗だくだった。さっと全身に視線を走らせ怪我などがないか確認する。何があったのか知らないが、無事であればそれでいい。我が軍きってのエースパイロットがオフに怪我などされてはたまらん。
腕時計を見れば十五分を過ぎている。こんなに待つ予定ではなかった。スカイアイといらぬ話をしてしまったせいだ。
舌打ちをする。
「遅刻だ、トリガー」
「ご、ごめん……」
「『ごめん』? 口の利き方を知らんようだな」
「申し訳……ありませんでした」
「余計な言い訳をしないところは褒めてやる――が、わかってるな? 後で仕置きだ。覚悟しておけ」
無愛想な顔に少しの希望が滲んでいたが、それを打ち砕く。
口の端に笑みを浮かべ、小さくなった煙草を携帯灰皿にねじ込んだ。

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