吸血鬼メビウス1 - 3/6

3.

 

メビウス1に血を与えるたびに、最初は単なる熱の様に感じたそれが、じわじわと広がりを見せてきていた。酒に酔ったような熱が、ある意志を持ち始める。熱が下半身に集まり、強烈に吐き出し口を求めた。
――抱きたい、と。
スカイアイは考えることすら罪のように頭を振ってそれを追い出してきた。しかし、もはや誤魔化しが効かないところまで追い詰められていた。彼にも悟られるくらいに。
メビウス1も自分の吸血行為がどんな影響を相手にもたらすか理解している。その上で、「構わない」と言っている。その熱を処理する手伝いをしてもよいと。
ありえない。姦淫は罪だ。ましてや彼は男で、まだ未成年の見た目をしている。幾重にも罪を重ねることになる。
神父はその身を神に、人々に捧げた者。信仰に生きるために妻帯は許されていない。しかし、この世の中には欲求を抑えられず、少年を性の捌け口に使う司祭がいるのだ。スカイアイはそういう人間を心から軽蔑してきた。だから自分が同じ場所へ堕ちるわけにはいかなかった。どんなに辛くても。
それなのに、彼に血を吸われる度に熱は大きく、深く、スカイアイを飲み込んでゆく。
彼を抱きたい。
その白い肌に噛みついて、紅い跡を残して、めちゃくちゃにしたい。
頭を振る。
違う。そうじゃない。
ただ、彼の瞳が寂しそうだったから、そばにいてやりたいと思っただけなんだ。
そして、強く抱きしめて、口づけを――。
ハッと気がつけば、スカイアイの身体の下にメビウス1が横たわっていた。両腕を上からベッドに押さえつけて拘束している。
俺は、今、何をしているんだ?
自分がしている行動が信じられない。
幾度目かの吸血の後、彼を押し倒して、そして自分は何をしようとした?
――手を離さなければ、今すぐ。
――彼を解放しろ。
頭の中でやかましく響くのは自分の声。
それなのに、手は彼のシャツを掴んでボタンを外すのも煩わしいと左右に引きちぎった。
メビウス1が一瞬身体を強ばらせる。が、抵抗らしい抵抗はなかった。
白い首筋に顔を埋める。薔薇の香りがスカイアイを酔わせる。
彼の首へ歯を立てる。まるで自分も吸血鬼になったように。柔らかい皮膚の感触を味わうと、それだけで何かが満たされたような気がした。
背中に腕が回された感触がして、スカイアイはハッとした。
顔を上げると、メビウス1がじっと見つめていた。
彼はこんな自分を拒むこともなく、狂暴な欲を受け入れようとしている。温かく、どこまでも柔らかく。
ぎゅっと目を瞑る。
……たまらなかった。
同情や、哀れみならいらない。そんなものは欲しくない。
メビウス1の温もりから意志を総動員して身体を離した。下からメビウス1がきょとんとした顔で見つめ返してくる。
ベッドから身を起こす。
「スカイアイ……?」
「君に血を与えるのは、もう、やめる」
「え」
「わかるだろう。これ以上は――」
扉へ向かってゆっくり歩く。
今すぐにでも戻りそうになる足を無理矢理に前へ動かす。
「もう君を閉じ込めはしない。どこへなりと行けばいい」
「…………」
振り返らず、部屋を出た。
メビウス1がどんな顔をして自分を見ているのか、知るのが怖かった。

それから、三日の夜が過ぎた。
メビウス1は今、どうしているのか。扉にはもう鍵をかけてはいない。いつでも出ていけるはずだ。
彼は夜の内に出ていったのか、あるいは――。
その三日は仕事をしながら、地下をつい気にしてしまう自分との戦いだった。
深夜、教会の扉を激しく叩く音でスカイアイは目覚めた。
扉を明けると、この村を取り仕切るグルックと村人数人が血の気の失せた顔で立っていた。
「神父様、来てくれ!」
「一体、どうしました」
「人が、死んだんだ……殺された!」
「なんですって?」
スカイアイはすぐに着替えて被害者の家に向かった。
狭い村だ。人が死んだという噂はあっという間に村中に知れ渡り、人々が集まってきていた。
被害者は村の外れの家に住む若い娘。両親と暮らしており、十六になったばかりだという。自分の部屋で寝ていたところを襲われたらしい。窓ガラスが割れ、辺りに散乱している。
父親が窓が割れた音に起きて、娘の部屋に踏み込んだ時、怪しい黒い影が窓から出ていったということだ。
そして、娘は。
「全身の血が、抜かれている……」
スカイアイは娘の美しい金髪をのけて、首を検分した。首筋に、見慣れた二つの穴。
「神父様、これは吸血鬼の仕業に違いない……そうですよね!?」
娘の父親が、涙を流しながら訴える。
それにスカイアイは肯定も否定もできなかった。
「神父様、我々はどうしたらいいのでしょう」
グルックが問いかける。
「女性は明日、葬儀を。……しばらくは深夜の見回りを、村の者で交代で行いましょう。私も見回ります」
「神父様がそうしてくださったら心強いですよ」
グルックは腹を揺らして笑う。しかし、その笑みはどこか引きつって歪んでいた。

スカイアイは教会に戻り、この三日訪れなかった地下へ降りた。
まさか彼が、とは思っていない。人を襲うことをあれだけ嫌がっていた彼だ。こんな風に人を襲うなど信じられなかった。
だが、万にひとつ、ということもある。可能性がわずかでもあるなら確かめねばならなかった。
スカイアイは地下の部屋の扉を開けた。
真っ暗な部屋を、蝋燭の明かりが照らす。
ベッドに力尽きたように眠る姿に、スカイアイは無意識に詰めていた息を吐き出した。
「メビウス1……?」
ベッドに近づき、サイドテーブルに燭台を置く。
近くで彼の様子を覗き込んだ。
また顔色が真っ白に戻っていた。血が足りない証拠だ。ならば、あの娘を襲ったのは彼ではない。人間の全身の血を飲み干すほど吸っているなら、こんなにぐったりするはずもない。
わかっていたことだが、やはり安堵した。そして同時に、彼がどこにも行かないでくれたことが嬉しい。
馬鹿な話だ。
彼を突き放したのは自分で、彼がいると困るのも自分なのに。
「メビウス1」
身体を揺する。
「んん……?」
まつ毛が細かく震えて、ゆっくりと開く。
その薄い瞳がスカイアイを捉える瞬間、心臓をわしづかみにされたような気がした。
手のひらでそっと頬に触れた。
「スカイアイ、どうしたの? ……もう、来てくれないのかと思った」
メビウス1は眠そうに目を手でこすった。
「ああ……実は」
スカイアイは村の娘が襲われた一件をメビウス1に話した。犯人がおそらく吸血鬼だということも。
「君は、仲間はもういないんだと言っていなかったか?」
「うーん。もしかしたら、運良く逃げ延びた仲間がいたのかもしれない。何しろ俺は百年間寝ていたから、その間に何が起こっていたのかは知らないんだ。でも、仲間の存在を感じたのはこれが初めてだよ」
「では、やはり……」
メビウス1は頷いた。
「吸血鬼の仕業だろうね。それも、人間を襲うことに抵抗のない」
「また襲ってくると思うか?」
「そうだな……可能性は半々だけど、襲われるとしたら、また若い女性じゃないかな」
「なぜわかる?」
「どうもその仲間は、女性の血を好んでいるみたいだから。……処女の血は美味しいらしいよ?」
メビウス1の口から「処女」などという単語がでて、居心地の悪さを感じた。
「君も、好きなのか……?」
「え?」
「その……、処女の血が」
彼が自分の血よりも処女の血を好むのだとしたら、なんとなく面白くないなと感じてしまう。いつも血を飲んだ後、頬を染めて「おいしい」とうっとりするメビウス1の顔を思い出す。
「さぁ。飲んだことないからわからない」
メビウス1は首をかしげ、何でそんなことを聞くのと言いたげにこちらを見た。
スカイアイは咳払いをして話題を変えた。
「そ、そうか。いや、なんでもないんだ。……では、若い女性がいる家を重点的に見張るようにしよう」

翌日は朝から犠牲者の女性の葬儀を済ませ、深夜には村人たちで村中の見回りをした。とくに若い女性のいる家の周りを念入りに行った。
しかしそれを嘲笑うように、数日の間に犠牲者は二人に増え、ついに三人にまで増えた。
村人たちは恐慌をきたす寸前である。
「神父様、うちの娘を守ってください!」
「お願いします!」
そう口々に村人が押し掛けてくる。しかしスカイアイは一人しかいない。全員を守ることは到底できない。
「神父様!」
グルックがやってきて群がる村人たちを押し退けた。
「うちには年頃の一人娘がいるんです。どうか助けてやってください」
グルックがそう言えば村人たちはもう何も言えない。彼らにはグルックを差し置いて自分の娘を守れと言う勇気はなかった。彼に逆らえる者は、この村にはいないからだ。――スカイアイさえも。
結局、その日の晩はグルックの屋敷に泊まり込んで見張ることになった。
準備をして教会を出る時、メビウス1がついていくと言い出した。
「ダメに決まっているだろう。君の姿を村人に見せるわけにはいかない」
「でも、スカイアイだけでは危ない。吸血鬼に勝てないよ」
「しかし、やるしかないんだ。もう三人も犠牲になっているのだから」
「俺も……」
「ダメだ。ここでおとなしく……いや、今のうちに、どこか遠くへ逃げるんだ。それが君のためだ」
メビウス1は眉を下げてしゅんとした。まだ何か言いたげに口を半開きにしたメビウス1をおいて、スカイアイは教会を出た。

グルックの家は、村の中で一番大きな屋敷だ。二階建ての造りで、庭も美しく整えられている。娘の部屋は二階にあるらしい。
スカイアイはまず、吸血鬼の侵入口である窓に銀のロザリオをかけた。あまり意味はないかもしれないが、何もしないよりはいいだろう。そして娘自身にもロザリオを渡す。ロザリオが吸血鬼にとって致命的ではないにしろ、ダメージを与えられるのはメビウス1で実証済みだ。
グルックが娘の隣の部屋にスカイアイが待機できるように部屋を明け渡してくれたので、そこでいつでも動けるように控えていた。
そこで持ってきた武器を確かめた。
スカイアイが所持している道具はそう多くはない。吸血鬼に通用するかもわからない。だが、メビウス1に言ったとおり、これはスカイアイがやらなければならない仕事だった。