旅立ち - 3/5

3.

メビウス1の傷が癒えるまでの間、自分にできることは何かを考えた。今はまだ、事件を計画した者も新たな一手を打ってくることはないだろう。その間に、できるだけのことをするのだ。情報を集め、敵を知り、あらゆるコネや人脈を使い、味方を増やしていく。司令官も部下を使って調査しているが、スカイアイ自身でも情報を集めた。正直なところ、どこまで通用するかわからない。得意な分野でもなく、いつもの業務をこなしながらでもあり休む間もなくなったが、じっとしてはいられなかった。
それでも日に一度は必ずメビウス1の顔を見に行った。彼が会えるのはごく僅かな者に限られる。彼自身の安全のためとはいえ、さすがにそれでは寂しいだろうと話し相手になりにいっていた。――と、いうのは表向きな口実で、単にスカイアイがメビウス1に会いたかっただけだ。

今日は間が悪く、彼はベッドで眠っていた。
気持ち良さそうに眠るメビウス1の寝顔を見ていると癒される。
ほっとしたからだろうか。肩にのしかかるような疲れを感じた。仕方なく、側にあった椅子に座って腕を組む。
目を閉じて、メビウス1の規則正しい寝息を聞いているうちにスカイアイの意識は途切れた。

どのくらい眠ったのか。
ゴソゴソと、何かがすぐ側で動く気配がして目が覚めた。目を開けるとメビウス1がベッドから身をのり出して、椅子に座るスカイアイの肩にブランケットを掛けようとしていた。
「あ、ごめん。起こした……?」
半分肩からずり落ちそうなブランケットを、メビウス1が左腕で支えている。片腕しか使えないため、肩にブランケットをかける動作すら難しいようだ。
「ああ、いや。……ありがとう」
メビウス1の気遣いが疲れた身体に染みた。スカイアイは意識をはっきりさせようと軽く頭を振った後、ブランケットを畳んでメビウス1に返した。
「疲れてる、みたいだね」
「少しな」
まだ眠気が頭にまとわりついている。目頭を指で強く揉みほぐした。疲れている姿をメビウス1に見せたくなかったスカイアイは話題を変えた。
「それより、腕の調子はどうだ」
「うん、悪くないよ。順調に治ってきてる」
幸運にも彼の腕の機能は損なわれなかった。傷が回復すれば、問題なく操縦桿も握れるだろう。彼にとっては再び飛べること、それがなにより重要だ。
メビウス1はうつむきかげんに、包帯に包まれた右腕をさすった。
「スカイアイは知ってる?……俺が、刺された理由」
「……現在、取り調べ中だ」
「そう……」
うつむいた彼の顔に伸びた前髪がさらりとかかって影が落ちる。
表情が見えない。
スカイアイは落ち着かない気分になった。彼に嘘をついたからか。いや、嘘ではない、と内心で言い訳をする。あの犯人を取り調べ中なのは確かだった。
裏で犯人を操るやつがいる。味方が君を殺そうとしていると、メビウス1に告げるべきか迷った。彼も、もしかしたら何かを感じているのかもしれない。
だが、まだ何もわかっていない状態だ。全て推測にすぎない。そんな不確実なもので、彼をいたずらに傷つけるのは躊躇われた。
「何かわかったら知らせる。君はゆっくり傷を癒せ」
立ち上がりながら、メビウス1の肩をポンと叩いた。メビウス1は「うん」と素直にうなずいたが、その表情は髪に隠れてついぞ見えなかった。

 

スカイアイが病室のドアを閉める音を聞いてから、メビウス1は顔を上げた。彼が出ていった扉の先をじっと見つめる。
スカイアイにした質問……本当は知っていた。
スカイアイより前に司令官が見舞いにきて、今回の事件のあらましを全て話してくれたからだ。
聞いたとき、それほどショックは受けなかった。力を持ちすぎた英雄が、時の権力者に消されるなんてよくある話だ。自分が英雄だなんて思い上がったりはしていないけれど、周りからしたらそんなことは関係ないのだろう。
ため息を吐いたら、身体が重くなったように感じて、ベッドに背中から倒れた。パイプベッドがギシリと悲鳴をあげる。
つらいのは、味方に命を狙われることじゃない。
スカイアイを試すようなことをした。そして、スカイアイが本当のことを話してくれなかった――それが、心に重くのし掛かる。
わかってる。スカイアイが全てを話さなかったのは彼が優しいからだ。そして、メビウス1を守るために動いてくれているのも。だが、それがスカイアイ自身を危うくするかもしれない。彼もまた、命を狙われるかもしれない。
歯がゆかった。何もできない自分が。彼の足を引っ張る存在にはなりたくなかった。彼が好きだけれど、自分を愛してほしいなんて贅沢なことは思わない。ただ、スカイアイの隣に自信を持って立てるようになりたかった。
あなたに、必要とされる人間でありたい――。
それこそ、思い上がりなんだろうか。
メビウス1はぎゅっと目を瞑り、左腕で顔を隠した。

その日以降、スカイアイが訪ねてもメビウス1はどこかぼんやりとして、憂いのある表情をするようになった。どうしたのか尋ねても、はっきりした答えはなく、いつもはぐらかされる。
そんな日が続いた。

 

秋の暖かさが徐々になくなり、木枯らしが吹くようになったころ、スカイアイは司令官に呼び出されだ。
メビウス1が軍を退役すると聞かされた。それも、メビウス1の希望で。
スカイアイは基地の廊下を疾走した。
――なぜ、彼が軍を辞めなければならない。
スカイアイは憤りを押さえきれなかった。
この軍を勝利に導いたのは、間違いなくメビウス1だ。その勝利だって簡単なものではなかった。数々の屍の上に築かれた勝利だ。メビウス1自身も重責に苦しんで精神はボロボロだった。近くで見ていたのだから、よくわかる。それでもメビウス1が戦い続けられたのは、飛ぶことが好きだったからだ。“生きがい”と言ってもいい。
飛んでいる彼は、実に楽しそうだ。不謹慎かもしれないが、彼にとっては戦場こそが、生きている実感を味わえる場所だったのかもしれない。この世の縁をすべて絶ちきって、己の命、ただひとつをかけて飛ぶ。だから空で、あんなにも自由なのかもしれない。
そんな彼から飛ぶことを奪う者が憎かった。勝つために英雄と祭り上げておいて、邪魔になれば切り捨てる。そうして今、ほくそ笑んでいるやつがいると思うとはらわたが煮えくり返る。司令官からメビウス1の退役を聞いて、一番に思ったのはそのことだった。
走るスカイアイを、すれ違う者が物珍しげに見ていた。廊下の角を曲がろうとしたとき、女性事務官とぶつかった。女性が手に持っていたファイルが音を立てて散らばる。
「あ……っ」
女性が衝撃でふらついたのを、スカイアイは肩を抱いて押さえた。
「!……すまない。怪我はないか」
「い、いえ……大丈夫です。そんなに急がれて……なにかあったんですか?」
「いや……」
驚いている女性の質問には答えず、ぶつかった拍子に女性が落としたファイルを拾い集めた。
女性事務官に渡す。
「急ぐので、失礼」
激情のままに走ってしまったが、少し頭が冷えた。走らず早歩きで向かう。
冷静になると、見えてくるものがある。
メビウス1の覚悟を、何も知らず、相談すらされなかったことに、スカイアイは衝撃を受けていた。
メビウス1は知っていた。自分が刺されたのは軍の上層部にいる何者かのしわざであることを。
――知っていたのだ。
あの時、スカイアイは試されていた。真実を話しさえすれば、彼はスカイアイにも相談を持ちかけたにちがいない。その道を閉ざしたのは、他ならぬスカイアイ自身だった。苛立ちは、己の不甲斐なさにも向けられていた。
それに、メビウス1の命を守るには確かに軍を辞めるのが一番いいのかもしれない。彼からしてみれば、これだけ尽くした軍に裏切られたのだから、やっていられないと思うのも無理はない。
だが。
スカイアイはだんだん足が重くなるのを感じた。もう少しでメビウス1の部屋にたどり着く。
彼に会って、何を話す。いまだに彼の身の安全も保証できないくせに、辞めないでくれとは言えない。
――そうだ、辞めてほしくないのだ。
スカイアイは自分の中に利己的な感情があるのを、認めざるをえなくなった。
ごちゃごちゃと言い訳をして焦りを怒りに変えても、残ったのは、ただ彼と、メビウス1と離れたくないという単純な感情。幼稚で、けれども純粋な想い。
メビウス1と、この一年、ずっと一緒にいた。彼と共に戦ってきた。彼が側にいることが当たり前で、いなくなることなど想像もしなかった……いや、したくなかった。
理性では、わかっている。彼のためを思うのなら、手を離してやらなくてはならない。
でも――離れたくない。側にいたい。
彼を、愛していた。

不器用で、孤独で、死にたがりのメビウス1。
ただ彼の側にいて、彼の孤独に寄り添いたかった。独りじゃないと思ってほしかった。
少しでもいいから、生きる幸せを感じてほしかった。