好きって言えない

隣で規則正しい寝息が聞こえだしたのを合図にメビウス1は目をあけた。
温かい腕の中、そっと見上げると高い鼻梁が見えた。スカイアイが寝たのを確認して、ほぅと息を吐く。その吐息までピンク色に染まっているような――身体の奥から快楽の熾火がじりじりと身を焼くのを感じていた。
さっきまでこのベッドの上でスカイアイと交わった。身体の奥深くまでスカイアイに開き、蹂躙された。もちろん望んでのこと。
性的な経験がないメビウス1は、いつもスカイアイにされるがままだった。彼は優しく気遣いながら抱いてくれるが快楽を教え込むのに手は抜かなかった。
もう何度も回数を重ね、心より先に身体が慣れていた。
思い出すとまた身体の奥からジンとした痺れがやってきて、自分がとんでもない淫乱になったように感じる。誰も見ていないのに顔が熱くなり、スカイアイの裸の胸に押し付けた。トクントクンと自分のものより幾分かゆったりした鼓動を聴いていると少し落ち着く。
スカイアイとの行為に溺れている自覚はある。快感を覚えた身体は常に彼を求める。セックスがこんなにも自分を変えるとは思わなかった。いや、そもそも彼の隣にこうしていることでさえまだ信じられないような気がする。

スカイアイと出会うまで、ずっと一人で生きてきた。
両親をあの美しい流星に奪われてから、なぜ自分だけが生きているのかと絶えず心に問いながら。
何かを楽しく感じることもなく、頼る者もおらず友人もいない。
けれども、生きたくても生きられなかった人が死んだのを目の前で見てしまった身としては、命がある間は生きることを自分から放棄するわけにはいかなかった。
そんな自分に課したひとつの目標が空を飛ぶこと。父と同じ、戦闘機パイロットになることだった。目標は高ければ高いほどよかった。実現が難しい方が長くかかる。それだけ生きられる。そんな自分の思惑とは外れ、適性があったのか案外すんなりとパイロットへの道が開けてしまったのだが。
戦争が絶えないこの時世に戦闘機パイロットを志すということは、いずれ戦場に出なければならないとわかっていた。
軍人になろうと思った理由は二つある。ひとつには成人していない身よりのない自分でも軍人になれば食い扶持を確保できること。もうひとつは、戦場に出ればいずれは戦死するだろうと期待してのことだった。つまり緩慢な自殺だ。自分では死ねないから誰かに死んでもいい理由を与えてもらいたかった。
……卑怯なのは重々承知している。

今にして思えば、幽鬼みたいに生きてきた自分のどこをスカイアイは気に入ったのかわからない。どこをとってみても好ましい要素などないように思える。
スカイアイから優しい、慈しみとも言える眼差しを向けられるたびに何も感じなかった胸の奥がひび割れて、溢れだした何かがじわじわと己を侵食していった。それが時に恐ろしく、逃げ出したくなるときもあった。実際、彼と離れていた一年は自分の気持ちを見つめ直したくて彼から逃がれたようなものだった。でも、離れたことで気づかされた。スカイアイがいつの間にか心の奥深くにまで入りこんで、もはや切り離せない存在になっていたのだと。そう自覚したから軍に戻った。

――スカイアイの腕の中で眠る時間が好きだ。
彼の匂いに包まれて不安は何もなく、身体の芯からぐずぐずに溶けていくみたいに幸せに浸る。
スカイアイが寝返りをうち、腕が身体から外れた。メビウス1はのそりと布団から起き出して裸の肩をさらした。外気が熱をもった身体を冷ます。
うす暗い中、スカイアイの顔を真上からじっと覗き込んだ。
形のよい美しい鼻筋。まるで映画俳優のような、渋さと甘さが絶妙に配分された彫りの深い顔立ち。どれだけ見ていても飽きない。彼が起きている時には見つめ返されるのが恥ずかしくてじっと見ていられないけど。
「スカイアイ……好き、だよ」
寝ているのをいいことに、ぽそっと呟く。面と向かって言えば、きっとスカイアイは喜ぶはずだが、ほとんど言ったことがなかった。愛情を貰うだけ貰っておいて、それを返さないのは卑怯だと自分でも思う。わかっていても、いざ口に出そうとすると舌が張りついたみたいに動かなくなるのだった。
こんなことで償えるわけではないが、少し開いた薄い唇に、ちょんと触れるだけのキスを贈った。
今が幸せで、幸せすぎて恐くなる。いつかこの幸せに終わりがくるんじゃないかと。
明日も同じ日が訪れる保証なんてない。そのことをメビウス1はよく知っていた。幸せであればあるほど失ったときの絶望は計り知れない。
スカイアイの気持ちを疑ってはいない。彼はいつだって誠実だ。でも、人の気持ちは変わる。ずっと一緒なんて信じられなかった。
いつかスカイアイに飽きられて、捨てられるんじゃないか、もっと相応しい人が現れるんじゃないか――そんな不安は常にあった。
その時が来たらみっともなくすがりついたりしないで、いさぎよく彼から離れなければ……。
想像しただけで胸が痛くて切なくなった。じわ、と目頭が熱くなり、鼻の奥がツーンとする。鼻をすする音が静まり返った部屋に意外なほど大きく響いて、後悔したが、もう遅い。
「ん……」
スカイアイがこちらに寝返りをうった。薄く開いた、どこかぼんやりとした瞳が何かを探して宙をさ迷い、メビウス1の顔に止まった。スカイアイの手が伸びてきて、指が目の下をゆるくなぞる。
「……眠れないのか?」
スカイアイはまだ半分寝ぼけているみたいで、寝起きの、吐息混じりの声がセクシーだった。
「あ、」
「さっき俺に何か……しなかったか」
メビウス1は焦った。スカイアイの寝顔にキスをしていたなんて知られたら、恥ずかしくて死ねる。
「し、してない。してないよ、なにも」
「そうか……。じゃあやっぱり、夢、かな」
スカイアイは少し残念そうに長い息を吐いた。その様子と嘘をついた罪悪感に胸が痛んだ。
ごめんなさい、スカイアイ。勇気のない俺で。
胸の内で呟く。そんなメビウス1のうつ向いた後頭部を、抱え込むように腕がまわされた。
「わ……っ」
そのまま勢いよくスカイアイの裸の胸にダイブする。肩に触れたスカイアイが驚いたように言った。
「ずいぶん、冷えてるな」
言われて初めて自分の身体が冷えきっていると気づいた。熱が冷めなくて眠れなかったはずが、今は逆に寒いくらいだ。どれだけ起きていたんだとスカイアイに怒られて、冷えた肩を何度もさすられた。いつも彼の優しさが、凍えた心を温めてくれる。
「もう寝ろ」
前髪をすいて地肌に何度も触れる唇。ふと触れた足が冷たいと言って、スカイアイは足先をふくらはぎに挟みこんだ。指先がじんじんする。胸元にぎゅっと抱きしめられ、這い出る隙間もない。全身がスカイアイに拘束されたようだ。それなのにひどく安心してしまう。
温かい腕に包まれると眠気がわいて、自然とあくびが漏れた。彼の側ではよく眠れた。それは今も変わらず。
スカイアイに見守られながら、トロトロと眠りの狭間に落ちていく。
「スカイアイ、あのね……」
「ん?」
伝えたいことは沢山あった。
こんな自分を好きになってくれてありがとう、とか。
好きって言えなくてごめん、とか。
なのにやっぱり何も言えない。出てきたのは「おやすみ」のひと言だけだった。
「ああ、おやすみ……メビウス1。いい夢を」
スカイアイの低い声が、身体を伝って響いてくる。
完全に意識が夢の中に落ちる、その間際、夜のしじまに溶け込むようにひっそりと。
――俺も好きだよ。
と、彼の声を聞いた気がした。