唇に時を重ねて

キャノピーを開ける。
ヘルメットを外すと湿った風が吹き込んで熱した頭を冷ました。髪が汗で額にはり付いていて気持ちが悪い。頭を振って汗を飛ばす。
重たい身体を起こしてタラップをゆっくり降りる。
ヴァイパー2には「ロートル」と罵られたが彼の言うとおりだ。昔に比べれば身体はすぐに疲れるし、腰も首もギシギシして悲鳴を上げる。
「お疲れ様です」と声をかけてくる整備兵に、辛そうな顔なんか見せてたまるかと余裕の顔でうなずきを返して彼らに機体を預けた。
まったく、自身のプライドの高さが嫌になる。英雄視されるのが嫌だったくせに、かといって決して弱みは見せたくないのだった。
とにかく汚れた身体を流そうとシャワールームへ向かうと、その前でオメガ11と出会った。
「ああ、その姿、やっぱりメビウス1だ!」
「オメガ11、久しぶり」
軽くハグを交わす。メビウス1が昔一緒に戦ったメンバーは、退役したり別の部隊に編入したりしてほとんど残っていない。オメガ11は貴重な旧友だった。
「飛び方でわかったが、メビウス1は変わらないなぁ」
「そうかな?」
「そうさ。……ああ、紹介するよ。あいつがヴァイパー2だ」
そういったオメガ11の視線の先には鋭い目付きをした精悍な若いパイロット。その人物がメビウス1の姿を見るなり目を見開く。
「あんたが……メビウス1?」
「うん。よろしく、ヴァイパー2」
手を差し出した。ヴァイパー2は変な生き物を見るような目でメビウス1を頭から爪先まで見て、遅れて差し出した手を握った。
訝しげに尋ねられる。
「あんたが活躍したのは十年前……だったはずだよな。……何歳なんだ?」
「おい、ヴァイパー2、失礼だろ」
オメガ11が軽く拳でヴァイパー2の肩を叩いた。メビウス1は構わないと首を振り、微笑んだ。ヴァイパー2はさっきの戦闘中も、メビウス1に対して常に懐疑的だった。盲目的に英雄視されるより疑われるくらいの方がずっといい。昔の英雄に頼るより、自分達の力で問題を解決したかった想いもあるのだろう。ヴァイパー2の誠実さがうかがい知れてメビウス1は好印象を受けた。
「戦争当時は二十歳くらいで、だから今は三十だよ」
メビウス1が答えると、ヴァイパー2はその神経質そうな眉間にシワを寄せる。メビウス1の耳に「マジかよ……」という小さな呟きが聞こえた。

 

「っていうことがあったんだけど、どういう意味か、スカイアイわかる?」
空母から基地へ戻り、次の任務まで現在は待機中だ。スカイアイの私室でまったりとコーヒーを飲む。
スカイアイはメビウス1の話を聞いて、肩を揺らして笑った。
「そりゃ、君が若く見えてびっくりしたか、思っていたより若くて驚いたかだろう」
「同じじゃないの、それ?」
「違うよ。君は三十には見えない。せいぜい二十代前半というところだ。おまけに戦争当時は新米パイロットで二十になったばかり。ヴァイパー2は『ロートル』と言って毒づいていたが、まさかあの大陸戦争の英雄がこんなに若いとは思っていなかったんじゃないかな」
メビウス1は深くため息を吐いた。コーヒーカップをテーブルに置いて、ソファーの背もたれに身体を預けて腕を天井に向けて伸びをする。背骨がパキッと鳴った。
「もう、そんなに若くなんかないよ。今日だって自分の身体の衰えを痛感したんだから」
「そうなのか? 腕は落ちていないようだったが」
スカイアイの言葉に伸ばした背を思わず戻す。
「落ちてたよ、びっくりするくらい。……年を取るって嫌だよね」
肩をすくめたメビウス1に、スカイアイが苦笑する。
「君にそんなことを言われたら俺はどうなる? 君より十も上なんだぞ」
メビウス1は自虐したつもりで、スカイアイのことを悪く言う気はなかったが、そう取られても仕方がない。慌てて弁解する。
「あなたは変わってないよ。……ううん、年を取って渋くなって、もっとカッコよくなった」
「おいおい、そんなに褒めても何も出ないぞ」
「本当だよ」
言いつのっている間にソファーに座った互いの距離が近くなっていた。
ふと、会話が途切れる。
スカイアイの顔がすぐ近くにあって、目尻にあるシワがはっきり見えた。さっき言ったことは嘘でも世辞でもない。年齢を重ねてスカイアイはさらに貫禄と男の色気を増していた。
こちらを見つめるスカイアイの瞳にドキドキする。歳を重ねても変わらないものがある。メビウス1が大好きな空色の瞳だ。これだけは昔とちっとも変わっていない。何度見ても飽きないし、いつまでも見つめていたい。
スカイアイの手が太ももに置かれ、じんわりと熱が伝わる。その大きな手に自分の手を重ねてメビウス1はスカイアイに唇を寄せた。どちらともなく音を立てて吸い付き、離れてはまた柔らかくついばむ。何度かそれを繰り返して離れていく唇にメビウス1は追いすがった。
そんな子供をなだめるみたいなキスでは足りない。
スカイアイの唇を舌でちろりと舐め、ゆっくりと上唇と下唇の隙間を舌で撫でた。スカイアイが吐息を漏らして笑う。閉じていた唇も次第にゆるんで、その隙に温かい口の中に侵入した。そっと差し入れた舌をスカイアイが待っていたように舌先でくすぐり吸われる。
「ん……ッ」
首筋の毛が逆立つような感覚。敏感な舌先をなぞられるとゾクゾクした。
いつの間にか後頭部と背中に腕が回され、ソファーに押し倒されていた。のし掛かる身体。深く交わる唇。仕掛けたのはメビウス1なのに、気がつけばずるずると奥まで誘い込まれて、スカイアイに絡めとられていた。いつの間にか立場は逆転してスカイアイに口内を好きにされる。
「んぁ……っ、は……」
唇が離れた隙に大きく肺に息を取り込む。
「君はキスが上手になったな……。出会ったばかりの頃は、軽くキスしただけで真っ赤になって」
それはそれで可愛らしかったが、とスカイアイは感想を漏らした。メビウス1の濡れた唇を親指でそっとぬぐう。幾度も吸われて赤く敏感になった唇は固い皮膚の感触にすら刺激になり、メビウス1はふるりと身体を震わせて乱れた息を吐いた。
「……っ、それは、教師がよかった……から」
この十年、たくさんたくさん、数えきれないほどのキスをした。穏やかなおやすみのキスから、お互いの官能を高め合う、燃え上がるような激しいキスまで、全部スカイアイから教わったものだ。
二人の間には数多のキスの歴史がある。
「メビウス1。こんなにしておいて何だが、今日はおとなしく休んだ方がいいんじゃないか。出撃して疲れてるだろう?」
スカイアイがなだめるように額に口づけをしたが、メビウス1はそれを拒んで首を横に振った。熱くなった身体をスカイアイに擦り付ける。
「んん、……こんなんじゃ、寝られない」
昂った股間をわざとスカイアイの腰に押しあて、言外に抜いてほしいとねだる。脳内にいるもうひとりの自分が“何をやっているんだ”と冷静に突っ込み、カッと頬に血がのぼった。恥ずかしくてたまらない。十年前の自分は想像もしなかっただろう。こんなにも明け透けにスカイアイを誘うようになるなんて。けれども、こうして甘えるとスカイアイが喜んで、いっそう甘やかしてくれるのを知っている。
スカイアイが小さく笑って「俺の誘い方も上手くなった」と、良くできた教え子を褒めるように髪を撫でた。
「年を取るのも悪くはないな……。そう思わないか?」
目を細めてスカイアイが微笑む。目元に浮かぶ細かいシワ。
手を伸ばして目尻を指先でたどり、そのまま首に腕を回して引き寄せる。そのシワにそっとキスをした。
「うん。あなたとなら――」