温もりを抱いて

F-22を駆るメビウス1の背後に迫る戦闘機。レーダー上の表示は、Su-37。
「メビウス1、後方に敵機!」
スカイアイは鋭く注意をうながした。言われずとも彼もレーダーでとらえているだろう。すぐさま右に旋回。回避行動をとる機体。
敵は粘り強くメビウス1の背後に張りついた。彼なら振り切れるはず。数々の戦場を共に切り開いてきたメビウス1の強さを信じている――そのはずだった。
メビウス1の無線から響く、くぐもったミサイルアラート。彼の荒い息づかい。言葉はない。話す余裕すらないのだ。それが伝わってスカイアイの呼吸もつられて浅くなった。手のひらが汗でじっとりと濡れる。
迫るミサイルを急旋回して回避したメビウス1の機体は失速してコントロールを失い、急速に高度を下げていった。
「メビウス1、どうした!?」
急旋回で気を失ったのか。レーダーからの情報だけでは彼に何が起こったのかまでは読み取れない。無線のマイクに向かって呼びかけたが応答はない。墜ちてゆくメビウス1をスカイアイは見ていることしかできない。
過去、何度もそうして味方の死を見てきた。その度に苦い思いを呑み込まなければならなかった。けれどもメビウス1だけは違うと思っていた。今の今までスカイアイは愚かにも信じていたのだ。そんな保証などどこにもないというのに。
「メビウス1、機首を上げろ!」
機体の高度は一秒ごとに下がっていく。海面に、激突する。
ああ、もう、間に合わない――。
スカイアイは現実を拒むように固く目を閉じた。

ビクと体が痙攣した。心臓が早鐘を打っている。全身に力が入り、筋肉がガチガチに固まっていた。目を開く。
陸に打ち上げられた魚のように短く息をしている自分に気づき、意識して深く息を吸った。吐くと同時に体から力を抜く。
(夢……か)
夢でよかったと心の底から思った。
壁の時計を見れば、まだ四時。ベッドに入ったのが一時過ぎだったから、三時間ほどしか眠れていない。
再び眠る気にもなれなくて、汗でベタつく体を起こした。デスクに出しっぱなしだったペットボトルの水をあおる。喉を落ちる生ぬるい冷たさ。これが現実だ。さっきの夢はよくできた幻。己の心の不安を反映した代物。そう言い聞かせなければならないほど、さっきの無線ごしの彼の息づかいが耳に残って離れなかった。
最近こんな夢ばかり見ていた。メビウス1が死ぬ――いや、正確には死にそうになる夢だ。死ぬ前には必ず目が覚める。それはたとえ夢であっても彼が死ぬところなど見たくないという深層心理の現れのようにも思えた。己の執着心に乾いた笑いが込み上げる。
それほど彼を失うのがこわいのか。
メビウス1と出会って、もうすぐ一年。思い返せば濃密な時だった。
静かな暗闇に時計の針の音が、嫌にはっきり聞こえる。
夜はまだまだ長い。メビウス1も早く夜が明けろと祈るような気持ちで夜を過ごしていたのだろうか。
スカイアイはソファにぐったりと沈みこむように座り、背もたれに頭を預けて目を閉じた。

「あ、スカイアイ」
「……やあ、メビウス1」
廊下で偶然メビウス1と鉢合わせた。正直、今日はあまり会いたくなかった。寝不足で体調も悪く、精彩を欠いているのを自覚していたからだ。好きな相手に情けないところを見せたくないという、ただの見栄だったが。
曖昧な笑みを浮かべたスカイアイを、メビウス1はじっと上目遣いで見てきた。その強い視線にたじろぐ。
「どうか、したか?」
「ん……なんか顔色悪くない?」
スカイアイの気持ちには疎いくせに、こんなときは妙に鋭い彼がうらめしい。
「そうかな」
「うん。体調よくないの?」
その顔に「心配」と書いて見上げてくるメビウス1を、邪険にはできなかった。
「ちょっと寝不足続きでね……。夢見が悪くて」
「そうなんだ。なんだか、ちょっと前の俺と逆になっちゃったね」
メビウス1の言う“ちょっと前”とは、彼がやはり悪夢にさいなまれ、長い間不眠に悩まされていたことを言っている。たびたびスカイアイの部屋を深夜に訪ねてきていた。
「そういえば君は最近、俺の部屋に来ないな。よく眠れているのか?」
「うん。不思議なんだけど、最近は眠れるようになったよ」
「そうか……。よかったな」
口ではそう言いながら本当は少し寂しい。彼が部屋に来てくれるのを心待ちにしていたのはスカイアイの方だったから。そんな不純な動機を天に見透かされでもしたか、今度はスカイアイが悪夢に悩まされるようになるとは。
(いや、天は関係ないだろうな。単に俺の精神が弱いだけだ)
逆にメビウス1は追い詰められた土壇場でこそ強さを発揮するタイプだった。もうすぐ最後の決戦という時になって、彼は胆がすわったのだ。だから眠れるようになったのだろう。
「でも、君が部屋を訪ねてくれなくなったのは残念だよ。用がなくても構わないから、たまには遊びに来てくれ」
「ほんとう?」
「ああ、もちろん」
嘘偽りのない気持ちだった。二人で過ごした時間はスカイアイにとってかけがえのないものだったのだから。
メビウス1のあまり変わらない表情筋が少しゆるんだ。頬がうっすらピンクに染まってかわいらしい。
「えっと、じゃあ、今夜……」
もじもじしながら言うものだから、なにかイケナイ約束でもしているような気分になった。心拍数が跳ね上がる。
「あ、ああ。今夜でも構わないよ」
スカイアイの言葉に、メビウス1は今度こそはっきりと喜色を浮かべ「じゃ、また後で」と手を振って去っていった。
滅多に見られないメビウス1の笑顔を見ることができて、スカイアイは寝不足の目や頭が癒やされるのを感じた。

その夜、宣言どおりメビウス1はスカイアイの部屋を訪ねて来た。以前のように深夜ではなく、まだ消灯が過ぎてすぐの頃合いだった。
二人きりでゆっくり会うのは久しぶりだったため、互いに話したいことが尽きなかった。和やかな空気にリラックスし、つい、あくびが漏れてしまった。
「眠い……?」
「いや、大丈夫だ」
せっかく彼と二人で過ごせる時間だ。眠いなどとは言っていられない。メビウス1は控えめで優しい性格だから、眠いのかと思われれば自室に帰ってしまうかもしれない。即座に否定したのだがメビウス1は何やら考え込んでいる。
「……スカイアイ。俺に何かできること、ない?」
「うん?」
意外な提案に目をしばたいた。
「俺は、これまでスカイアイにたくさん迷惑をかけてきた。だからあなたが困っているなら、俺も何か力になれないかなって……」
スカイアイを見つめるメビウス1の瞳は真剣そのもので、彼が今夜わざわざ訪ねてきた理由を理解した。スカイアイが寝不足だと知って、何かできないかと考えたのだろう。そのいじらしさにスカイアイの胸の中は、ぽっと火がともったようだった。
「メビウス1……」
「な、なんでも、するから」
スカイアイはそのセリフに内心、もだえた。
(なんでもする、なんて気安く言うんじゃない!)
うなって頭を抱える。
そんなスカイアイの様子にメビウス1は断られると誤解して、しゅんとあからさまに肩を落とした。スカイアイはメビウス1を悲しませたくない一心で、とっさに言葉をひねり出していた。
「それじゃあ君にひとつ頼もうかな」
「うん……!」
ぱっと明るくなる顔を見て、後に引けなくなった。取り繕うこともできず、紛れもなく本心からの望みをスカイアイは告げてしまった。

兵舎に備えつけられたシングルベッドにメビウス1が背を向けて恐る恐る横たわる。その隣に体を滑りこませた。ベッドが情けない悲鳴をあげる。男二人で寝るにはやはり狭いようだ。密着しなければベッドから落ちてしまうため、メビウス1の体を後ろから包むように抱きしめた。触れた瞬間、ピクリと大袈裟なくらい彼の体が震えた。その硬さに彼の緊張が伝わってくる。急にこんなことを頼んですまないと心の中でわびた。
スカイアイの頼みを聞いて、メビウス1は驚き戸惑っていた。しかしなんでもすると言った手前、断ることもできないようだった。
スカイアイの頼みとは、つまりこれ。添い寝だ。
抱きしめたメビウス1から、ほのかに湿ったシャンプーの香りがした。自分以外の体温。腕に感じる質量。たまらなくなって、ひとまわり小さな体をきつく胸に抱いた。ぴったりと密着する肢体。
彼は今、ここにいる。この腕の中に。
メビウス1を愛しく思えば思うほど、彼を失うことに怯え、悪夢を見てしまう。だったら単純ではあるが彼の存在を強く感じて眠れば夢は見ないのではないかと考えた。
問題があるとすれば好きな人をこの腕に抱きしめて、なにもせずに眠れるのかという一点だ。スカイアイは自分の理性に全幅の信頼をおいているわけではなかった。普通なら興奮してとても眠れそうにない状況だったが、寝不足の体は急速に眠気に支配され、スカイアイは安堵した。彼を襲うオオカミにならずにすんだと……。
「メビウス1、すまない。少しだけ……我慢、してくれ……」
自分が眠れば、いつでもベッドから抜け出して構わないと言ってある。
メビウス1の返事が聞こえたような気もするが、スカイアイの意識はあっという間に闇に滑り落ちていった。

規則的な寝息が聞こえてきたのはすぐだった。
メビウス1は緊張で固まった体から、ようやく力を抜いた。スカイアイの吐息がさっきから耳の裏辺りにかかってくすぐったい。こんなに近くにスカイアイを感じたのは初めてで、ずっと心臓がドキドキしていた。
力になりたいと言ったのは嘘ではないが、まさかこんな展開になるとは思いもよらなかった。
スカイアイは自分が寝たら自室に帰っていいと言ってくれたが、彼の腕が離さないとでもいうようにガッチリ体に絡みついていて、とても抜け出せそうになかった。それに下手に抜け出して、せっかく寝た彼を起こしてしまっても可哀想だ。
メビウス1は抜け出すのを早々に諦めた。
だってスカイアイの体温が気持ちいい。
この時が永遠に続いてくれたらいいのに。
眠ってしまえば、あっという間に時は過ぎる。二人を引き裂く朝が訪れる。
ほかほかしたぬくもりの中、眠ってしまわないように意識を保とうとした。それはとても難しいことだったけれど、たとえ悪あがきでも、少しでもこの幸せに浸っていたかった。
明日、スカイアイが目覚めたらどんな顔をするだろう?
そのときを想像し、メビウス1はスカイアイの腕の中で密やかに笑った。