恋文

一日の仕事を終えた充足を体に感じながら、自室に向かう。今日は満足のいく仕事が出来た。西日に目を細めながら、その原因となった男を思う。
メビウス1がこの基地に帰ってきた。俺の元へ。
この一年、彼がどこで何をしているのか考えない日はなかった。
戦場では恐ろしく頼りになる彼だが、地上に降りると、何もないところでつまずく有り様で。人や壁に激突し、階段を踏み外す。それだけならまだ怪我ですむ。ぼーっとして誰かに騙されたり、財布を盗まれたり、テロに巻き込まれたりしていないかと、心配はつきなかった。俺は悪夢にうなされ、常に寝不足で、仕事にも精彩を欠いていた。
それが昨日はどうだ。彼が腕の中にいる喜びを噛みしめ、ずっと眠らず起きていようと思っていたのに、気がつけば朝だった。アラームを設定せずに寝てしまったが、体がおぼえていたか、目覚めるべき時間にスッキリと眼が覚めた。彼がすやすやと気持ち良さそうに眠る姿を、仕事がなければずっと見ていたかった。
そういうわけで、今日の俺は絶好調だ。
彼はもう自室に帰っただろうか。ゆうべ彼が寝てから話をしていないから、夕食にでも誘いに行こうかと考えながら、自分の部屋の扉を開いた。
「あ、お疲れさま。スカイアイ」
彼がいた。
ソファーに座って、少し眠そうな顔でこちらを見ている。まさかまだ彼がいると思わず、しばらく扉を開けたまま固まった。
「部屋に戻らなかったのか?」
「戻ったよ。荷物を整理しないといけなかったし。仕事は非番だけど、復隊に際して色んな事務処理があって、それなりに忙しかった。……でも、あの、朝起きたら、あなたがいなくて……一言くらい挨拶したかったから」
顔を赤らめてうつむきがちに言う彼に胸が熱くなり、素早く扉を閉めて彼に歩みより、抱きしめた。
とまどいながらも俺の背に腕を回す彼がいとおしい。肩や背中を撫でると震えて反応を返してくる。体の温かさを堪能し、唇をふさいだ。
「ん……ぅ……」
つい夢中になって口の中を味わってしまう。我にかえり顔を離す。吐息が甘い。赤く濡れた唇。間近で見るススキのような睫毛。しっとりと潤んだ瞳が俺を捕らえて、背筋にゾクリとするものが走った。このまま押し倒したい……しかし、再会していきなり体ばかり求めるのもどうなのか。この一年――いや、彼と出会ってからなら約二年、我慢してきた弊害かもしれない。
彼は恋愛に疎くて、俺に対して好意を抱いていながら、それを自覚してはいなかった。だから俺は、彼が気持ちを自覚するまで待った。
本当は彼が退役するとき、俺との関係を考えなおす猶予を与えたつもりでいた。戦場で命を共にする相手に好意を抱くことは、戦場ではよくある錯覚だ。戦場から、そして俺からも距離をおいたら気が変わるかもしれない。やはり男同士は嫌だと、冷静になるかもしれない。それでも尚、俺が好きだと自覚して戻ってくるならもう二度と離しはしない。そう思って彼を手放した。
「スカイアイ……」
メビウス1がみずから望んで手を伸ばしてくる。期待をにじませた瞳がある。それこそ俺が望んで、求めていた答えだ。
ためらいは消え、首筋に顔を埋め薄い皮膚を吸い、腹筋の溝を指でたどる。
彼の服をたくしあげるとカサリと乾いた音がした。視線をやると、小さな紙が落ちていた。
「ん?これは……」
「あ……!」
気づいたメビウス1が素早く紙をつかんで両手で握りしめる。一瞬、文面が見えた。
「俺が今朝、書き残したメモだろ。なんで捨ててないんだ?」
「だって…………。捨てるなんてできないよ……」
恥ずかしがりながら、この上なく大切なもののようにメモを胸に握りしめる彼の姿は衝撃だった。
“愛している”と綴ったからか?
たったそれだけのことで?
俺はもしかして、思い違いをしていたのか。
メビウス1は俺のことを――“相当”、好きなのか?
俺の方が彼を好きでたまらなくて、求めているのだと思っていた。彼は恋愛に関してうぶで、好きだと自覚したのも俺の方が早かったはず。離れていた期間に、彼の中で何か変化があったのか。それとも、間抜けな俺が気づかなかっただけなのか。
急に脈が早くなり、喜びが込み上げてくるのを感じた。紅潮した顔を片手で覆う。
「……スカイアイ?」
髪を短く切り、あどけなさが増したメビウス1が不思議そうに俺を見上げた。メモを宝物のように握って。
俺はメモを睨んだ。物じゃなくて、目の前にいる俺こそを大切にしてほしい。だがメモを取り上げるのは、さすがに大人げない。
そのメモが君の心をとらえたのなら、毎日恋文を書いて贈ろうかと、冗談めかして言ってみた。
彼の返答はノー。
「これだけで、いい」と幸せそうに微笑む。
俺は愛しさと共に、自分の書いたメモに敗北感を覚えるという奇妙な体験をしたのだった。