死神は深淵をのぞきみる

「おい、押すなよ!」
「後ろがつかえてんだよ。さっさと歩け!」
「んなこといっても、こう真っ暗じゃ……」
薄暗い廊下を懐中電灯を持った男たちが固まって進む。
ここは山奥にポツンとある廃墟。
今では誰も訪れない洋風の館は、繁った木々に覆われ、ヴァンパイアでも住んでいそうな雰囲気だ。昔はさぞ立派な構えだったのだろう。門は草木に埋もれ倒れかかり、その役目を果たせずに男たちの侵入を許した。
メビウス1は仲間たちの最後尾を歩いていた。

「肝試ししようぜ!」
元はといえば、ヘイロー2のセリフから始まった。ヘイロー2はお祭り好きで、なにかと企画しては仲間たちを巻きこんでいる。今回は、夏といえば肝試しがしたいと言いだして、巻きこまれた仲間たちと「出る」と噂の廃墟に来ていた。
仲間たちの学生のようなノリがうらやましい。メビウス1は彼らのように騒げない自分を否定的にみていた。
小さい頃から友達を作るのが下手だったメビウス1は、みんなで騒いだり遊んだりした経験が少ない。ヘイロー2はノリの悪いメビウス1を、どういうわけかいつも誘ってくれる。それが嬉しくて、ついていってしまう。
たいして興味がないくせに遊びに参加するメビウス1を、スカイアイは不思議に思っているようだったが、いつもなんだかんだで付き合ってくれていた。しかし、今回の“肝試し”はスカイアイにとって苦手な分野らしく、車を停めた所で待つと言って譲らなかった。

洋風の館は元はホテルだったらしい。玄関を入るとロビーがあり、絨毯の敷かれた階段が二階へと続いている。上った先は長い廊下で、扉が両側に並んでいた。風化した扉が外れ、外の光が廊下をぼんやりと照らす。
「今、なにか聞こえなかったか……?」
突然、ヘイロー2が足を止めた。彼に習い、全員が耳をすました。
カタカタと小さな音が、確かにする。
どうせ風の音だろうと誰かが言った。音のする部屋をのぞいてみる。
洋館の一室。大きなベッドが目に入る。割れてガラスのない大きな窓。元は美しかったのだろう、カーテンが途中で引きちぎられたかのようにぶら下がっていた。
ひときわ異質で目を引いたのはベッドサイドだ。テーブルの上に、レースをふんだんに使った豪奢なドレスを着た、金髪の人形が座っていた。この廃墟にあって、不思議なほど綺麗で状態がよいように思われた。
その人形にみんなの視線がくぎ付けになる。ごくりと誰かの喉が鳴った。
すると、ひとりでに人形の首がカタカタと揺れだした。
「ヒィ……!!」
仲間のひきつる悲鳴。一人がジリジリと後ずさると、みんなもつられて下がる。最後尾にいたメビウス1は、いつの間にか最前列へ。後ろを振り返ると、自分の決して大きくはない背に隠れる男たち。みんなが「なんとかしろ」と言いたげにこちらを見ている。
ひとつ息を吐いて、メビウス1はその人形に近づく。首の揺れは止まっていて、近くでみても特に不審な点はない。手を出して人形を持ち上げてみた。
「お、おいっ、メビウス……ッ」
ヘイロー2が焦った声を上げた。
人形から、頭がコロリと取れて――転げ落ちた。
空気が凍る、とはこういうことをいうのだろう。
一人が悲鳴をあげると、仲間たちは連鎖してパニックにおちいった。次々に叫びながら来た道を転げるように(実際に転んだやつもいた)逃げていった。
だんだん遠ざかる仲間たちの悲鳴。
メビウス1は気がつけば一人、暗闇の中に取り残されていた。
――そういえば、懐中電灯を持っていない。
真っ暗な中、パチパチと数回まばたきをすると、徐々に暗闇に目がなれてくる。窓に近い場所は月あかりでかろうじて見える。
下を見るとさっき転がった人形の頭が、メビウス1をうらめしそうに見上げていた。それを拾い上げる。よく見ると、首の下の方に細い木の棒が出ていて、体に差しこめるようになっていた。
なるほど、これが取れかかっていただけだったんだなと、さっきの現象を一人で納得する。きっと風か何かで揺れただけだ。
自分が他人と違うと感じるのはこういう時だ。わざわざ廃墟まで怖がりに来ているのだから、仲間たちのあの反応が、正しい楽しみかたなのだろう。それができない自分は、置いていかれて当然なのだ。
少し落ちこんだ気持ちで、人形の首を体に差しこみ、元の場所に戻した。
「……ごめんね」
誰に向けたものかわからない呟きを落として、みんなの元へ戻ろうと踵を返した。
明かりが何もないと廊下は真っ暗で危険だ。壁に手をつき、足元の障害物を確認しながらゆっくりと進む。
かすかに、誰かに呼ばれた気がして振り返る。
背後はシンとして風ひとつなく、月明かりでぼんやりと廊下の輪郭がわかる。わずかな光は闇をよりいっそう深くした。深淵に呑み込まれそうで、熱帯夜にもかかわらずメビウス1は寒気を感じた。
こんな場所で誰に呼ばれるというのか。
足を早める。
闇は、己の本性を暴き出すようで苦手だ。
自分がいる場所は――本来ふさわしい場所は、この真っ暗な闇の中なんじゃないかという馬鹿げた妄想が、このところ頭から離れなかった。
人を大量に殺してきた自分が今さら何を恐れるのか。この世に成仏できない恨みをもった魂が本当にいたとしたら、自分など、とっくに彼らに呪い殺されているだろう。けれども自分は生きている。それはすなわち幽霊などいないという証明なのではないのか。なのに闇が呼んでいる気がするのはなぜだろう。早くお前もこの暗く冷たい深淵にやって来いと、たくさんの手が伸びてきてメビウス1を引きずり込もうとしている。
目を閉じても、やはりそこは暗闇で、自分が目を開けているのか閉じているのかもわからない。
目眩がした。足元の床がなくなったような感覚。
じっとりと嫌な汗が額を流れた。
そのとき、目蓋の裏に光が――青い光が浮かんだ。
空の色だ。
美しく、澄んでいて、すがすがしい。
温かい、あの人の瞳の色だった。
いくらか気分がよくなり、その色に導かれるようにしてしばらく歩く。
再び遠くで誰かが自分を呼んでいる声がする。
「メ……ス……!」
スカイアイの声だ。メビウス1は思わず叫んでいた。
「ここだよ!」
声が廊下に反響した。
しばらくして、キラリと前方が光る。
「メビウス1、無事か?」
懐中電灯の強い光が網膜を焼いた。
「スカイアイ?」
「よかった……怪我はないか」
「うん」
スカイアイが懐中電灯で足元を照らしてくれる。崩れた壁や、割れた床がはっきり見えた。
スカイアイがあまりにも自然に手を差し出すので、その手につかまって淑女のように階段を降りた。温かい手だった。
手を繋いでから数秒、出口まで到達する。
「……スカイアイだけ?」
「ああ、みんな、怖がって来たがらなくてな。まったく、仕様がないやつらだ」
スカイアイにしては珍しく、吐き捨てるように言う。メビウス1を一人、廃墟に置き去りにした仲間たちに腹を立てているようだった。
「迎えに来てくれてありがとう。スカイアイってこういうの、苦手じゃなかった?」
「苦手さ。早く帰りたい」
肩をすくめておどけてみせるから、本気か冗談かわからない。でも、たぶん、本当に苦手なのだ。メビウス1に余計な気づかいをさせないためなのだろうと思われた。スカイアイはいつも、そういう気づかいをさりげなくやってのける男だった。
「君は怖くないのかい?みんな、あんなに怖がっていたのに」
「うん……平気だよ」
「強いんだな」
スカイアイは感心したように言うが、自分が強いとは思わない。昔は人並みに幽霊を怖がっていた。両親を亡くしてから、幽霊やお化けでもいい、出てきてほしい。会いたいと願うようになった。以降、死者は怖いものではなくなったのだ。
それに、今では死者よりも、もっと恐ろしいものがある。
気を抜くと命を奪おうとやってくる――自分自身の罪の意識というやつが。
「メビウス1?」
スカイアイがいぶかしげに見下ろしていた。その瞳が、暗闇の中でもひときわ美しく輝いている。
スカイアイは優しいから、話せば何でも受け止めてくれる。けれども、これは自分が背負っていかねばならない業だろう。でなければ、自分に殺された者たちが浮かばれないじゃないか。
「ふふ。……スカイアイ、幽霊が怖いなんて言ったら“死神”の名がすたるでしょ?」
スカイアイはメビウス1の軽口に一瞬意外そうな顔をしたものの、口に出したのは「それもそうだ」という、ごく平凡な相槌だけだった。