ケチャップとマスタード

ふっくらしたパンに、焼き色のついた香ばしいソーセージを手早くはさむ。
赤のチューブを取り、ソーセージの上にジグザグに走らせる。店内を流れるBGMに合わせてマスタードも後を追う。お店の名前がプリントされた紙で、さっとパンを包むと、当店自慢のホットドッグの出来上がり。
カウンター越しに、待つお客さんに手渡す。
「お待たせいたしました!」
今日は忙しい。お客さんが途切れることなく訪れた。もう十月だというのに春のような、この陽気のせいだろう。
大きな市立公園の前に、うちのホットドッグ屋はある。だから、散歩する人や、ジョギングして小腹が空いた人なんかがよく来るのだ。
どちらかというと暇な方が嫌いだから、忙しいのは苦じゃない。それに、もしかしたら今日はあの人が来るかもしれない。ここ最近、あの人の訪れが、私の密やかな楽しみだった。
――チリソースの人。と、私は心の中で呼んでいた。

たまにこの店にやって来てホットドッグを買っていく三十歳くらいの男性。すらっと背が高く、いつもきちんとシワのないシャツを着て、またそれがよく似合っていた。青い目の、落ち着いた雰囲気の人だった。
私の恋愛対象としては多分、かなり歳がはなれている。それでも、かっこよくて素敵な人にはときめいてしまうのだ。
うちの味を気に入ってくれたのか、二、三日に一度は来てくれ、すっかり顔を覚えてしまった。何度も私と顔を合わせるので、軽い挨拶や会話もするようになった。「今日はいい天気だね」とか「寒いから、カゼひかないように」などと、当たり障りのない世間話を向こうからふってくれるのだ。
その人はいつも、ホットドッグにチリソースのトッピングを頼んだ。辛いのが好きなのかもしれない。そして、定番のケチャップソースの、辛くないホットドッグも頼んでテイクアウトするのだった。辛いものが苦手な誰かに、お土産に買って帰るのだろうか。
(やっぱり、奥さんか、彼女かな……。そりゃ素敵な人だし、お相手もいるよね)
想像する度にガッカリしたが、仕方がない。都合よく素敵な出会いなんて、そうそう落ちていない。
ため息を吐いて気持ちを切り替え、視線を上げると、向かいの公園から背の高い男性が歩いてきた。白いパリッとしたシャツが目にまぶしい。
「こんにちは」
「あっ、い、いらっしゃいませ!」
声がうわずってしまった。ついさっきまで考えていた人が目の前に現れたのだ。自分の頭の中がバレやしないかとヒヤヒヤした。
「やあ、今日はとてもいい天気だね。暑いくらいだ。お客さんも多いんじゃないかな?」
「ええ、おかげさまで。今日は何になさいます?」
「いつもので。あと……、君は何にする?」
そう言って男は後ろを振り返った。はじめは変な独り言だなと、いぶかしんだ。しかし、よく見ると長身の影に隠れて、誰かいる。
チリソースの人が半歩ほど体を横にずらし、後ろにいた人物を前に来るよう促した。おずおずと出てきたのは、男より頭ひとつ分は背の低い、若い男の子だった。
短い髪は日の光を受けて白くふわふわしている。ガラス玉のような瞳はうつ向きがちで、何を考えているのかいまいち分からない。体つきは細く、長身のチリソースの人の体にすっぽり隠れるほどだ。服はカジュアルにパーカーとジーンズ、スニーカーだった。
私と同じ年頃だと思うが、背丈も私と同じくらいしかないし、なんと言うか全体的に可愛らしい。思わずまじまじと観察してしまい、客にかけるべき言葉を忘れていた。
「あっ、な、何になさいますか?」
「……えっと……」
彼はメニュー表を眺めて少し首をかしげ、隣の男を見上げた。
「いつも食べてるのって、これ、だよね」
メニュー表を指差す。声のボリュームを隣の男に聞こえる範囲に落としてしゃべっている。目の前にいる私には、かろうじて聞こえる小ささだった。チリソースの人は彼の肩に手を回して長身を屈めて耳を寄せた。二人の距離が妙に近くて、私の方がドキッとした。
「うん、そうだね。それにするかい?でも、せっかくだから、他の味も試してみたら?」
チリソースの人も、彼の声に合わせて音量が控えめになっている。もしかしたらこれが彼らの、いつも会話する時の声量なのかもしれない。
「ん……じゃあ……チーズ、で」
彼がぽそりと呟いた。完全に彼らの蚊帳の外だった私は、ぼうっと彼らを見つめてしまっていて、目を合わさずに言われたそれが、注文だとわからなかった。変な間が空いて、はっと気づいた私は慌てて復唱した。
「あ……っ、チーズですね!かしこまりました!」
追加でドリンクの注文を受けて、パンをケースから取り出す。ホットドッグの材料はすでに出来上がっていて、それぞれをケースに保温してある。あとはそれらを手早く挟んで、ソースとトッピングをのせるだけだ。
「お待たせいたしました!」
ホットドッグふたつとドリンクを受け取った彼らは、公園のベンチに並んで座り、食べ始めた。遠いので、何を話しているのかは全く分からない。
しばらく二人を眺めた。
私はさっきのやり取りから、なんとなく気づいてしまった。きっと、あの背の低い男の子なんだ。チリソースの人が、ホットドッグをテイクアウトして買っていく相手は。
……奥さんではなかった。
それがよかったのか悪かったのかは分からない。
不思議な二人だった。背の高さの違いもあるが、妙にアンバランスだった。服の趣味も性格も共通点がない。二人はどういう関係なのだろう。テイクアウトするということは、一緒に住んでいる可能性が高い。けれども、親子には見えない。兄弟か、親戚か。可能性はあるが、どうもしっくりこない。二人の距離感があまりにも近いのだ。そして、二人しか入りこめないような空気感がある。
新たなお客さんの注文をさばいているうちに、彼らのことを考える余裕がなくなり、ただ目の前の手の動きに集中した。並んでいた客が途絶えて、ふぅ、と充足に満ちた息を吐いて顔を上げた。
例の二人がこちらへ歩いてくる。
食べ終わった後の紙やコップを、店のそばに設置してあるゴミ箱へ捨てに来ていた。
私が見ているのに気づいたチリソースの人は、優しい笑みを返してくれた。
「ごちそうさま。今日も美味しかったよ。彼も、満足したみたいだし、連れてきてよかった」
“彼も”と言ったとき、長身の影に半分隠れていた男の子を振り返り、背を押して前にやった。男の子は少し恥ずかしそうにしながら、「美味しかったです。また来ます……」と小さな声で言って、ほんのり笑みらしきものを浮かべた。
私は、野良猫が初めて触らせてくれた時と同じ感動を覚え、嬉しくなった。
「ありがとうございます!お待ちしています」
二人は仲睦まじく去っていったが、私は一日中、喜びが体の中を満たして浮き立っていた。なんと現金なものかと我ながら呆れる。でも、このホットドッグ屋で働いていて一番嬉しいのは、お客さんからの「美味しかった」の一言なのだ。
彼らの関係はもしかして――と、つい下世話な想像が頭を掠めたけれど、それは些末なことだった。
きっと遠からず、あの二人はやってくるだろう。
ホットドッグを彩る、ケチャップとマスタード。
日々の楽しみが、またひとつ、増えていた。