はじまり

いつから彼を愛し始めたのだろう。
はじまりはひどく曖昧で、けれども気がつけば戻れない深みにはまっていた。

初めてのミッションで彼の飛び方に興味を持った私は、実際に彼本人に会いに行った。彼は若く、パイロットというより、学生と言われた方がしっくりくる容貌だった。体躯は小柄で細く、少し頼りない印象を受けた。
彼は無口で、こちらから話を振らなければ何一つ口を開かない。会話は基本「はい」か「いいえ」で答えられる質問でしか成り立たない。そんな調子だった。
それでも問えば答えは返ってくる。私が上官にあたるが故に、答えなければならないと思わせているのかもしれなかった。
そして聞き出した彼の個人情報。

彼はノースポイントという島国で産まれた。両親はユリシーズの災厄で亡くし天涯孤独となった彼は、失うものもなかった為、軍に志願した。
ノースポイントの人間は髪や瞳が黒い事が多いが、彼は髪も瞳も色彩が薄かった。何故かと問うと、ハーフだからということだった。
幼い頃は人と違う容姿に、いじめられたこともあったらしい。
それでいまだに自身を好きになれないとも。
それでなのだろうか、地上での彼はいつもどこか自信なさげで、他人とは一線を置いて付き合っているようだった。
そんな話を聞き出した頃には、私はこの部隊において彼と一番親しいと言える間柄になっていた。
はじめは遠巻きにしていた部隊の面々も、私が彼と話している様子を見て、徐々に彼に話しかける者も増えてきた。
元々多国籍軍で、様々な人種が集まる部隊である。彼の容姿を気にする者はいなかったし、物静かな彼の性質も、個性として受け入れられていた。

彼が部隊で孤立していたのは、僚機がいないせいもある。
彼と共に飛べる技量を持つものがいないのだ。
はじめての任務でエースと呼ばれた彼は、その後の任務でも素晴らしい戦果を残し、次第に司令部も彼の技量ありきで作戦を考えるようになった。
だから彼の管制官である私の仕事は、より重要なものとなった。
私は彼の飛び方を研究し、戦い方や飛び方の癖を知り、そして隙があればそれを補うにはどうすれば良いか、自分に出来ることを考えた。

はじめて彼の管制をしたときから感じていた事だが、彼の飛び方は美しかった。
天才という言葉は、正しく彼のような人のことを言うのだろう。
空から与えられた才能。
彼が何を思って飛んでいるのかを知りたかった。

彼は空戦に関しては天才的だったが、まだ若い雛鳥である。精神面は新人パイロットとそう対してかわらなかった。
戦いで殺すこと、殺されること、または仲間が死ぬこと、任務を背負うこと。様々なことがストレスとなっているようだった。
彼はそういった事は、顔にいっさい表さないから、私の推測でしかない。
彼は慢性的な不眠症をわずらい、睡眠不足に陥っていた。昼間はいつも眠そうにしていたし、隙があれば居眠りをしていたから知っている。
度々私の部屋を訪ねてコーヒーを淹れてくれとねだることもあった。カフェインを摂取すれば普通は眠れなくなるはずだが、彼はよく私の部屋のソファで仮眠をしていった。
いつものようにソファで仮眠する彼に、ベッドで寝るように勧めたのは私だ。彼の体調を心配してのこと。私が不在の時でも、いつでもこの部屋で寝ていいとの許可も与えた。

私の中にはすでに、仕事をこなすため、という言い訳も効かないほど、彼に対する興味と執着が芽生えていた。
恋愛初心者でもない私は、自分の中のこの感情がなんなのか、正確に理解していた。
これまで男を好きになったことはなかったが、彼を好きになったことは、自分にはとても自然なことのように思えたのだ。

彼はとても魅力的である。
彼が無口で排他的な雰囲気をまとっていたのははじめだけで、コンプレックスだった容姿も受け入れられているとわかると、次第に周囲にも打ち解けて自然体でいられるようになった。
素の彼は穏やかで優しく、決して自身の才能をひけらかすこともなく、謙虚で素直だった。
そして頼りなげな外見はどこか庇護欲をそそり、皆何くれとなく世話をやいてしまうのだった。

彼がストーンヘンジを破壊し、黄色中隊も退ける程の実力を内外に示した頃から、彼を尊敬し、英雄視する者も味方には増えてきた。
内実を知ったわけではないその視線に、彼は疲弊した。
空に上がれば何もかも忘れられる、と彼はよく口にした。死ぬことは怖くないのだと、出来るなら空で死にたいと。
私はそう言って落ちていったパイロットを山ほど見てきた。
空で果てることが彼を真に自由にするのかもしれないと理解しながら、私にとってそれだけは許すことは出来なかった。
だが私にできることは、文字通り彼を「見守る」ことだけ。
そして側にいることだけだ。
それがどれ程彼の力になったのだろうか。私にはわからない。

私は自分の気持ちを彼に告げる気はなかった。様々なことで追い詰められている彼を、更に私事で悩ませたくはなかったからだ。
だが押さえていても、気持ちはあふれでるものらしい。何人かの仲間には気づかれていたようだ。
別に構わない。やましいことは何もない。
ただ愛したいだけだ。
彼にも私の気持ちは伝わっていたかも知れない。おそらく伝わっていただろう。
何故なら、彼からも私と同じ気持ちを感じることがあったからだ。
私の思い違いでなければ。

この戦争が終われば、彼にこの気持ちを言葉にして伝える時が来るだろう。
彼ならばこの戦争を終わらせることができる。
その時、二人の間には、どんな空が広がっているのだろう。

なあ、メビウス1?