そして、おやすみ

スカイアイがシャワーを浴びてバスルームから出ると、メビウス1がパジャマ姿のままソファーで丸くなっていた。手にドライヤーを持ったまま、髪を乾かしている間に寝落ちしてしまったらしい。
「メビウス1、こんなところで寝たら風邪をひくぞ」
声をかけてみたが、すやすやと気持ち良さそうな寝息が聞こえるのみ。
スカイアイの自宅でメビウス1と一ヶ月の休暇を過ごし始めて二週間。最近の心配事といえば、メビウス1の“これ”だった。いつでも、どこででも寝てしまうクセだ。ソファーや床の上ならまだしも、庭の芝生に倒れこんでいたのにはさすがに驚いて起こしてしまった。バスルームで寝てしまうことも多々あり、浴槽で溺れていないかチェックする毎日だ。
眠るのは別にかまわなかった。リラックスした素の顔を見せてくれるのは嬉しい。体が冷えて風邪をひかないかという一点が心配なだけだ。
肩を抱き起こし、膝裏に腕を差し入れて持ち上げる。小柄で、成人男性にしては軽い。
メビウス1は何やらもごもごと声を出したが、何を言っているのかはわからない。おそらく彼の国の言葉だ。寝言は母国語なのだなと、新たな発見が嬉しいが、彼の寝言を理解できないことに少しの寂しさを覚えた。
抱き上げても全く起きる様子のないメビウス1に、まるで幼子のようだと半ばあきれながらベッドに下ろす。すでに夢の中を漂うメビウス1の額に、キスを贈る。悪夢が寄りつかないように。
「おやすみ、よい夢を──」

翌朝、スカイアイは重苦しさを感じて目を覚ました。体が何かに拘束されている。身動きができない状況を不思議に思い、体に意識を向けた。
胸に腕が巻き付いている。
隣で眠っているメビウス1だ。ぴったりと体を寄せ、大木にしがみつくコアラのように腕と足でスカイアイにしがみついていた。一緒に暮らしはじめてからメビウス1と同じベッドで眠っていたが、彼は基本的に寝相がよく、こんな状態は初めてだった。
抱きつかれて身動きのできない体はそのままに、首だけ横へ向けてメビウス1の顔を見た。カーテンの隙間から漏れる光がメビウス1の寝顔を浮かび上がらせる。色素の薄い髪が、日の光でキラキラと輝きを増していた。同じ色をした長いまつ毛。控えめな鼻梁。よく見ると薄いそばかすがある。何の悩みもありませんと言いたげな、あどけなくぽっかりと開いた唇が愛らしかった。
規則正しい寝息。彼の眠りはいまだ深い。
眠るメビウス1を見ると思い出すのは、顔色も悪く、目の下に隈をこしらえた姿。静かな夜。控えめなノックの音を心から待っていた、あの頃──。遠慮せずに来ればよいのに、彼はいつもギリギリまで我慢してスカイアイの部屋にやって来た。

戦時中のメビウス1は不眠症を患い、スカイアイの部屋に入り浸っていた。最初の頃は眠れるまで他愛ない会話に付き合うだけだったが、次第に仮眠をしていくようになり、スカイアイのベッドを明け渡すまでになった。
彼に対する上層部の期待は熱く、戦線が進むにつれ、メビウス1の負担は増すばかりだった。彼は全く泣き言を言わず、どんな無茶な作戦も忠実にこなす。上層部にとっては便利な兵士だった。しかし、スカイアイの部屋を訪ねてくる行為自体が、言葉少ない彼の発するSOSなのだとスカイアイは気づいていた。
だが、自分に何ができただろう。部屋に招き入れ、温かいお茶で迎えること以外、何も……。
メビウス1の寝顔を見ると、あの日々の無力感も同時に思い出して辛くなる。けれども、あの甘やかな閉じた空間、二人だけの世界が、今の関係を形作るきっかけとなったのは間違いない。メビウス1の根源にある癒されない傷を知り、そこに触れることを許された時、彼を一人にしたくないと、彼と共に生きていきたいと強く願った。その願いは今、叶えられている。
メビウス1は、これまで寝られなかった分を取り返すようによく寝た。寝ても寝ても、まだ寝足りないらしい。きっと張りつめていた糸がゆるんだんだろう。悪夢にうなされずに寝るメビウス1を見ると、スカイアイは安堵した。何の不安もなく、安穏とその翼を休めてほしかった。いつか再び飛びたくなる、その時まで。

メビウス1が目を覚ました時、スカイアイに抱きついている自分に気づけば盛大に恥ずかしがるだろう。可愛らしい反応を見たくもあったが、スカイアイはメビウス1を抱き締めたい気持ちを抑えられなかった。起こさないようにそっと腕と足を外し、体を向き合わせる。白い額にチュッと小さな音を立てて口づけた。
すっぽり腕の中に収まる体。意識があるのか否か、メビウス1もスカイアイの背中に腕を回して互いに抱き合い、スカイアイは心からの充足を感じた。
「おはよう、メビウス1。今日もいい天気だよ」
──でも、もう少し寝ていようか。
この素晴らしい、幸福としか言えない時間を、もうしばらく味わっていたいから。