探し物はなんですか3 - 2/4

2.

次の日の放課後、昨日のヒナの様子が気になって再び校舎裏に足を運んだ。人がいないはずのそこに人影があって、ギクリとする。
「先生……」
「来たのか……」
先生は俺の姿を確認すると、お前に用はないと言いたげに視線をそらしてため息をついた。
その態度に胸がジクジク痛む。
俺のことがキライなのは、昨日嫌というほど思い知ったんだ。だけど、そんなにあからさまに態度に表さなくてもいいじゃないか、大人のクセに……。
心の中で先生を責めながら、なんだか泣きたい気分になったが、逆に妙な対抗心もわいてくる。
俺はヒナの様子を見に来たのであって先生に会いに来たわけじゃない。だから堂々としていたらいいんだと、自分を奮い立たせた。
近づきながら、先生の視線の先を何気なく見た。
地面に落ちている、黒い、塊。
あれは――。
カサカサに乾いた毛。ペタリと力なく地面に垂れ下がった小さな羽。
それはピクリとも動かない。
「し、死んでる……? どうして?」
昨日、先生と一緒に助けたヒナが死んでいる。確かに巣に戻したはずなのに、ほとんど昨日と同じ場所に落ちていた。
「事故で落ちたのではないとしたら、落とされたんだろうね」
「だ、誰に、ですか」
「はっきりしたことは言えないが、たぶん……親か兄弟に」
「そんな、まさか!」
「昨日、ヒナを巣に戻すときに気づいたんだ。このヒナは他のヒナより身体が小さい。……おそらく、はじめから弱い個体だったんだろう」
「弱い……?」
「虚弱だったり、なにか欠陥があるとか。そういう個体はどのみち長くは生きられないから淘汰される。一匹の親ツバメが取れる餌の量には限りがあるし、他の健康なヒナたちを立派に育てなければならない。彼らも必死なんだろう。自然界の厳しいルールだ」
先生は大人ぶってそんな説明をした。
じゃあ、昨日の俺がしたことはなんだったんだ。単なる自己満足か。二度も、このヒナを地面に叩きつける手伝いをしたようなものじゃないか。親鳥だって、そんなことしたくないだろうに。
ツンと鼻の奥が痛くなった。
「知っていたなら、なんで……なんで昨日教えてくれなかったんですか……?」
傷つけばいいと思ったのか。無駄なことをしていると笑いたかったのか。そんなに俺のことが嫌いなのか。
俺は先生を睨み付けた。先生は初めて目をそらさず、真正面から俺の視線を受けとめた。
「知っていたわけじゃない。助かればいいと思っていたよ。ただ、野生動物に手をかすのは何かと難しい面があるんだ。人間の思うとおりにはいかない。君の助けたいという気持ちはわかるから、強く反対できなかった。結局、傷つける結果になってしまって……すまない。俺が間違っていたのかもしれない」
先生は痛ましいものを見る目つきで俺を見た。
同情、哀れみ、憐憫。
違う。違う。そんな視線はいらない。
かわいそうなのは俺じゃない。命を失ったこの雛鳥だ。
俺はヒナをそっと両手に包んだ。吹けば飛びそうに軽かった
「どうするんだ」
「埋めてやります……」
それくらいしか自分にはできない。ここに放置したら、他の動物に食べられてしまうかもしれない。いや、それこそが自然界のルールというヤツなのかもしれなかった。俺はまた人間の価値観でこの命を扱おうとしているのかもしれない。でも俺は人間だから、こうするしか術がないんだ。もう、なにが正しいのかわからない。思考がメチャクチャだ。
校舎裏の林に数歩入り、落ちていた木の枝で穴を掘った。先生は俺の作業を黙ってみている。
このヒナは飛ぶことを定められた命だった。それなのに、飛ぶよろこびも知らず、皆からできそこないと言われ、地に落とされた。
このヒナはまるで、俺のようだ。
パタパタと、ヒナを埋めた土が水滴で黒く染まった。
「大丈夫か?」
先生が肩を掴んだ。振り返らそうとする腕を振りほどいた。
「ほっといてください……!」
「放っておけるわけないだろう、そんなに泣いて……」
先生が頭を振って拒む俺の両腕を掴んで拘束する。
どうして先生は俺を慰めようとするんだ。嫌いなくせに。どうして半端に優しくするんだ。いっそ、ハッキリ突き放してくれた方が楽だった。
ヒナを殺してしまったこと。先生の態度。他人に受け入れてもらえない自分。胸の中に空いた穴が。何もかもが苦しくて、苦しくて、たまらないんだ。
――俺には翼がないから。
「俺が、飛べないから……っ」
マグマのようなどろどろとしたものが溢れ出た。もう堪えきれなかった。
「飛べないから、先生も俺がキライなんでしょう!?」
「何を言って……、俺が、君を嫌い?」
「気づいていないと思っているんですか?だって、先生はいつも俺を見ないじゃないか。いつだって、会えば嫌な顔をする……っ」
「それは……」
先生の顔が強ばる。やっぱりそうなんだ。先生にも自覚があったんだ。
はっきりと肯定されたようなものだ。
「俺が……俺が、飛べないから……」
ボタボタと涙が落ちる。まるで駄々をこねる子供だった。
「その、『飛ぶ』って何なんだ」
「わかりません……っ、でも、俺は飛べたはずだから」
思えば先生に出会ってからだ。俺がこんなことを思うようになったのは。怖い夢を見たり、先生を恋しく思ったりするようになった。先生は不思議だ。
「君は、飛びたいのか。飛べないことがつらいのか」
先生に聞かれ、うなずいた。
そうだ、俺はずっとずっと飛びたいと思っていて、でも飛べないことがつらかった。
飛ぶことが、あんなに好きだったのに。

――それは、いつの話?

「つまり……パイロットになりたい、ということか?」

“パイロット”

脳裏に光が弾けた。
なにか、ずっと探し求めていた答えを見つけたような、そんな感じがした。
驚きすぎて涙も止まった。
「パイロット……?」
「違うのか?」
そういえばそんな職業があった。今の今までなぜか頭からすこんと抜け落ちていたけれど。
そんな道があるなんて考えもしなかった。自分がパイロットになるなんて。しかし、確かに自分の背中に翼が生えるのを願うよりは、まだ現実味がある。
俺の顔を見て先生は少し笑った。
「パイロットに、なりたいのか?」
俺は自然とうなずいていた。
「でも……俺に……なれるのかな」
「パイロットは狭き門だからな。だが、君はまだ若い。選択肢はたくさんあるから、挑戦する前から諦める必要はないだろう。俺も微力ながら応援しよう。パイロットには英語力が必要だろう?」
「先生……」
「それに……なにか誤解があるようだが、俺は君が嫌いではないよ」
「えっ」
先生の言葉にパッと顔を上げた。俺は単純だ。よっぽどキラキラした顔をしていたんだろう。先生は困った顔で微笑んだ。
「だけど、俺は教師だから、ひとりの生徒を特別に扱うわけにはいかないんだ。……すまない」
喜びは、するするとしぼんだ。
先生の『すまない』という言葉が胸の中にこだまする。
先生の言うことはわかる。教師にとって生徒との恋愛はタブー。ましてや俺は男で、噂になれば教師生命が絶たれる。先生も困っただろう。それが全ての態度の答えだったんだ。俺が先生を慕い、見すぎたからだ。
ああ、俺はフラれたんだ――。
胸がきゅう、と痛む。止まったはずの涙がまた、ポロリと落ちた。
先生が俺を引き寄せた。胸の中に抱き寄せられる。
ああ、これが先生の優しさだ。傷ついた生徒がいたら慰めずにはいられない――そんな先生だから好きになった。
これが最後だからと、俺は先生に甘えることにした。胸に頬を寄せる。高そうなスーツに染みができてゆく。
もっともっと染みをつけてやるんだ。高いクリーニング代に、苦々しく思えばいい。そして、このスーツを見るたびに、俺のことを思い出せばいい。
先生の胸にぐりぐりと頭を押し付ける。先生は俺の髪をとかすように撫でた。
ぎゅっと先生にしがみつく。
優しく髪を撫でていた手が俺の頭を掴み、先生の首筋に押し当てた。先生に全身で包み込むように抱きしめられる。
胸も。肩も。背中も。
先生の大きな大人の身体にドキドキするが、同時に自分との差を感じて切なくなった。
こうして守られている内は、決して先生と対等にはなれない。
俺が先生に受け入れてもらえないのは「飛べない」からじゃない。
俺が子供だからだ。
ようやく、それを理解した。