3.
メビウス1が次に目を覚ましたのは、真っ白な雲の上――ではなく、真っ白なシーツの上だった。ベッドの横にチューブが出ている。視線で辿っていくと、自分の腕に刺さっていた。どうやら点滴を受けているらしい。
身体は熱が下がったのか、ずいぶんと楽になっていた。呼吸もしやすい。
真っ白な壁。消毒液の独特な匂い。きっと、ここは病院なのだろう。
だけど、どうして――。
メビウス1が疑問に思ったとき、ドアがカラリと開いて人が入ってきた。グレーのスーツを着た長身と目が合う。
「メビウス1……気がついたのか」
安堵の笑みを浮かべながら近づいてきた人は、スカイアイ。
会いたくて会いたくて、たまらなかった人。
「スカイアイ……なんで……」
「君が意識を失う前に、ホテルの場所を教えてくれてよかった」
スカイアイは困ったように肩をすくめて笑った。
「すぐに救急車を手配できた。俺は後から飛行機で、文字通り飛んできたのさ」
スカイアイのいる軍の基地から、この都市まではかなり距離が離れていたはずだ。それなのに、わざわざ来てくれたのか。
ベッドから身体を起こす。身体に力が入らず、ふわふわした感じがした。
「スカイアイ、ごめん……。仕事があったんでしょう」
「ああ、まあな。一日だけ休暇をもらった。だから、すぐに帰らなきゃならない。……ついていてやれなくてすまん」
「そんな……本当に、ごめん。迷惑を……」
はぁと、音が出るほど盛大なため息をついて、スカイアイはベッドに座った。
「まったく、君は……。あんな電話をかけてきて……俺がどれだけ心配したと思っているんだ」
そう言って眉をひそめたスカイアイはメビウス1を抱きしめた。
「わ、あ、……あの」
落ち込んでいたときには、スカイアイと永遠に会えないんじゃないかと思うほどの距離を感じていた。でも、そんなのはメビウス1の思い込みに過ぎなかった。会おうと思えば、こんなに簡単に会える。メビウス1が、スカイアイに頼るわけにはいかないと、勝手に決めていたせいだ。
大きな手のひらが、労るように背中をさすった。
急な触れあいは、ずっとスカイアイ不足だったメビウス1には刺激が強すぎる。薄いシャツ越しに感じる体温に、また熱が上がりそうになる。
「自分の身体を過信しすぎるな。俺の寿命が五年は縮まったぞ」
「そ、そんなに?」
「そうだ、反省してくれ。いつもギリギリまで我慢するクセをなんとかしろ」
珍しくスカイアイの小言が止まらなかった。それだけ心配をかけたのだろう。申し訳なくも思うが、嬉しかった。
それより――。
「あの、スカイアイ……は、放して」
「ん?なぜ」
「だって、風邪、うつるかも……。それに、俺、ずっと風呂にも入ってないし……汗かいてて汚いし……」
恥ずかしいから自分からはあんまり言いたくなかった。スカイアイからは相変わらず、とても清潔そうないい香りがするし、ひっついていると彼を汚してしまう気がしたのだ。
スカイアイは少し身体を離して、メビウス1の顔をじっと見ると、また盛大なため息を吐いた。
そして「馬鹿」と一言。
スカイアイに暴言を吐かれたメビウス1は頭にタライが落ちたようなショックを受けた。
「そんなことはどうでもいいんだ。まったく……あんまり、心配させるな」
コツンと額と額を合わせられる。間近で見るスカイアイの瞳にドキドキした。
「顔が赤い。まだ、少し熱があるな」と、スカイアイは心配したが、果たしてそれは風邪のせいなのかどうか。
「ずっと、君から電話がかかってこないかと、いつも気にしていたんだ。なのに、電話がかかってきたときはちょうど寝ていて……すぐに出られなかった。悪かったな」
「う、ううん」
「……会えて、嬉しい」
スカイアイはさっきよりもさらに身体を密着させて、ベッドに覆い被さるようにメビウス1を抱いた。ぎゅうぎゅうに、力いっぱい抱きしめられて少し苦しいのに、それが嬉しい。
のしかかる重さすら心地よい。
「ああ、ダメだ……このまま少し眠らせてくれないか。昨日からほとんど寝ていないんだ……」
「あ、うん……」
すぐに寝息が聞こえてくる。それだけ疲れていたのだろう。メビウス1は、スカイアイの身体が冷えないように、背中をゆっくりとさすった。
そうして束の間、二人きりの時間を味わった。
メビウス1の症状は薬が効いて安定した。
スカイアイはまだ心配そうだったが、仕事があるため、後ろ髪を引かれるようにして帰っていった。そのとき、今後は定期的に居場所を報告するようにスカイアイと約束した。これは俺のエゴだ、と彼は言う。
「君は自分の力だけで頑張りたいんだろうから、あまり干渉はしたくない。それでも、心配なんだ。居場所がわかっていれば、少しは安心できる。……すまんな」
スカイアイが謝ることなんか何もない。
全てはメビウス1が意地になっていたせいだ。自分の駄目さを認めたくなかった。誰かに――スカイアイに助けを求めることを恥だと思っていた。こんなに自分のことを心配してくれている人がいるのに……。
「ごめん、スカイアイ」
スカイアイに自分から抱きついた。すぐに抱き返してくれる腕があたたかい。
「ありがとう……」
紫からオレンジ色のグラデーションに空が染まる。うっすらともやがかかる朝焼けの中、スカイアイは発った。
寂しさが、なくはない。離れるときはいつだって、身が引き裂かれるように感じる。
でも、いつでも話せる。どんなに距離が離れていても、二人がその気になれば会えるのだ。電話番号という細い繋がりにすがらなくても、心と心はつながっているとわかったから。