Bull’s-eye!

壁に掛けられた黒い円形の的。
そこへ向かってダーツを投げるメビウス1。ダーツはペシッと情けない音を出して壁にぶつかったあと、床に転がった。
「あ……あれ……?」
「力が入りすぎだ」
傍らで見ていたスカイアイは、床に落ちたダーツを拾ってダーツボードの前に立ち、構えてみせた。
「肘を動かさないように――そう、アレだ、紙飛行機を飛ばすように、ふんわり真っ直ぐ投げるんだ」
スカイアイの手から放たれた矢は、ボードの中心から少しだけそれて右下に刺さった。
メビウス1が感心した声を上げてパチパチと手を叩く。
「ほら、もう一度やってごらん」
「えぇ……俺、ムリだよ……」
「大丈夫、大丈夫。教えるから」
恥ずかしがるメビウス1にダーツを握らせ、立ち方から教える。
狙い方、投げ方を一通りレクチャーして、再び投げた矢は黒いボードの右端ギリギリに刺さった。
「……やった……!」
メビウス1の顔がほころぶ。その無邪気な顔を見たら、そこは点数が入らないなどと無粋なことは言えない。
「ナイストライ」
スカイアイが今度は拍手を送った。
その時。
基地内にサイレンがけたたましく鳴り響いた。スカイアイとメビウス1は、同時にハッと虚空を見上げたあと、互いの顔を見つめ合った。
敵がこの基地に向かって接近しているとアナウンスは繰り返す。基地内は一瞬で張りつめた空気に包まれた。
メビウス1の、空に浮かぶ雲を思わせるようなふんわりとした気配が消え失せる。いつも少し眠そうな半分閉じた目蓋が開き、青灰の瞳が獲物を前にした猫のごとく光った。ピリッと肌を刺す殺気。
不思議なことにメビウス1は、空と地上とでは全く別人のようになった。地上での自信のなさは消え去り、通信の受け答えもしっかりする。戦場を見る目は冷静で、その判断に誤りはない。
二重人格とはまた違う。普段は温厚な人間が、車に乗ると人が変わり、乱暴な運転をするのにも似ている。同じ人間だとわかっていても、なかなかイメージが重ならない。
しかしなるほど、いつもこんな風に切り替わっていたのかと、メビウス1と十年付き合って、やっとスカイアイは得心がいった。
それは鮮やかな変化だった。
「行こう、スカイアイ」
戦闘の気配に、凛としたメビウス1が駆けだす。それに半歩遅れてついていく。基地のあちらこちらを人が駆け回る。皆それぞれに与えられた役割を果たそうとしている。廊下を縫うように走りながら、スカイアイはメビウス1に語りかけた。
「おそらく君が一番先に上がることになる。離陸中は無防備だ。十分に気をつけろ」
いくら彼が無敵のエースでも、離陸前に狙われればどうにもならない。気をつけた程度で危険が減るわけもないが、言わずにはおれなかった。
メビウス1は走りながらスカイアイをちらと振り返り、猫の目を細めてクスっと笑った。
「わかってる。でも、それを言うならスカイアイの方が危ない。AWACSなんて、空から見ればノロマなダーツボードだよ。“Bull’s-eye!”されないように気をつけて」
ダーツを投げるジェスチャー。スカイアイは反論できずにうなった。
「でも大丈夫。スカイアイには絶対、誰にも手出しさせない。必ず俺が守るからね」
メビウス1は自信に満ちた強い瞳でスカイアイを見つめて言い切ると、スピードを上げてひとりで走り去ってしまった。
残されたスカイアイは赤くなった顔を片手で覆い、うめいた。
ああ、なんてたちが悪い。普段の控えめなメビウス1はどこにいった!
エースとしての圧倒的な実力に裏打ちされた自信。空の王者。その強さに同じ男として尊敬し、少しの羨望も感じてしまう。彼の隣に並び立つのはいつだって自分でありたいと思っている。
スカイアイはやれやれと、複雑な感情をため息とともに吐き出した。
「……まったく。ダーツは下手なくせに、俺のハートを射止めるのは得意なんだな」
慌ただしい基地の廊下にこぼれた呟きを聞くものは、誰もいなかった。

 

※Bull’s-eye(雄牛の目) 射撃やダーツなどの標的の中心円。また、その部分に命中させること。