運命の出会いにはならない

「となり、いいかな?」
右隣に影が現れ手元が暗くなった。見上げると、クセのあるオレンジの髪と優しげな目元が印象的な男が、こちらを覗きこんでいた。

知っている人間ではなかった。そもそもこの国に知り合いなどいるはずもない。何故、自分に声をかけてきたのかわからなかったが、その男の雰囲気にどこか惹かれるものを感じ、メビウス1は気まぐれにうなずいた。
了承を受けた男は人懐こい笑みを浮かべ、「失礼」とバーカウンターのすみに座っているメビウス1の隣に座った。
「ウィスキー、好きなの?」
手元を見て尋ねられた。好きか、と問われると答えるのが難しかった。
「でも、あんまり減ってないみたいだね」
鋭いところを突いてくる。ウィスキーは好きだから飲んでいたわけじゃない。ある人を思い出すために、思い出に浸りたくて飲んでいたのだ。酒は強くないから、ちびちびと舐めるように口に含んでいた。
オレンジ髪の男は、赤い色をしたカクテルを頼み、うまそうに飲んでいた。
「これ、甘口で美味しいよ。飲んでみない?」
そう言って差し出されたが、首を横に振った。
「そうかぁ……」
いかにも残念そうに肩を落とす仕草が、芝居がかっていて一々大げさだった。
何故、この男にあの人の面影を少しでも感じてしまったんだろうか。メビウス1は内心首をひねった。髪の色も目の色も違う。背の高さと声は多少、似ているかもしれないが。
「君、こういう場所は初めて?」
体を寄せ、潜めた声で聞かれる。
バーに来るのは初めてではなかった。一人でではないが、仲間となら何度か行った経験がある。あの人とも。
「バーには、何度か」
「いや、そういうことじゃなくて……。わかるでしょ?」
わかるでしょうと言われても、男の言いたいことがさっぱりわからなかった。それが顔に出ていたのか「え、マジで?」と唖然とした顔をされてしまう。
「なんにも知らないで入ったの?」
男が信じられないといった顔をする。この店に何があると言うのだろう。ただのバーではなかったのだろうか。
「いやいや、ダメでしょう。君みたいな子がこんなとこに来ちゃあ」
そう言ってオレンジの髪をガシガシとかき回す。
子供あつかいにムッとした。童顔だからよく間違えられるのだ。
「俺は二十二で……」
「歳なんかどうでもいいの!」
目をむいて怒られる。男は懐から財布を出すと紙幣をカウンターの上にパシリと置き、俺の腕を引っ張り立たせた。
「えっ……、ちょっと」
「出るよ」
周囲の客が注視するなか、肩と腕を掴まれ強引に店の出口へと向かう。どこからか、小さく舌打ちが聞こえた。

ほこりっぽい地下から階段を上がり、外へ出た。街灯は少ないが、月が出ているせいで視界は明るい。
「離してください」
「ああ、ごめん」
ずっと掴まれたままだった腕が少し痛んだ。
「なんだったんですか?」
メビウス1が尋ねると、呆れたようにため息を返された。
「君ねぇ、あそこがどういう場所か知らずに入ったの?入って、何も気づかなかった?……皆、君を見てたんだよ」
そうだっただろうか、と振り返る。人の視線にはニブい。子供の頃から容姿を珍しがられ、さらに最近では軍の中で有名人あつかい。視線を意識から閉め出すのには慣れていた。
オレンジ髪の男が、メビウス1の両肩に手を置き、子供に言い聞かせるように話す。
「いいかい?君みたいなカワイイ子が、あんな場所で寂しそうに飲んでちゃいけない」
──かわいい?
聞きなれない単語を聞いて眉をひそめた。しかし、男があまりにも真剣な目で言い含めるものだから、うなずくしかなかった。
「……ヨシ」
最初に、この男が隣に座ることを許した理由が今わかった。満足そうに笑う男の目元が、あの人──スカイアイの微笑んだときと似ていたからだ。
「あー、またそんな顔で見る……。ホントに襲われても文句言えないよ?」
オレンジ頭を抱え一人で騒ぐ男に、メビウス1は呆れた。
この人はさっきから何を言っているんだろう。自分は元軍人で、パイロットとはいえ近接格闘術も教えられている。……試す機会はなかったが。もっとも、元軍人だと言ったところで、この男が信じるとも思えないし、言うつもりもない。
どこに帰るの、と男が聞くので近くにある寂れたホテルを指差す。ホテルの近くにバーを見つけたからたまたま立ち寄っただけだった。
「あんな治安の悪そうなホテルに」と、また心配されてしまった。戦争が終わったばかりで、この国の治安はまだ回復していない。護身用の銃も携帯している。むしろこの男の方が危ないのではないか。
「……そういうあなたこそ、大丈夫なんですか」
「あ、俺のこと、心配してくれるんだね。俺はこの辺りのことはよく知っているし、大丈夫だよ」
そう言って笑う顔がやはり、かの人に似て、なんとなく後ろ髪を引かれた。「気をつけてね」と手をふる男に見送られながらホテルへの道を歩く。

結局メビウス1には男の言うことが、始終よくわからないままだった。しかし、胸にあったどうしようもない寂しさは、あの男のおかげで少しはまぎれたのかもしれない。