アンドロイドは空の夢を見るか

耳をつんざく、陶器の割れる音。
もはや聞きなれてきた感のある音だったが、気分の落ち込みは増すばかりだった。
「すみません、マスター」
少しも感情のこもらない硬質な声で、床に散らばった皿の破片を集める青年の表情を注視した。柔らかそうな亜麻色の髪が、うつむいた顔にかかっている。少し幼い印象の、一般的にはかわいいと言える顔だろう。だがその表情は、マネキンのように冷たく固まっていた。謝られても、何も心に響かない。
仕方がない。彼は、アンドロイド。元から感情など、持たないのだから。
ため息を吐いた。
「もういい。ここは俺が片付けるから」
彼を見ていると、理不尽な苛立ちをぶつけてしまいそうだった。その前に彼を追いやる。彼はダイニングから庭へ出て、空を見上げた。その姿はどことなく、しょげているようにも見える。
(まあ、気のせいなんだろうが)
そう感じていたらいいという、見ている俺の願望が反映しているだけだろう。
何もすることがない時、彼はよく空を見上げていた。
空にいったい何がある。まさか、アンドロイドが人間みたいに空を飛びたいなどと、思うわけもあるまいに――。

彼、“メビウス1”は友人が寄越した家事アンドロイドだ。しかし、家事など何ひとつ満足にこなせないポンコツだった。皿が、もう何枚犠牲になったか、数えるのも馬鹿らしい。おまけに無表情で全くかわいげがない。何も出来ないなら、せめて主人に愛想笑いのひとつでもして機嫌をとってみろ、と思う。しかし、しょせんは機械だ。プログラムされたこと以外は出来ないのだから、彼に怒りをぶつけても仕方がない。
今、怒りを向けるべき人物は別にいた。
「ハロー?」
パソコンのディスプレイに表示される友人の顔。今はそのニヤけた顔を見るだけで腹が立つ。
「スカイアイだ」
「おお、久しぶりだな。元気か?」
「残念ながらお前のせいで、精神的ストレスで胃に穴があきそうだ」
「んん?オレのせい、とは?」
「とぼけるな。あのアンドロイドのことだ。一体ヤツは何だ。家事のひとつも出来ないじゃないか」
「あー……やっぱ、ダメかぁ」
「ダメとは、どういう意味だ」
友人は、人工知能の開発をしている研究者だ。彼の話によると、あのアンドロイドのAIは、家事用に作られたわけではないらしい。呆れた話だ。ならば家事など出来なくて当然じゃないか。俺の苛立ちと、それを抑える努力はなんだったのか。
「お前、何の嫌がらせで……」
「わーすまんすまん!怒るなって。事情があるんだよ。……オレがもともと、軍の兵器開発部門にいたことは知っているだろう?あのアンドロイドのAIは、そこで開発したものなんだ」
「なんだと?……ということは、戦闘用だったのか」
「正確には、無人戦闘機の戦闘用AIだ」
「!」
無人機の、AI。
心臓が嫌な感じに跳ねた。
では、彼がいつも空を見上げていたのは――。
「その昔、天才的なエースパイロットがいてな。その飛行データから作り上げたのが“メビウス1”だ。しかし、完成に時間がかかりすぎて、戦争は終結。お役御免になっちまったのさ。一応オレは、生みの親みたいなもんだから、消去するのも忍びなくて、適当に市販のプログラムをくっつけて、お前にやったんだ。……まあ、でも、やっぱり無理だったんだな。もともとが戦闘用だ。仕方ない。手間をかけて申し訳ないが、こちらに送り返してくれ」
嫌な予感がした。
「……どうする気だ」
「もちろん、処分するのさ。必要ないんだろう?そいつは軍の機密だから、オレの手元に置いておくのはまずいんだ」
そんな危険なモノを他人にあずけるな、と腹が立ったが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「処分、だと?」
その時、背後でカタンと扉が音を立てた。振り返ると、今までに見たことがないくらい、目を大きく開いたメビウス1が、そこにいた。

話すなら、空の見える場所がいい。
何となくそう思って、庭に出た。メビウス1がいつも水をやっているから、草花は艶やかで、みずみずしい。
木々は夕暮れに染まっていた。
思えば、彼と会話をしようと思ったのは初めてではないだろうか。いつも俺が発する言葉は命令ばかりで、彼と会話らしい会話をしたことがなかった。
「俺は、処分、されるんですか」
メビウス1が淡々と聞いた。皿を割った時と同じ硬質な声だったのに、俺は答えられなかった。
アンドロイドに感情がないと言ったのは誰だった?
彼の、この姿。さっきは驚愕に目を開き、今は半開きの瞳に何も映してはいない。顔の筋肉はほとんど動いていないのに、なぜか深く、俺の心に伝わってくる。
「処分されるのは嫌か。死ぬのが、怖いのか」
「……わかりません」
彼は首を振った。
「俺は、マスターのお役に立てず、マスターを失望させてばかりでした。だから、処分されても仕方ないのだと、理解しています。でも……。でも、ずっと、思っていたことがあります」
「……それは?」
彼は空を見上げた。
「――空を、飛びたい」
ああ、やはり。
俺は心の中でうめいた。彼の生まれた経緯を聞いた時から、そんな気はしていたのだ。暇さえあれば空を見ていたメビウス1。それはまるで救いを求めるように。
俺はふと思った。
アンドロイドにとって“救い”とはなんだ?
「空に、何がある?」
「わかりません。でも、俺がいる場所はあそこなんじゃないかって、そんな、気がして」
そう言って、空を見上げる彼のガラスの瞳に、幻想的なピンク色に染まった雲が反射している。
「一度だけ、夢を――そう、あれは、人間の夢のようなものでした。俺は銀の鋼の翼を持ち、目は360度見渡せ、耳は遥か彼方にいるあなたの声を聞くことが出来ました。そして空を音速で駆け抜けました。俺を阻むものは何もなく、ただただ、自由だった……」
目を閉じ、どこかうっとりと夢を反芻するメビウス1。
(夢を見るアンドロイドか……)
そんな現象がありえるのか、俺にはわからない。
だが、彼にふさわしい空はもうない。
美しき鋼の体は取り上げられ、愚鈍な人を模した体を与えられた彼が飛ぶことは、二度と、ないのだ。

後日、メビウス1を受け取りに、業者がやってきた。友人が寄越したやつだ。飾り気のないバンの中に乗り込もうとする彼はやはり無表情だったが、俺には死刑台に立たされる罪人のように見えた。
「メビウス1」
「はい、マスター」
俺がたまらず声をかけると、彼はアンドロイドらしく即座に主人の声に反応した。内心はそんな心境でもあるまいに。
俺は自分の選択が、果たして彼のためになるのか、確信がもてなかった。俺のエゴでしかないのではないか、と。彼にとって、何が救いとなるのか、いまだにわからないままだ。
「君は、処分されるんじゃないよ。あー……詳しいことは俺は専門家じゃないから、説明が出来ないんだが。君のAIにあった家事プログラムをつけてもらうんだ。だから、戻ってきたら、きちんと家事もこなせるようになっているはずだ」
「え……あ……」
彼はアンドロイドの癖に、戸惑ったように言いよどんだ。
「それとついでに、愛想笑いプログラムも入れてもらってくれ。俺は君の笑った顔が見たいんだ」
俺は照れ隠しに笑って、彼の頭にポンと手を乗せた。すると、彼の目が、ほんの少し細められて、口元がゆるんだ。数ミリの変化かもしれないが、俺にはわかった。それが、今のメビウス1に出来る、最大限の微笑みなのだ。