800字チャレンジ - 5/16

『書生×箱入り息子』

べったりと背にしがみつく子供。子供の体温というものは、なぜこんなにも高いのか。私は頭をふり、襲ってくる眠気を払った。
「ねぇ、お兄ちゃん、まだ勉強終わらないの?」
「うん、もう少し」
「どうして、そんなに勉強するの?昨日も夜おそくまでしてたよね?」
「そうだな……食うに困らないため、かな」
「くうに、こまる?」
この子供にはわからないだろう。貧乏のつらさが。
私の家は田舎の大家族で、兄弟がたくさんいた。メシ時は戦争だった。腹一杯に食えることはなかった。この裕福な家で、何の苦労もなく育った坊っちゃんにはわかるまい。私の心には、そんな劣等感がいつもつきまとっていた。なのにこの子供はなぜか私に懐いた。本当の兄でもないのに「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼んで。
「ぼくね、ひとりっ子だから、ずっと兄弟が欲しかったの」
無垢な笑顔で笑うのだ。この子供は純粋で、汚れを知らない。人の裏にある醜い顔を知らない。それは、彼が苦労を知らない箱入りだからだと、私は内心でさげすんでいた。
貧乏に劣等感を抱き、裕福な人間に嫉妬し、しかしそんな裕福な人間の慈悲にすがらなければならない己が嫌だった。けれども、この無垢な子供を見ていると、そんな価値観で生きている自分が情けなくてたまらなくなるのだった。
私は数年の後、その家を出ていった。今は就きたかった仕事に就き、自分で稼ぎを得ている。そして、あの子供はというと……今も私の背中にへばりついている。
私が出て行ってから、彼の両親は突然の事故で亡くなり、彼は一人になった。親類が彼の面倒を見ていたが、その親類に騙され、財産を全て奪われてしまった。彼が苦労知らずゆえかもしれない。
私はどうしても彼を見捨てられず、こうして今も一緒にいる。彼は他人に裏切られようが、苦労しようが変わらなかった。純粋無垢な笑顔で私を慕う。
私は敗北した。
「何考えてるの“お兄ちゃん”?」
「君は昔も今も変わらないなぁ、とね」
「どういう意味?」
「……とても可愛いってこと」