800字チャレンジ - 13/16

『兄×弟』

喉の奥がつまったような感じがして咳をする。すると、呼び覚まされたみたいに咳が次から次へと出てくる。
自室のベッドの中、背中を丸めて布団を頭から被った。咳の音は響く。こうすれば少しはマシだろう。
コンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえて、そんな気遣いも無駄に終わったことを知る。
扉をノックした者は、返事を待たずにドアを開けて勝手に入ってきた。
「大丈夫か?」
「う、……ッ」
何かを喋ろうと口を開けば代わりに咳が出る。厄介な夏風邪にかかってしまった。
「いい。無理に喋るな」
そう言って布団に丸まった背中をさすってくれたのは俺の兄だ。
隣の部屋には筒抜けだったのだろう。心配されるのはわかっていたからなるべく咳を我慢していたのだが、しないようにと思えば思うほど、したくなってしまうものらしい。
しばらくして咳はようやく治まった。
布団からそろりと顔を出して兄を見た。思っていた通り、兄は心配そうな表情で「熱は?」と聞いた。額に手が当てられた。ひんやりして気持ちがいい。
「まだ熱いな」
咳止めの薬を取ってくると言って立ち去ろうとした兄が、不自然に動きを止めた。
「ん?」
振り返った兄の視線の先には俺の手が。
俺は無意識に兄のシャツを握っていた。
「あ……、ごめ……」
恥ずかしい。何をやっているんだ。
すぐに手を引っ込めた。
兄は笑ってベッドに腰をかける。髪をくしゃくしゃにかき混ぜられた。
「懐かしいな」
「え?」
「むかし風邪を引いたお前に、やっぱり今みたいに引き留められたことがある。『どこにも行かないで、お兄ちゃん』って」
兄の瞳は、遥か遠くの過去を思い出して、蕩けるように細められた。俺は熱のせいではなく頬が熱くなった。
兄の悪い癖だ。古い話を持ち出しては、昔はよかっただの可愛かっただのと言って俺をいたたまれない気持ちにさせる。
兄とは十歳も年が離れているから、俺がずっと小さい頃の、今となっては恥ずかしい話をいつまでも覚えている。
「そんなの覚えてないよ……。もういいから、あっちいって。風邪うつるよ」
プルプルと頭を振って、いつまでも撫でてくる手を拒否した。兄のことは好きだが、いつまでも小さな子供のように甘やかすのは勘弁してほしかった。
自分はもう思い出の中の幼子じゃない。今の俺をちゃんと見てほしかった。それなのに。
「風邪薬、持ってくるから。ちょっと待ってろ」
そう言って離れていく手に寂しさを感じる自分が、どうにも情けなかった。