十年目の記念日

「こちらスカイアイ。メビウス1、準備はいいか」
マイクに向かって話す。
レーダーに表示されている光点はひとつ。
《メビウス1、スタンバイOK》
無線から即座に聞こえるメビウス1の声。いかなる戦場にあっても、この声はいつも冷静で小揺るぎもしなかった。それがどれほど皆を安心させ、力づけるか、彼は知らないだろう。
スカイアイの口元は自然とほころんだ。
「時間だ。始めよう」

大陸戦争がエルジアの降伏により終結してから、十年がたった。終戦記念日の九月十九日はスカイアイの誕生日でもある。
毎年、九月十九日には終戦を祝うセレモニーが行われる。セレモニーでは空軍の戦闘機が展示飛行を披露するため、見物に大勢の人が会場や、会場付近に集まった。テロを起こすには絶好の機会であり、厳重な警戒体制を敷かねばならず、結果的にスカイアイの仕事は増した。
それに関してメビウス1がわびたことがある。
「誕生日に終戦記念日をプレゼントしたけれど、結局あなたは毎年仕事で、休めなくなってしまって。せっかくの誕生日なのに、ごめんなさい」と、眉を下げて心底すまなそうなメビウス1に、スカイアイは心が温まるのを感じた。
「君のせいじゃないし、何もあやまることはないよ。ねだったのは俺なんだし」
メビウス1を抱き寄せて慰めながら「こうして君と一緒にいられれば、それだけで素晴らしい誕生日になる」と耳元でささやいたのは、何年目の終戦記念日だったか。
いつも一緒に過ごせるわけではなかったから、メビウス1と共にいられる時間は、ことさら大切にした。
セレモニーの展示飛行では、メビウス中隊のマークを垂直尾翼に描いたラプターが編隊飛行をするのが常だった。英雄メビウス1がまだこの空を守っているのだと喧伝し、同時にエルジアへの牽制も兼ねている。しかし、実際に本物のメビウス1が展示飛行をしたことは一度もなかった。司令から出ろと言われても、彼はずっと固辞し続けてきた。司令も無理強いはしなかったが、今年は状況が違った。
エルジアで抵抗を続ける武装勢力「自由エルジア」が昨年から蜂起し、いまだに小規模ながら戦闘は続いている。セレモニーに乗じて行動を起こすかもしれない。そこでメビウス1に警戒も兼ねて展示飛行に出るように求めたのだが、やはり嫌だと言う。
「どうして、そんなに嫌がるんだい?」
飛ぶのが三度の飯より好きなメビウス1が、展示飛行は頑なに拒否するのが不思議だった。
司令からメビウス1を説得するように課せられたスカイアイは、ゆっくり話をするために彼を自室に招いた。
メビウス1は聞かなかったふりを決めこみ、お気に入りの紅茶をふぅふぅと息をかけて少し冷ました後、音を立ててすすった。彼の癖だ。
スカイアイはそんな態度を気にせず、何度も繰り返し理由を尋ねた。根負けしたメビウス1はティーカップに顔を埋めるようにして白状した。
「だって……、編隊飛行、苦手なんだ……」
すねたようにボソリと言う。
誰かと並んで、きっちり決められた速度、高度を守って飛ぶというのが、メビウス1は訓練生時代から苦手だったらしい。それでよく教官に怒られた、とも。
スカイアイは思わず吹き出しそうになって手で口を覆った。声こそ出さなかったが肩が震えてしまった。笑っているのがメビウス1にもわかったのだろう。笑うなと赤い顔でこちらをにらんでくる。
別に馬鹿にしたわけではない。あまりにも「らしく」て笑ってしまったのだ。とことん戦いにのみ特化した男だ。能力のバランスが悪すぎて、教える方もさぞや苦労したにちがいない。
馬鹿にされたと勘違いしたメビウス1はすっかりへそを曲げてしまい、このままでは絶対に展示飛行に出てくれないだろう。
「メビウス1、お願いがあるんだが」
「い・や・だ」
つんと口をとがらせてそっぽを向く。
十年前の、何かにつけて自信のなかったメビウス1を思い出す。その頃から比べれば、自己主張ができるようになった彼を微笑ましくも嬉しく思う。それに、すねる彼はとても可愛らしい。いつもこれくらいわがままを言ってくれたなら、どんな手を使ってでも叶えてあげたくなるのに。しかし残念ながら、今回わがままを言わなければならないのはスカイアイの方だった。彼のように可愛らしくできればいいのだが、四十を過ぎた中年男には土台無理な話だった。
「今年の誕生日プレゼントには、君の展示飛行を頼む」
そうスカイアイが言うと、メビウス1は顔を戻して、じっとりとした目を向けた。
「スカイアイ……。それを言うと俺が絶対、言うこときくと思ってるでしょう」
「ああ、君はいつも必ず実現してくれたな。ありがとう。感謝している」
微笑んで、スカイアイはメビウス1を抱きしめた。言った言葉に嘘はない。が、卑怯な手を使ったと思う。こう言えば彼が必ずかなえてくれると知っているのだから。
メビウス1は諦めたように息を吐いて、スカイアイに体重を預けた。
「……わかったよ。ただし、条件がある」

セレモニーの会場はたくさんの人であふれていた。人々の見上げる空はすっきりと晴れわたっている。絶好の展示飛行日和だ。
青空に米粒ほどの大きさの影が見えて、人々は歓声をあげた。しかし、それはすぐにざわめきに変わった。
「去年は五機編成だったよね?」
「一機しか見えないぞ」
徐々に近づいてくる機影に見物客は口々に戸惑いの声をあげた。他の機体は別の場所から現れるのかもしれないと、キョロキョロ辺りを見回す人の頭上を、恐ろしい速さで戦闘機が通りすぎる。遅れて凄まじい音が轟き、体を芯から震わせた。
あまりのうるささに耳を塞ぐ人。泣き出す子供。
いつもの展示飛行とは明らかに何かが違っていた。
唖然とする人の上を通りすぎた単機の戦闘機は、今度はゆっくりと戻ってきて、でんぐり返しをしたり、ヒラヒラと木の葉が落ちるような動きをした。まるで一人でダンスを踊るかのごとく華麗に舞った。戦闘機にこんな動きが出来るのかと、人々の目はそのダンスにくぎ付けになり、楽しげな風情は見る人の心も躍らせた。
しばらくさまざまな機動をみせた戦闘機は上昇し、白いスモークを出しながら青空に大きな輪を描いた。それが繋がって八の字になったとき、人々は息をのんだ。
メビウス・ループ。
そのマークに見覚えのない人間は、この場にいない。
素早くゆがみのない八の字を空に描いてみせた戦闘機は、来たときと同じ速さで青空のかなたへ飛び去った。
後に残されたのは人々の熱狂と歓声。
そしてあまりにも余った展示飛行の尺をどうするか、会場スタッフの人間はあわてふためいた。

空の上、警戒のため出動していたAWACSの機内から、レーダーで一部始終を見ていたスカイアイは頭をかいてうなった。
「確かに好きに飛んでいいとは言ったが……」
メビウス1の出した条件はこうだった。
ひとつは、編隊ではなく一人で飛ぶこと。
もうひとつは、自由に飛ばせること。
その条件を司令にのませて今回の展示飛行にのぞんだ。
メビウス1の飛行は速度にしろ高度にしろ、規定のギリギリのラインを攻めてきていた。彼なりの抗議かもしれないし、単に楽しんでいただけかもしれない。実戦で使ったことのないマニューバを試していたから、後者の気もする。そもそも飛んでさえいれば彼は幸せなんだから。抗議だと感じるのは、無理に言うことをきかせてしまった負い目があるせいだろう。
懸念していた敵は現れず、メビウス1の存在を世の中に知らしめることができ、彼は楽しんで飛んだ。考えてみれば良いことずくめだ。
諸々の後始末は自分がすればいいことだ。
「メビウス1、誕生日プレゼントは受け取った。
――ありがとう」

後に、十年目の終戦記念日の展示飛行で、単機で飛んだ戦闘機こそが本物のメビウス1だったのだと、人々の間でまことしやかにうわさされた。うわさの真相を探ったジャーナリストもいたが、メビウス1の所属するIUN国際停戦監視軍からの正式な回答はなかった。